第18話 「お前は学院を辞めるべきだと私は考えている」
あれから、一週間が経った。
「今日もどこかに観察ですか?」
「……いや、今日は観測結果をまとめる」
そう言ってテオは、図書室の机に置かれた紙の山を穴が空きそうなほどに眺めている。観測器を用いて学院を散策したり、色々と調査を続けてはいたものの、特にいい成果は得られていなかった。ウンディーネも、ぱたりと姿を現さない。
「あの、テオさん。流石に根を詰め過ぎだと思うんですけど」
「……うるさいな」
テオは躍起になっているのか、細かな波形を四六時中追い、実験に明け暮れている。その顔色は見て分かるほどひどいものだ。目の下に刻まれた隈は濃く、ろくに眠っていないのだろう。
食事も、差し入れを持っていってはみるものの、それ以外はいつ食べているのかも分からない。
ぴしゃりとロザリーの言葉は跳ね除けられたが、それでも心配なものは心配だ。ロザリーも紙束を整理しながら、更に言葉を重ねる。
「研究に没頭するのは分かりますが、それで体を壊していては意味がありませんよ」
「……」
返ってきたのは沈黙だ。とうとう無視されてしまったと、肩を落とす。
寝食を疎かにするのは良くないと分かってはいるものの、ロザリーは祖母やアマリアに言うように強く出られずにいた。ロザリーの特訓も、ある意味行き詰まっている。一向に魔力が上手く出力できないまま、がむしゃらにコントロールの練習を続けていた。が、目に見えた成果が出るわけではない。焦る気持ちは、ロザリーも同じだからだ。
「どうしてそんなに妖精の研究にこだわるんですか?」
「お前には関係ないだろ」
ほんの雑談のつもりだったのだが、テオはぴしゃりとロザリーの問いを拒絶する。その語気の強さに、ロザリーは思わず肩を竦ませた。テオの視線は書面に落とされたままで、顔も上げない。
「…… ごめんなさい、そうですね」
意識したつもりはないが、思ったよりも弱々しい声が出てしまう。それを振り払うように、テオが確認し終わった書類をまとめた。ある程度整ったところで、ロザリーはテオを睨みつけるウェルシュを抱き上げる。そのまま肩に乗せて、おずおずと立ち上がった。
「お手伝いできることもないので、今日は帰ります。……無理はしないでくださいね」
なるべくいつも通りの、明るい声を作る。テオの顔を見るのが少し怖かったから、ロザリーは深くお辞儀をして荷物を引っ掴んで踵を返した。
その後ろで、テオが顔を上げて何かを言いかける。だが、それに気付かぬまま、ロザリーは図書室を出て行った。
*
図書室を出てみれば、まだ学院内には人が残っている。アマリアはもう帰ってしまっただろうかと、廊下を歩きながら考えた。人影があるからか、ウェルシュも口を開かない。
(私も何かできることがあれば……)
そんな考えがロザリーの中に浮かぶ。テオの研究も、魔力に関する打開策も、膠着状態になってしまっていた。
考え事をしながら、廊下の角を曲がる。すると、どん、と誰かにぶつかったような衝撃が襲った。
「痛っ……」
ぴょいと驚いたウェルシュがロザリーの肩から飛び降りる。ロザリーは思わず尻餅をついてしまったが、前方から手が差し出された。
「大丈夫か、アネット」
その声に顔を上げる。どうやらロザリーがぶつかったのは、ロザリーのクラスを受け持っている教師、サリスだったようだ。厳しい教師だが、授業や生徒に対しては真摯に向き合ってくれる。成績の良くないロザリーのことも、気を配ってくれていた。
「サリス先生……す、すみません、ぶつかってしまって」
「こちらこそ悪かった」
手を引かれて立ち上がり、スカートを軽く払う。そしてサリスに頭を下げた。ウェルシュがロザリーの足元にすり寄ってきたので、それも抱き上げる。
そのまま立ち去ろうとすると、アネットと更に呼び止められた。ロザリーがサリスの方を見ると、常ならそれほど表情の変わらないのだが眉間に皺が寄っている。
「はい、どうしました?」
ロザリーが返事をして様子を窺うと、かちりと目が合った。
「……少し話がある。研究室まで付き合ってもらえるか」
「分かりました」
