第11話 彼女を育てたのは悪魔だった
6月11日
なんとか起きて、スマホの通知をオンにした。寝ている間は基本切るようにしている。重たい制服に着替え、一人で登校路を歩く。
6月らしく、雨音は傘を打ち、路面に小さな輪を刻む。冷えた風が制服の襟を刺し、隣に君がいない空虚さが肌に直に触れるようだった。
学校に着き玄関で靴を履き替えると、翔とちょうど会った。
「よ、佐久間。酷い顔してんな。」
「お互い様だろ、おはよう。」
「ははっ、全くだ。…やっぱ一人登校はお前も、見る俺も辛いぜ。」
「…あぁ。」
友と共に教室へ向かう、道中。廊下で一人の女子が駆け寄ってきた。
「あ、浅宮君…!!」
「古井…。」
古井の目の周りは化粧されていたが、目の下のクマがむしろ素顔を際立たせていた。声は震え、両手は小刻みに震えている。僕と同じくろくに寝られなかったのかもしれない。
「わ、私そこまでやるつもりじゃなかった。まさか自殺するなんて…思ってなかったのぉぉ…。うわぁあああん…ごめん…ごめんなさい…。」
僕に泣きついても、謝っても。モジに謝罪したことにはならないのに。モジをいじめた古井は泣き崩れた。きっとそうでもしなければ溢れる罪悪感を解放できなかったんだろう。
「おい古井、お前謝れば良いって問題じゃ…。」
「待った翔。…恨みはある。ただ救えなかった僕らには何か言える資格は…ない。」
「で、でもよ…。」
「古井、立てるか。教えてくれ。なんでモジをいじめたんだ。」
「…モジちゃんのお父さんがクリーンカンパニーの社長だって、知ってるわよね。」
「ニュースを見た。殺しを依頼した罪悪感から自首したって。」
「そう。…私のパパはクリーンカンパニーの子会社で働いてるんだけど、モジちゃんのお父さんが逮捕されて…会社の信頼は落ちるところまで落ちて…。私のパパ、会社リストラだって。お酒いっぱい飲んで…ママと喧嘩して。もう家族はぐちゃぐちゃ。」
「それで八つ当たりか。モジに。」
「…だって、知らなかった。狙われたのがモジちゃん本人だなんて。…ぐすっ。ごめんなさい。」
「ふぅ…もう良い。」
「きゃっ。」
無理矢理古井を突き放し、僕は教室へと進み直した。
翔もおずおずとついてくる。僕は机に座り、頭を抱えた。
「佐久間、気持ちはわかるが…。俺は古井のせいだって言いきれねぇよ。アイツだって被害者だ。」
「…んなことわかってる。」
イラついてる、対象は僕だ。全ての原点を辿れば、どうしても僕のあのモジのお父さんへの無意味な助言に繋がる。…いやもはや無意味とすら呼べないか。最悪な形で、最悪な連鎖を引き起こす意味を成している。
…ダメだ、今にも爆発しそうな憎しみの感情を抑えられない。古井に同じことをすれば、同じことが起こるだけ。古井も被害者だ、耐えろ…。
落ち着くには頭を回す方が良い。
6月8日、モジの家に泊まって明上から彼女を救ったあの裏で野山浩一郎は自首。
6月9日はモジも学校には行かなかった。
6月10日、古井の家庭崩壊。モジが自殺。
「…待った、モジのお母さんは?」
「なんだって?モジちゃんの…お母さん?」
「あぁ、モジのお父さんは自首したんだよな。なら…母親は?」
嫌な予感がした。
「今日モジの家に行く。」
「どうしてだよ、どうしたんだいきなり。」
「気になるんだ。…モジが言ってたんだろ、『これはね』って。もう片方のモジを追い詰めていた理由、もしかしたら…。」
モジの家庭も、崩壊してたんじゃないのか?
・・・
放課後、翔は無理言って置いてきた。あいつがいると天使を呼びにくい。モジの家のインターホンを鳴らしても何も返事はなかった。見た感じでは部屋も玄関先も誰かが来た様子はなく、警察はこの家に来ていない?
