オオカミと劣情。
俺がこの世界に転生して、既に2~3ヶ月以上は過ぎた気がする。
気がする、というのが暦が無いからで、一年のうち今がどの時期だというのがハッキリとは分からない。どうやら日本と同じく春夏秋冬があるらしいのは分かっているのだが、いま何月か、あと何日くらい経過すれば次の季節が来るか、がわからない。
でも、この時代の人々は、暦などなくとも肌感覚と自然環境の移り変わりで季節を読む。
ここ数日、朝晩に肌寒さを感じるようになってからのこと。
ある朝、俺が起き出すとニスヤラブタは、寒い、土をとってこい、と云いだした。
家の壁を形作っている木の枝の隙間を、土や草で埋めることで断熱性を高め、冬場でも自宅でぬくぬくと過ごせるようにするわけだ。逆に、冬が終われば壁をとっぱらい、新しい枝を集めてきてまた通気性の高い壁を作る。夏と冬で居住環境をこうやって変えるのが、この時代の人々の一般的な家の作り方だ。
でも、もうちょっと恒久的な住居にできないものかな……と、現代人の俺は思うわけだ。というか毎年毎年、冬の前には土をつめつめ、夏の前には枝をあつめあつめ、って面倒臭いじゃないですか。
「俺、ぐうたらしたい、ぐうたらぐうたらー」
「ガバルシャのまね、だめ!」
「いやー、ぐうたらー」
「アダブール起きる!」
嫁に髪の毛をがっしと掴まれ、俺はそのあまりの痛さに慌てて飛び起きる。やめてくれ、俺がハゲ父のように、つるっつるにハゲたらどうするんだ!
ニスヤラブタに家をたたき出された俺は、ひっつかまれた頭部を涙目でさすりながら、自宅の壁に詰めるものを探して野原を歩くことにしたのだった。
─────
誰もいない、広々とした野原のあちこちで、詰め物にできそうな枯れ草を拾いつつ俺は、現在の住居の改造計画を頭の中で練る。
要は、常態として夏は通気性があり冬は断熱性がある壁にすればいいんだ。さすが俺、現代人らしい、合理的かつ論理的な思考で改善案を思いついたぞ。
……どうやって?
さっぱりわからん。
石を積んで壁を作るとしても、ひとつひとつの形がばらばらでうまく積めないし、無理矢理積んでも不安定になる、それにそんな壁が崩れた時が危なすぎる。だから彼らも、石を土台にしか使っていないんだと思う。
粘土からレンガを作れば、或いはレンガ作りの家が作れそうではある。けど、まともに積んだら通気性が全く無い。通気用の穴を作り、冬はそれを何かで埋めるようにするか?
うーん……その手が無いわけでもないし、今からは冬なのでその穴を作る必要も無いがその前に、家を作れるだけのレンガを大量に、冬が来る前に焼くこと自体が無理だ。たぶん今から焼き始めたら、ぜんぶ焼き終えるのは冬が終わった後だ。
丸太小屋を作る、という手もあるが……森で切った丸太を、どうやってここまで運ぶ?
第一、製材の技術も無いから、不揃いな丸太をそのまま積み上げるしかない。あのクッソ重い丸太を人力で積むなんて絶対に無理だし、しかも積んだ後が不安定なのが簡単に予想できる。やはりだめだ。
そう考えてゆくと、木の枝で組み上げた家が最も合理的だ、ということになる。つまり今の、とぼとぼと小枝を集めるこの面倒くさい作業が、冬対策としては現時点でベストなんだ。
なんてこった、現代知識が石器時代の小屋に負けるとは!
