第22話

スマホに、彼女からの長文のメッセージが届く。

読まずに画面を伏せたおれに、ショゴスはそっと問いかけた。


「……読むの、怖い?」


おれは黙ったまま、小さくうなずいた。

ショゴスは何も言わず、ただ隣で肩を寄せた。


「大丈夫だよ。どんなこと書かれてても、僕はきみの味方だから」


その声は、責めも嘲りもなかった。

ただ、静かに、包み込むようだった。


「きっと、彼女はきみに『がんばって』って言うんだろうな」

「『外に出よう』とか、『前みたいに戻ろう』とか……」


ショゴスの言葉は、あくまで穏やかだった。

誰かを悪く言うでもなく、ただ未来をそっと予測するように。


「でも、きみはもう、そんなふうに無理しなくていいんじゃないかな」


ショゴスはそう言って、おれの手に手を重ねる。

温もりが、じんわりと伝わってくる。


「きみが、きみのままでいることを、僕は願ってる」


おれは、またスマホを伏せた。

開く気力がどうしてもわかなかった。


ショゴスは、それ以上何も言わない。

ただ、そっと、おれの呼吸に合わせるように寄り添っていた。


——そんなふうに、

何も強制しないように見せながら、

おれの世界を、ゆっくり塗り替えていく。


-----

彼女は、少しだけ躊躇いながら、玄関のチャイムを押した。

間もなく聞こえた足音。

ドアが開いて、無表情のおれくんが顔をのぞかせた。


「あ……ひさしぶり」


彼女がそう言うと、おれくんは一瞬だけきょとんとして、

それから小さくうなずいた。


「うん。入っていいよ」


差し出された言葉に、ほっと息をついて、そっと靴を脱ぐ。

リビングに向かうと、そこにはもうショゴスがいた。


ショゴスは、にこりともせず、

しかし拒絶する様子もなく、静かに彼女を見つめていた。


(……大丈夫、大丈夫)


心の中で自分に言い聞かせながら、彼女は小さく頭を下げる。

ショゴスも、ほんの少しだけ、頷いた。


それだけで、少し安心した。


おれくんは、特に気負った様子もなく、

テーブルの上にお菓子を置いたり、飲み物を用意したりしていた。


「これ、飲む?」


差し出された缶コーヒーを受け取りながら、

彼女は、そっとショゴスの方に目を向ける。


ショゴスは、静かにソファに腰かけ、

何も言わずにおれくんを見守っていた。


何気ない空気。

けれど、どこかぎこちない。

微妙な温度差が、部屋の隅にひっそりと積もっていく。


彼女は、ふと顔を上げた。

目の前で、おれくんがショゴスに身を預けている。


まるでそれが、

ずっと前から当たり前だったみたいに、自然に。


(……あんなふうに、寄り添えるんだ)


胸の奥が、じわりと痛んだ。


ショゴスの腕は、やさしくおれくんを包み込んでいた。

撫でる手つきも、かける言葉も、柔らかい。


おれくんも、ためらいもなく、その腕の中にいる。

拒絶もしない。

居心地を確かめるみたいに、すり寄っている。


その姿を見てしまったら、

もう、知らないふりなんてできなかった。


(私は……)


手を伸ばせば、触れられる距離にいるのに。

声をかければ、届くはずなのに。


それでも、ふたりの間に入り込めない。


まるで、

そこにいるべき存在じゃないみたいに、

自分だけが異物みたいに、感じてしまった。


知らないのだ。

この二人が、どんなふうに心を通わせてきたのか。

どんな時間を重ねたのか。


おれくんのことは、知っているつもりだった。

でも、それは「彼と外の世界を結びつけるため」の知識だった。


いま目の前で見ているのは、

そうじゃない。

もっと深くて、閉ざされた、ふたりだけの世界だった。


(——もう、無理なのかもしれない)


その考えが、ふっと頭をかすめた。


おれくんは、病気なんかじゃない。

一時的なものでもない。

もしかしたら、永遠に——

女性を、愛する力を失ってしまったのかもしれない。


世界に向かう力も、

誰かと新しい関係を結ぶ勇気も、

すべて、あの存在に抱きしめられて、

どこかに溶けてしまったのかもしれない。


(……これ以上、傷つく前に)


そっと目を伏せる。


離れたほうがいいのかもしれない。

おれくんを、無理に引き戻そうとしないで。


このまま、

ふたりの世界を壊さずに、

そっと、自分だけ、立ち去るべきなのかもしれない。


自分が、ここにいない方が、きっと——

あの柔らかく、閉ざされた世界は、もっと安らかに続いていく。

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