第6話 「僕の実験に協力しろ」

 授業の終わりを告げる鐘が鳴る。ロザリーは教師の号令を聞きながら、今日のところは無事に一日を終えることができたとホッと胸を撫で下ろした。

 ざわめき出す教室の中、そそくさと荷物を鞄の中に押し込んで、アマリアの席へと急ぐ。


「帰ろう、アマリア」


「そうね、やっと終わったわあ」


 アマリアは固まった肩をほぐすように揉んで、緩慢に立ち上がった。それを急かしながら、ロザリーは廊下の方をちらりと見やる。

生徒たちもまだ帰り支度をしたり、雑談をしている者が多い。人の出入りは少なさも、いつも通りだ。ロザリーとしては、今のうちにさっさと寮まで帰ってしまいたい。


「そんなに会いたくないのね」


 呆れたような声に、ぴくりと肩を震わせてロザリーが視線を戻す。荷物をまとめ終わったアマリアと視線が合い、思わず渋い顔を返した。


「アマリアが脅したんじゃない……。何言われるか分かんないし、怒ってたら怖いもん」


 成績に響くようなことはしたくない。ロザリーはアマリアの手を引いて、入り口へと向かう。


「念のため、今日は裏門から出ようと思ってるの。それならきっとーー」


 そう言って廊下へ出ようとした瞬間、横から出てきた手にロザリーの腕が掴まれた。


「そんな小細工で、僕を撒けると思うなよ」


 ぴしゃりと浴びせられた低い声に、思わずロザリーの血の気が引く。


「きゃ、きゃああああああッッッッ!!!!!」


「っ、うるさいな。叫ぶんじゃない」


 鬱陶しそうに吐き出された言葉の主を見上げ、更にロザリーは顔を青くした。それは、ロザリーが朝から避けていた張本人、テオ・ランベールその人である。

 テオは、涼しげな目元を不機嫌そうに細め、空いた片手で耳を塞いでいた。


「ま、待ってください、昨日のことは誤解なんです、私がやったわけじゃないんです!」


 ロザリーが弁明するが、ふんとテオは鼻を鳴らし、一周する。


「お前以外に誰がいる。あの場には、お前しかいなかっただろう」


 詰問するように言い放つテオの言葉に、ロザリーは引っ掛かりを覚えた。あの場所にはもう一人、恐らくあの異変を起こした女がいたはずである。中庭は開けた場所のはずだが、上階からでは死角になっていたのだろうか。


「違います……! あの場にはもう一人女の人がいてーー」


「あの、お二人ともっ!」


 アマリアの凛とした声が、ロザリーの言葉を遮った。咄嗟にロザリーは縋るような視線を向け、それとは別に鋭い眼差しがテオから向けられる。だがアマリアは臆する様子もなく、周囲を見回した。


「お話するなら、場所をかえたらいかが? ここだと人目を集めますし、廊下の真ん中ですし」


「わざわざ目立ちたい理由はないでしょう?」


 アマリアの言葉に、ロザリーもやっと周囲の様子に気付く。クラスの皆は勿論、野次馬なのか他クラス他の学年、果ては教師までもがこの騒ぎを取り囲んでいた。まずいまずい、と更に血の気が引き、ロザリーの顔はもはや真っ白になっている。


「わ、私、やっぱり、か、帰りましゅ!」


「ちっ、場所を変えるぞ」


 テオが小さく舌打ちをして、ロザリーの手を引いて歩き出そうとした。その目の前に、アマリアが立ち塞がる。


「ロザリーに用なら、私もお供しますけど?」


 アマリアがじっとテオを見上げ、そう言い放った。どこか挑戦的な言い方にドキドキしながらも、ロザリーが同意するように首を縦にぶんぶんと振る。が、テオはそれを一瞥しただけだった。