ロザリーがこくりと頷くと、サリスは浅いため息を吐く。だがすぐに研究室の方へと身を翻した。その後ろをついて行きながら、何の話だろうとロザリーは首を捻った。
すぐにサリスの研究室に着く。中には助手の女性が作業しているようだったが、サリスが席を外すように声をかけると軽く礼をして出て行ってしまった。
「とりあえず座ってくれ」
「はい」
どこか状況に既視感を覚えつつ、サリスの書斎机の脇にある小さな椅子に腰を下ろす。サリスは書斎机の下から引き出した椅子をロザリーの方へと向けて、そこに座った。
「ランベールに師事しているんだな、人伝で聞いたくらいだが」
「は、はい。師事というほどではないですが、色々と教わっています」
テオの名前が出て、ぴくりとロザリーの肩が揺れる。ロザリーは目立たないようにしていたつもりだったが、行動を共にしている以上誰かの目についたのだろう。変な噂になっていなければいいけど、と内心不安が募った。
「成果はどうだ」
サリスの言葉も、それに拍車をかける。単純に成果を尋ねられているのならばいいが、サリスの表情は決して明るいものではなかった。
「本当に少しずつですけど、威力は上がってるんです。それに、コントロール力だって鍛えていて……」
おずおずと今の状況を話すロザリーに、サリスは考えるように少し目を伏せた後、すぐに口を開く。
「見せてみろ」
どきりと、ロザリーの心臓が跳ねた。
「……分かりました。ウェルシュ、少し離れていて」
了承の声を返し、ロザリーはウェルシュに肩から降りるように促す。ウェルシュは肩から床へと着地し、大人しくこちらを見つめている。
「――炎よ、我が手に出でよ」
何度も口にした詠唱を、ロザリーは口にした。手のひらに、炎がぼうと灯る。だが、先日受けた試験の時から、大きな差異はない。サリスの目に、ロザリーのか細い炎が反射している。
「すみません、これが精一杯で……」
声は尻すぼみに消え、ロザリーは炎を消した。その言葉をサリスが継いで、口を開く。
「お前はよくやっている。座学も上から数えた方が早いくらいだ。本当に、魔法だけだ。確かに前よりは威力も上がってはいる。だが、魔法使いとしての強みにはなり得ない」
厳しい言葉だった。だが、ロザリーの現状をよく表している。俯いたロザリーは、それでもと震えた声で続けた。
「はい……。でも私まだ諦めたくありません」
ロザリーの訴えに、沈黙が研究室に落ちる。ぎゅうっと膝の上で拳を握りしめる。はあ、と重いため息が聞こえ、ごくりとロザリーは息をのんだ。
「次の試験が長期休暇前にあるのは知っているな。そこで結果を出せないのなら、お前は学院を辞めるべきだと私は考えている」
その言葉に愕然として、思わず顔を上げる。サリスは、こちらを気遣うような、申し訳なさそうな、言いようのない表情を浮かべていた。
「人には向き不向きがある。本人の意思に関わらずだ。お前は魔法使いには向いていなかった。他にも道は多くある」
「でもそんな、そんなことって」
言われたことの衝撃に、思考がまとまらない。
「でもまだ、私魔法使いになりたいのに、おばあちゃんみたいな魔法使いになりたいんです!」
ロザリーは追い縋るように口にする。だが、サリスはゆっくりと首を横に振った。
「……よく考えておけ。話は以上だ」
呆然と促されるままに、ウェルシュと共に研究室を退室する。そこからどうやって寮に帰ったのか、記憶がない。味のしない夕飯を口に押し込んで,すぐにベッドに入った。
帰ってからも一言も話さなかったウェルシュも、ベッドに潜り込んでくる。温かく、柔らかな体を引き寄せると、珍しくウェルシュはされるがままになっていた。
すり寄るような毛並みが心地いい。だけどその優しさも今のロザリーには苦しかった。
まるで、地面が突然なくなってしまったみたいに、心がすかすかとして、足元がおぼつかない。ただ、ぽろぽろと伝う涙が、時折ロザリーの頬を撫で濡らした。
ロザリーは翌日、初めて授業を欠席した。
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