しようがないので俺は、拾った枝を背負子に積み上げながら、野原から森へ、そのさらに奥へと、この冬を乗り切るためのステキな建材を探し求め続ける。
しかし、使う枝に細かくこだわり始めると、これが結構終わらない作業で。俺は、♪ン~ン~ンン~、ンンンンンンン~ン~、などと歌詞のない鼻歌を歌いながら、案外と楽しみつつ建材を集めていた。
そういえば、この間の宴では、レゲエサウンドに合う歌が欲しかったな。
♪ソンマケイララデェ、ソマイラタ、ヤンケラタ、みたいな歌。
これはいま適当に考えたけど、そういう感じの歌があればまた、みんなもノリやすいだろうな。
……と、その時だった。
近くの草藪で、がさり、という音が鳴ったのを耳にする。
気づけば、森の相当に深いところまで迷い込んでいることに俺は気づく。
豊潤な知識の泉のより奥深く、肉体に直結し生命を司る本能のセンサーが、ヤバい、と囁いた。俺はその場で、身体を硬直させる。
がさ、とまた音が鳴る。
間違いない、すぐ傍に、何者かが潜んでいる。
俺は、いざとなれば背負子を投げ捨て全速力で駆け出せるように身構えながら、音の鳴った方を凝視する。何者かが、こちらに近づいているのか?なんだ?姿は見えないが、蛇か、猪か?
肉体の記憶が、鳥の鳴き声を聞け、と叫ぶ。
耳を澄ましてみたが、鳥の鳴き声が全く……いや、頭上の枝には一羽、留まっている。あれは、カラスか?……俺と同様に、音のした方をじっと見つめているようだ。
何物も、動く気配は無い。再び、森は静寂に包まれる。
音の正体を知りたい、という好奇心と、今すぐ引き返せ、という恐怖心が俺の心の中でせめぎ合う。しかし冷静に考えれば、その正体を知ったところで、命に勝る価値は到底無いはずだ。好奇心がヒトを殺す、というじゃないか。
背中を向けないように、音をたてないように、静かに後ずさりをしながら……
俺は、恐る恐る、来た道を引き返し……集落へと戻る。
つもりだったが……
……カラスの存在が、俺にはどうにも引っかかった。
以前、日本にいた時、俺はある店の軒先で、つばめの巣を何度もつついては破壊し、地面に落ちた雛を食べてしまうカラスを目撃したことがある。カラスは基本、とても賢いし貪欲だ。この時代のカラスも、きっと同様だろう。
あの頭上のカラスは、獲物をじっと待ち構えているように感じた。
カラスが、執着を示すモノが、そこにあるのか?
俺は静かに、忍び足で……音のした方に一歩一歩、近づいてゆく。
がさり、と音がまた鳴った。
がさ、がさ。
だが、こちらに飛び掛かってくる様子は無かった。
やがて……俺は草むらの陰に、何かを見つける。
そこには、犬のような生き物が、地に伏せている姿があった。
犬のような、ではなくどうみても、子犬だった。
身体を横たえた子犬は随分と衰弱しているようで、脚にはけがをしていた。もう逃げ出すことができないほど弱っているのに、近づいてきた俺を唸り威嚇している。まるっきり必死だ。
ヒャッハー!
今日のおやつだ!
……と、この時代の連中なら喜ぶかもしれないが俺はまだ、現代の日本人の感覚のまま生きている。きゅぅぅうううん!と、心がときめくのを感じた。
実は俺、日本にいた頃には犬を飼ったことがないんだ。
子供の頃から犬が大好きですっと飼いたかったけど、実家の両親は犬嫌いで同棲した女の子も犬嫌い。住むアパートもマンションも軒並みペット禁止だしで一度も飼ったことが無い。いつか犬を飼いたい、飼ってみたいと思っていたんだ。
それが、まさか異世界で実現することになるとは……!
この瞬間ほど、異世界に来て良かったと感動したことは無かったな。
こいつ、連れて帰る!
連れて帰って治療して、めっさ可愛がる!
わんわん、とかばうばう、とか、吠えながら俺にじゃれついてくる、もふもふした可愛い奴をめっさ抱きしめる!
やばい、めっさ心がときめいてきた!
間違いなく、その時の俺の目玉にはハートマークが映っていたと思う。
威嚇しているにも関わらずどんどん近づいてくる俺に対し、ついには明確に吠え始めた犬に、さすがに俺は無遠慮すぎたかと気付く。この時代、ペットとして懐く犬なんて、存在しないじゃないか。
というかちょっと待てよ。
じゃあ犬じゃなくて、こいつって……オオカミ?