「不要だ。お前には関係ないことだ」


 重々しい言葉に、アマリアはもう一度口を開こうとするが、少しの沈黙の後道を譲るように一歩引いた。


「……分かりました。くれぐれもあたしの友人に酷いことしないでくださいね」


 剣呑な言葉に、テオは僅かに目を細める。


「酷いこと……? 僕はこの女に聞くことがあるだけだ。行くぞ」


「ひ、引っ張らないでくださいぃ〜……!」


 ロザリーが涙目でアマリアを見るが、申し訳なさそうに手を合わせられてしまった。あれで貴族相手に精一杯譲らないでくれたのだろう。

 腕を引くテオに捕まったまま、ロザリーはその場を離れることになった。



 学院の長い廊下を無言で歩き、ロザリーが連れてこられたのは学院の隅の方にある教室だった。


「こ、ここは……?」


 ロザリーが来たことのない場所に慄いていると、がちゃりとテオがドアを開ける。


「一般書籍の図書室だ。ここなら基本余計な人間は来ないし、閉じられた場所というわけでもない」


 図書室なのに何故、という疑問がロザリーの頭に浮かぶが、それを口にする前に引っ張られてしまう。


 室内は古い本特有の匂いの漂う、本棚の多い部屋だった。魔術書籍用の図書室はロザリーも訪れたことがある、というか通い詰めているのだが、そもそも図書室が二つもあるとは知らなかった。

 先程テオが言ったことは本当のようで、授業後であるにも関わらず室内はしんと静まり返っている。


「あの、もう逃げませんから……手を離してもらえませんか?」


 ロザリーがおずおずと言うと、テオはロザリーの頭から爪先まで、値踏みするように眺めた。それからやっと手が離される。


 ぱっと、その手を自身で抱きしめるように手首をさすった。ロザリーが確認すると、手首のところが少し赤くなっている。強い力で引っ張られたのだ、痣にならないかとロザリーの頭を不安が過った。

 ロザリーが手首を気にしているのを見咎めたのか、テオが一瞬眉を顰めた後に赤くなった場所に手をかざす。


 ロザリーがあっと思う間もなく、ぼそぼそとテオが何かを唱えた。その瞬間、テオの指の合間から淡い光が漏れる。それに目を奪われていると、テオはすぐに手を引いた。


「はあ、これでいいか」


 テオのその言葉に、ロザリーは自身の手首の赤みも痛みも、跡形もなく消え去っていることに気付く。


「あ、ありがとうございます!」


 咄嗟にロザリーは礼を言うが、すぐに元はと言えばテオのせいであることを思い出して困ったように眉を下げた。アマリアが言っていた、学院随一の魔法の使い手というのもどうやら本当らしい。


「早く座れ」


 本を読むためにいくつも並べられたテーブルと椅子。その一つにテオは慣れたように座り、ロザリーにも促してくる。どこかぎくしゃくと歩き、テオの向かいに腰かけた。


「まず昨日の昼頃に、中庭にいたのはお前で間違いないな?」


「はい……」


 尋問めいた聞き方に、自然とロザリーの背筋が伸びて、声が震える。どきどきと心臓が早鐘を打ち始めた。


「僕が異変に気付いたのは、大きな魔力反応を感じたからだ。その発生源を辿った結果、あの場所に行き、その直後に中庭の様子が変容した」


「その様子も認識していただろう」


 テオは腕を組み、目を細めて静かに問う。たらりと、ロザリーの背筋を冷や汗が伝った。

 お前がやったのだろう。そう聞かれているのが、人付き合いの少ないロザリーでもよく分かった。


「うう、そ、そうです。でも、あれは私のせいじゃないんです!」


 ロザリーの言葉に嘘はないが、眼前の青年から向けられる疑いの目は変わらない。


「僕が見た時、中庭が変容する前からお前が逃げ出すまで、お前以外の姿はどこにもなかったが?」


「えっ? そんなはずありません、何かの見間違いじゃないですか?」


 テオの思わぬ言葉に、ロザリーは思わず素っ頓狂な声を上げた。テオは動じることもなく、軽くため息をつく。


「あの時、あの場にいたのはお前だけだった」


 その場にいた当人であるロザリーには、到底信じられない言葉だった。詰め寄るようにテーブルから身を乗り出して、反論する。


「そんな! 私はあの時、女の人といて……名前も知らない人ですけどその人に話を聞いてもらってたんです」


 ロザリーの話を真摯に聞いてくれていた様子を思うと、異変の原因だと断定するのは少しロザリーには心苦しい。だが、女の最後の行動を思い返せば、心当たりはそれくらいしかなかった。


