第12話 「しがない蛇の一匹ですよ」
「あれから中庭を監視していたが、何の変化も、魔力の異常も見つからなかった」
中庭での実験ーーほとんど昼食を食べただけだったがーーから数日経った放課後、またロザリーは図書室へと来ていた。
「一旦そちらは保留し、お前の特訓についてだが」
「はい」
いつものように机を挟んで向かいに座り、二人は話し合っている。
テオは少し悩んだ様子だったが、ため息をつき再び口を開いた。
「お前の状態は普通ではない。何らかの体質異常、それか……呪いか何かがかけられていると言われた方がまだ納得できる」
「の、呪いですか?」
いきなり出てきた物騒なワードに、少し気圧されてしまう。ロザリーの祖母に持ち込まれる仕事の中に、そういうものがあったことは知っている。だが、祖母は呪いの類をあまり好まなかったため、深くは知らないのだ。
「ああ、勿論確信したわけじゃない。それだけおかしいということだ」
テオは少し言いにくそうにしながらも、言葉を続ける。
「だが、今のところ原因は不明だ。それは追々解決していく。だから、現状お前にできることを考えてきた」
今の状態のロザリーにも、何かできるのだろうか。それでもテオに調べてもらっていてばかりでは申し訳ないし、やれることがあるなら試してみたかった。
意気揚々とロザリーは返事をする。
「はい」
「それは魔法のコントロールの練習だ」
「コントロール、ですか?」
ぴんときていない様子のロザリーに、テオはこくりと頷いた。
「そうだ。先日の様子だと、お前の魔法を使う手際自体は悪くない。ただ、極端に絞られた魔力が、魔法の幅を狭めているだけだ」
「でも、魔力を使える量が増えない限り、コントロールするほどの威力も出せないんじゃ……?」
テオの考えをロザリーが掴みあぐねていると、テオは顎に手を添え思案しつつ話し出す。
「お前の魔力が制限されている原因を掴むまで、お前に僕の魔力を譲渡する形で特訓する」
「譲渡? そんなことできるんですか?」
「僕もやったことはないが、試してみる価値はある」
そう言って立ち上がったテオは、ロザリーの隣の椅子を引き、そこに腰かけた。
「普段は自分の中から魔力を使い行使しているが、その魔力を僕から取り出す。それだけの話だ」
「それだけって……具体的にどうやればいいんですか……」
狼狽えるロザリーに、おもむろに手が差し出される。テオはそのまま、無造作にロザリーの手を握った。
「えっ、あの?」
驚いたロザリーだったが、おずおずとその手を握り返す。テオの方を見つめると、促すようにテオは口を開いた。
「今言っただろう。魔力を僕から取り出せと。一度他人の魔力の感覚を探って、それを引き出すんだ」
簡単に言ってくれるとロザリーはため息をつく。ロザリーは普段、自身の魔力を使うのも一苦労なのだ。渋々とテオの手を握り直し、集中するために目を閉じる。
「いきますよ……」
「早くしろ」
ロザリーは集中し、体に溢れている魔力の感覚を探っていった。いつも魔法を使うのであれば、このまま呪文を唱え、魔力に形を与えるだけでいい。だが、今回は自分の体の外にあるものを使わなくてはならない。
「僕の体も、自分の体だと思え」
その言葉に、自然とテオの手を握る力が強くなる。繋いだ手の先を、意識して魔力の感覚を探った。
「そんなこと言われても……」
自然にロザリーの眉間には皺が寄り、額には汗が浮かんでいる。
どこか、胸の辺りがもぞもぞとして落ち着かない。だが、何となくテオの魔力というものが分かってきた。
(まるで溢れる寸前の水みたい)
テオの体内には、ロザリーには想像もできないほどの魔力が流れている。その一端に触れている感覚が、確かにロザリーの中にあった。
何か掴めたかもしれない、そう思ったロザリーがようやく触れた魔力へと手を伸ばす。
その瞬間、こんこんとノックの音が図書室に鳴り響いた。咄嗟にロザリーは目を開く。
「ずいぶんと変わったことをしていますね。何かの実験ですか? それとも相引きの最中でしたら、お邪魔しましたかね?」
かつんかつん、と軽快な靴音が部屋に響いた。テオが音の方へと顔を向け、ロザリーの手を離す。ロザリーは、その手を見つめながら、こぶしを握ったり開いたりを繰り返し、すでに霧散してしまったあの感覚にため息をついた。
「馬鹿なことを言うな。実験だ」
どこか忌々しそうに吐き捨てるテオに、ロザリーは恐る恐る口を開く。
「ええと、この方は?」
するとテオが告げるより早く、長身の男が恭しく礼をした。
「お初にお目にかかりますね、ブランドン・ホスキンズと申します。しがない蛇の一匹ですよ」
「へ、蛇?」