であれば、周りに親オオカミがいたって不思議じゃない。
俺は、今の子オオカミの吠え声で親オオカミが駆けつけてくる危険に気付き、驚愕して周囲を素早く見回したが、しばらくしても俺に接近する存在は感じられなかった。どうやらこの子オオカミ、群れからはぐれたか、或いは親と死別したのかもしれない。
俺は、キャン!キャン!と、子供らしい(しかし同時にオオカミらしさも感じる)鳴き声をあげる子オオカミの傍らに静かに腰を下ろすと、そっと手を伸ばし、両腕に抱きかかえる。
腕の中から何とか逃れようと、吠えながら弱々しくもがく子オオカミの頭を、俺が優しく、根気強く撫でてやると、ついには子オオカミは吠えるのをやめ、大人しくなってくれた。いや、吠える力も出なくなったのかもしれない。
俺は子オオカミを腕に抱えながら、頭上のカラスを見上げる。
俺の昼メシを奪いやがって、と言いたげに悔しそうに、カアカアと鳴くそいつに俺は、苦笑いをしてみせた。
悪いな、こいつは俺の相棒にするんだ。
─────
「晩メシ、とってきたか!!」
俺の腕の中の子オオカミを見て、目をキラッ!キラ!に輝かせたニスラヤブタに、ペットにすることをどう理解させようかと俺は苦心をする。
そう、この時代にはまだ、ペットなんて概念は無い。食べるか、食べられるか。野生の動物との付き合いは基本、それだけだ。だから、ペットという言葉も無いし、飼うという言葉もない。
こいつは食べない、育てると何度も云う俺に彼女は随分と不満そうだったが、食べ物は他にもあるのでそこまで拘ることも無かった。良かった、子オオカミを見つけたのが食料の欠乏期なら、間違いなく食べてたな。
俺は、家の片隅に子オオカミの寝床を作り(大き目の平皿を置いた)そこにそっと寝かせてやると、彼女と一緒に、背負子に乗せて持って帰ってきた小枝や葉を家の壁に詰める作業にとりかかる。
ひととおり、詰めてみると確かに、いままで家の中で感じていた隙間風のような感覚は無くなった。よく考えてあるなあ、この構造。負けたようで少し悔しいぞ。
詰め物が終わった頃には、もう太陽は地平線から沈もうとしていた。
次は、"奴"が脳に埋め込んだ知識から、子オオカミの手当てをこの世界ではどうすればいいのか、見当をつける。
まず、足の傷口を見る。出血は既に止まっているものの、野外で晒しっぱなしになっているので何か病原菌に感染している可能性もある。
傷口を軽く水で洗い流した後、包帯代わりにパピルスを利用する。少し水で濡らして柔軟にした後、軽く火であぶって消毒、冷ました後に子オオカミの傷口に巻いてやった。動いてパピルスを破いてしまわないよう、添え木もあてて巻く。
森の中で出会った際、俺が近寄っても子オオカミが動かなかったのは、空腹で力尽きていたのもあるだろう。俺は、冬の間の食べ物として貯蔵の準備をしていた、干し肉を一切れ、子オオカミの鼻先に差し出す。
俺が手を出すと、子オオカミはやはりかなり警戒しているのか、小さく唸った。匂いをかがせるように、その鼻先でぷらぷらと振ってみたが首をひっこめて、一向に食べようとしない。
まだ、嚙む力が弱いのかも……と思い、干し肉を細切れにしてみたが、それでも食べようとしない。
もしかして、喉の渇きの問題か?
俺はそう思い、小さな器に水を汲んできて、それを子オオカミの鼻先まで近づける。
やはり警戒をしていたものの、今度は器に鼻を近づけると匂いを何度か嗅ぎ、やがて子オオカミは、ぺろ、ぺろ、と何度か水を舐めた。
ちょ、ヤバい!……この子、水を飲んでくれた……!!
たったそれだけのことなんだけど、俺はなんか無性に嬉しくなって不覚にも目が潤んできた。傍らで俺のすることを見物していたニスヤラブタも、子オオカミが水を舐める姿を、小さく微笑みながら眺めている。そして、
「……オオカミ、かわいい」
しばらくの後、彼女がぽつりと呟いた言葉に、俺は心底驚いた。
「お前、食べると云った!