「確かにいたんです。私以外の……その女の人か、それ以外に原因があると思います」


「……埒が明かないな」


 テオが呆れたというように、椅子へと深く腰かける。ぎい、と椅子が軋み、テオはくしゃりと自身の頭をかいた。


「ひとまずお前の言い分を信じて、もう一人いたと仮定して話を進める。名も知らないと言っていたが、どんな女だったんだ?」


 話を振られたロザリーは、女のことを思い出そうとして、ううんと唸る。


「ええっと、すごい綺麗な人で、髪が長くて、お姫様みたいな格好をしてました」


「……もう少し具体的に」


 曖昧なロザリーの表現に、テオの表情が険しくなった。だが、それに気付かずロザリーは、ぽつぽつと思い出したままを口にする。


「ドレス、みたいな派手な服を着ていたんです。薄くてひらひらの。だから私、生徒じゃなくて先生の誰かなのかなって思ってて」


 この学院は、本人が希望し、魔法を使うことさえできれば殆どの人間が入ることができる。年齢も性別もばらばらだ。だが、学院内では生徒だと分かるように同じ服装を規定されている。だからロザリーは、ある程度の自由が許されている、面識のない教師だと思ったのだ。


「僕の記憶の限り、そんな教師はいない」


 しかし、テオはロザリーの言葉に首を横に振る。


「そうなんですか?」


 ますます誰だったのだろうかとロザリーが考えている間、テオはぶつぶつと思考に没頭し始めた。


「外部の人間かもしれないが、特徴や日時がはっきりしている以上絞りやすいはずだ。むしろそうじゃなかった場合ーー」


 ロザリーはテオの様子を窺い、自分はそろそろお役御免だろうかと肩を下ろす。が、急にテオが顔を上げた。


「お前、名前は」


「えっ、急になんですか!?」


 急に真っ直ぐ見つめられ、ロザリーは思わずびくりと体を震わせる。テオは気にした様子もなく、ロザリーに答えを促した。


「いいから名乗れ」


 テオの不遜な態度に、少しもやもやしながらもロザリーは口を開く。


「ロザリー・アネットです」


「そうか。アネット、僕の実験に協力しろ」


「え、ええっ!?」


 急な話に、ロザリーは思わず大きな声を上げてしまった。ぱちぱちと瞬きをしている間に、テオが話を続ける。


「僕はあの時起きた現象を突き止めたい。そのためには、お前の協力が必要だ」


 立ち上がったテオに、真っ直ぐ見下ろされる。整った顔の圧力は相当なもので、射竦められるようにロザリーは動けなくなった。


「まずはお前の言う女を探し、あの状況を再現する必要がある。協力しろ」


「わ、私には、あなたに協力する理由がありません……」


 震える声で何とか絞り出したのは、そんな言葉だった。緊張で戦慄く手を握り締め、その瞳から目を逸らし、俯く。


「私は……今朝みたいに目立つのは嫌ですし、勉強の邪魔をされるのも困ります……」


 辿々しいながらも、自分の意思を言葉にできて、ロザリーは息を吐いた。


「なら、お前にも利点を用意しよう」


「えっ」


 テオの切り返しに、びしりとロザリーは固まってしまう。引く気のないテオは、さらに言葉を畳み掛けてきた。


「取引で、僕ばかりの主張を飲めと言うのも無理な話だ。お前にとって、何が利となる? 僕に叶えられることなら飲んでやる」


 うんうんと納得したように首肯するテオに、ぶんぶんと両手を振って宥めようとする。


「そ、そんな急に言われても困ります!」


「なら、答えが決まったら授業後にここへ来い。いい返事を期待している」


 それだけを言うと、話は以上だと言わんばかりに、テオはまたどかりと椅子に腰を下ろした。ぽつりと取り残されたロザリーは、しばらく呆然と立ち尽くしたあと、逃げ出すように図書室を後にした。

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