首を傾げるロザリーに、男は灰色の長髪の隙間から笑う。態度は好意的であるのに、どことなく嫌な雰囲気があった。
「おや、蛇をご存知ないとは。最近学院に入学なさった方ですか?」
「ええと、今年入学したロザリー・アネットです。知識不足ですみません……」
魔法使いには有名な言葉なのだろうと結論づけて、ロザリーは軽く頭を下げる。するとブランドンは軽く目を細めた。
「これはご丁寧に。あなたが後輩の面倒を見るとは。少し丸くなられましたかな?」
くつくつと笑うブランドンは、テオへとそう問いかける。
「研究の一環だ。あなたには関係ないだろう」
テオはそれに対して、少しぞんざいにあしらった。ブランドンはその対応にも笑みを崩すことなく、マイペースに話を続ける。
ロザリーは、段々とテオの眉間の皺が深くなっていくことにはらはらしながら、黙していた。
「そうですか、そうですか。貴重なお時間を邪魔して申し訳ないのですが……」
「いつもの話だろう。何度も同じことを言わせないでくれ、帰ってくれないか」
話を聞くつもりもないようで、ぴしゃりとテオはブランドンの話を遮る。とりつく島もない様子に、笑みはそのままにブランドンは眉を下げた。
「相変わらずつれないですね。また来ます。お嬢さんも機会がありましたら」
そう言ってブランドンは丁寧な礼をして、来た時と同じように風のように去っていった。
「マイペースな方ですね……?」
初対面の相手に緊張していたロザリーは、肩を落として言う。
「蛇は皆あんなものだ。変わり物ばかりの集団だからな」
ロザリーはそれをテオが言うのか、とも一瞬思ったが口には出さない。
「あの、さっきの人も言っていたんですけど、蛇ってどういう意味ですか? もしかして魔法使いの間では、一般常識なんですか?」
もしそうなら、ブランドンの態度も頷ける。今年入学したばかりとはいえ、田舎の出のロザリーはひどく物を知らないように見えただろう。
「……蛇とは、蛇の塔と呼ばれる研究施設に所属する魔法使いの俗称だ」
蛇の塔。聞いたことのない名前だと首を傾げる。
「そんなところがあるんですね」
「ああ。王国内に領土をもちながら、その研究の秘匿さ、閉鎖さ、能力の高さから、独立組織として認められているに等しい」
「へえ、すごい……。それほどすごい魔法使いたちがいるんですね」
この学院も大陸内有数の魔法使い育成機関ではあるが、あくまで王国の傘下であることは違いない。だが蛇の塔はそうではないというのだ。
「ああ。別に知らないのも無理はない。塔の出身はこの学院の教師にも何人かいるが、やつらは閉鎖的だ。優秀な魔術師、研究にのめりこみたい者、噂では公にはできない研究も支援していると噂だ。この学院の卒業生とはいえ、門戸を開くことは少ない」
少し眉間を揉んで、テオがそう吐き出した。そして、ちらりとロザリーの顔を窺うように見つめる。思わず首を傾けると、ふいと目を逸らされた。
「……やつの言うことはあてにするな。別に塔にいるものだけが、優秀な魔法使いというわけじゃない」
「そうなんですね? じゃあどうしてそんな人がテオさんのところに……」
テオが苦虫を噛み潰したような顔をしたが、気付かずロザリーは思考を巡らせる。そして、一つの考えが閃いた。
「もしかして、テオさんのことを勧誘するためですか?」
「……僕にその気はない」
「やっぱりそうなんですね! すごいじゃないですか、そんな優秀な場所にスカウトされてるなんて」
勝手に浮かれ出すロザリーに反して、テオは一瞬視線を落とす。その表情は、どこか暗い。
「あの男は、僕の研究に興味があるだけだ」
「えっ?」
テオの言った意味を取りかねて、まじまじと彼の顔を見つめる。
テオの研究とは何なのか、そう口にしようとしたが、その前にテオの言葉がそれを遮った。
「まあいい。邪魔が入ったな。さっきまでの続きだ」
そう言われたので、ロザリーは居住まいを正し、テオに向き直る。
「とりあえず魔力をどうにか掴むまでやってみろ」
「はい、頑張ります」
ブランドンが入ってくるまでは、少しそれらしい感覚を掴んだような気がした。あの感覚を思い出すところからだが、これもきっとロザリーの糧になる。そう思えば、やる気も湧いてくるというものだ。
「あと、明日は少し遅れる。あまり遅かったら帰ってもいい」
「分かりました」
そうして特訓は、寮の門限の少し前まで続いた。ロザリーは時折魔力らしき感触をつかむことはあったが、その日は魔法を使うまでには至らなかった。
どうにか次はそれを目指せるようになりたいと、テオに礼を言ってその日は解散となった。
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