いま、かわいいのか?」
「かわいい、かわいい
でも食べたい」
「かわいい、食べたい、いっしょか!?」
「いっしょ、いっしょ」
彼女はにこにこと微笑みながらそう云う。
そうか、いくらかわいくても、食べたいという気持ちは変わらないのか……
しかしまあ、かわいいとは思っている、ってことは俺の留守中に黙って食べてしまう、ということは、さすがに無いかな……無いと信じたい……
─────
子オオカミがいつでもすぐ口にできるよう、その傍に干し肉と水の入った器を置いておく。
俺たちが近づかない限り、もう子オオカミが警戒したり唸ることは無かった。俺たちの行動を、彼はじっと眺めていたものの、やがて緊張よりも眠気が勝ったのか、そのまま目を閉じすうすうと眠る。
俺は、子オオカミから少し離れた場所に敷いた毛皮の上に横たわりながら、静かに眠る子オオカミの姿を優しい目で見つめる。
俺の前で同じように横たわっている彼女が、ぽつりと呟く。
「子供、欲しい」
つまり、子供ができることをしたい、と。
この時代の人々らしい、ドストレートな表現に俺はどぎまぎしながら、「そうだな」と答える。
この肉体の元の持ち主と同様に、今の俺もニスヤラブタがすっかり好きになっていたし、互いに抱きしめる辺りまでは出来るのだが、それ以上の関係となるとどうにも、元の持ち主に申し訳ない気持ちが……つまり、罪悪感が、多少は、湧いてくる。
そして元、日本の中年男性だった俺としての、
たぶん、子オオカミを育てようと思った衝動の一部には、そのこともあったと思う。
俺の気持ちの整理がつくまでは、子オオカミを子供代わりに育てることで、彼女の願望をなだめておきたい、という考えだ。
「……精霊、もう少し、待て……そう云ってる」
「精霊……」
最低の云い訳をする、俺。
代わりに背後から、彼女を強く抱きしめることで、彼女に俺の感情を伝えようとした。けれど、彼女がどんな顔をしているのか、背中越しにはよくわからなかった。
─────
ウチで子オオカミを看病している間、例えば檻などに閉じ込めるようなことはせずにおいた。
もともとは野生の動物だ。傷が十分に癒え、彼がここを出る気になったならそのまま行かせるしかない。ただ、それまでは存分に愛を注ごう、と思った。
毎日、包帯の取り換えを行う。子オオカミの傷を観察すると、順調に癒えているように見えた。膿んでなく、ウジも沸いていない。感染症も問題なさそうだ。
彼も、俺が傷の手当てをしていると理解しているようで、包帯の取り外しをする間も大人しくしていた。
俺が子オオカミを連れ帰った時には、コレ食べたいと云ってたニスヤラブタも、その割には案外と子オオカミをかわいがった。細かく刻んだ干し肉や果物、水を与えるなどの世話を焼くし、身体をそっと撫でてはその感触を楽しんでいるようだ。
やがて、子オオカミは身体を動かせるようになる。よろよろとだが、立つこともできるようになった。
そろそろ、旅立ちの時か……まあ、出ていくだろうな、と俺は覚悟をしていた。
が、予想に反し、彼はここに居座ることにしたようだ。
傷もすっかり癒え、子犬らしく活発に活動するようになっても、彼は自然の野山へ帰るそぶりを見せなかった。
俺たちが自分に害を与える気がないこと、徐々に寒くなりつつある外と比べて家の中は温かいこと、安心できる寝床があり、食べ物があり、ついでにニンゲンのおかしな動作を観察できること……好奇心のカタマリでもある子オオカミにとっては、ヒトと一緒に暮らすことは色々と刺激があるのかもしれない。
今後、子オオカミと一緒に暮らしていくなら、名前をつけたほうがいいよな、と彼女に云ってみたら、「オオカミ?」と首をかしげる。
「いや、オオカミ、名前ちがう」
「んー、肉?」
「まだ、食べる気か!?」
「うそ、うそ!
じゃあ……ソガ(小さく吠える)、どうか?」
「ラグル(風の子)は?」
「こいつ、風、違う、
小さい(ガ)し、吠える(ソ)から、ソガ!」
日本名の
試しに、ソガ、ソガと呼びながら子オオカミを撫でると、彼はじっと俺の顔を見る。なんだか、お前は何を云っているんだ?という感じの顔つきだ。
しばらく、この名で呼んでみよう。あんまりにも無視するようなら、もうオオカミでいいや。
俺とニスヤラブタの生活に新たに、ソガという同居人が加わった。
やがて、冬が来る。寒い寒い、冬が来る。
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