「誰もいないのか?」
「わんわん!」
「…お前はいるよ、わかってる。」
犬小屋の表札には『ニクキュウ』と書かれてる。どうなってんだネーミングセンス。明らかにモジだな。
「にしてもどうすっかな、ここで待ってるわけにもいかないし…。扉が開くわけ…。
ガチャ
「…………お邪魔します。」
既視感のあるこの感じ。家の中に入るのは色々いない意味で憚られたが、刻一刻と時間は過ぎていく。できれば巻き戻すのは最低でも48時間程度にしたい。
玄関のドアを開けると、家の中には生活音が吸い取られたような静寂があった。靴を抜くたびに、木の床が低くギシギシと鳴る。
「…異常はない…な。…ん?」
キッチンに入ると、机の上に何か紙が置かれていた。くしゃくしゃになっていたが、綺麗に伸ばされていた。
その紙はメモのようで、書かれている内容は正に…答えだった。
『お金持ってる人がいなくなったので私も別のところに行きます。じゃあね、モジ。お金は一応置いて言ったから。元母親より』
「……人間の方がよっぽど悪魔だ。」
モジはこれを見てなお、登校したのか?どうしてメールしてくれなかった。僕に…相談してくれてもよかっ…………おい、何してた。僕は。
「…寝てた。僕は。通知を切ってた。寝る時はそうしてる。…だから、モジの電話もとれ……」
スマホを取り出し、普段あまり見ていなかった着信履歴を確認する。
画面は淡いブルーに光り、年月日と時刻が整然と並ぶ。『54』という数字が、冷たく不自然に目に飛び込んだ。
「僕に登校路で、学校で相談するつもりで、僕はいなくて。そこに古井との喧嘩。母親の喪失。…………あれ、これだけ…いや3つだ。3件だけ、留守電が入ってる。」
1件をタップしようとして、再生ボタンを押す指が震える。スピーカーから流れる声は、距離と時間を越えて妙に近く、しかし取り戻せない温度を帯びていた。
[佐久間…なんで学校来なかったの?]
2件目
[電話なんで出てくれないの?……佐久間も私を捨てたの?]
…3件目
[…ごめん。せっかく、救ってくれたのに。]
54件目の不在着信の留守電話だった。時刻は12時55分。
ふと、キッチンの流し台を見ると水を漬けただけのお皿が1枚だけ。…まだ耐えられてはいたんだ。お母さんがいなくなって、お父さんがいなくなってもまだ。食パン1枚くらいは喉を通せたのかもしれない。
翔に対しての『これはね』。
古井のいじめ単体では耐えていられた。傷をえぐられるような気分だっただろうが、優しい君はやり返さず耐えた。自分に責任があると思ったから。
僕が送ったあのEINの返事。君は、何を思って『私も』と返したのか。
ようやくわかった気がした。
「…僕が君の背中を押したんだ。」
モジの気持ちも知らず、呑気にあんなことを。
崖を転げ落ち、腕一本掴んで助けを待っていた君の目の前で僕は…寝ていたんだ。
「…天使。」
「はぁい。お久しぶりですねぇ佐久間様。」
部屋の中が一瞬光って、天使が現れた。もう見たくもないこの取ってつけたような仮面の笑顔。まさかまた見ることになるとは思わなかった。
「…なんか上機嫌だな。」
「そんなことございません。空から全てを見ておりました。なんという悲劇、なんという不運!親にも親友にも、さらには貴方様にさえ見捨てられるなど、私涙で前が見えな
「おい!!!!」
「痛っ…。」
「……僕は見捨ててない。ふざけるのも大概にしろ。」
意味もなく世話しなくはためかせていた天使の腕をがっちり掴み強く握りしめた。今にも折れてしまいそうは細い腕だった。
もうこれ以上は、こいつを許せなかった。
「…え、えぇ。申し訳ありません。配慮が足りていませんでした。そんな怖い顔をしないでくださりませ…。腕も痛いでございます、はい…。」
投げ捨てるように天使の腕を放す。天使は少しよろけた。
「…また巻き戻してほしい。」
「も、もちろんでございます。貴方様のお望みとあれば。それで、今回は何を頂けるのでしょうか?」
「…。」
何かないか。2日でいい。登校すればそれで済む話…でもないが、モジを救うことはできるはずだ。
「…去年モジと行った祭りの記憶。」
あの日、モジはお祭りが楽しく高まったのか僕の手を握ってくれた。はぐれないようにと理由づけていたけど、彼女の浴衣姿に加えそこまでされて、有頂天になったのを思い出す。
「申し訳ありませんが、そちらの記憶はすでに頂いております。」
「ほ、ほんとかよ?!ならこの記憶は…一昨年?」
どうりでなんか幼すぎると思ったんだ。
「2023年8月31日の夜、お祭りの日ですね。それでしたら大体…24時間ほどでしょうかね。夜中だけのひと時で1日巻き戻せる大変すばらしい記憶でございます。」
「世辞はいらない。にしても24時間、一日か。」
今は6月11日の大体18時。一日戻ったところで、6月10日の18時。すでにモジは自殺してる。モジが自殺したのは6月10日の13時だが、できれば6月10日の登校時間、朝7時にはいたい。あと5時間か…。
「クソッ…29時間巻き戻れればな…。」
どうする。これ以上はこの悪魔に大切な思い出を渡したくない。
「あ、あの…佐久間様。」
「あ?なんだよ。」
「今一度、先ほどの配慮の無さを謝罪させてくださいませ。申し訳ありませんでした。」
「なっ…。」
天使はためらいなく、僕の前で土下座した。…こんなことできるやつだったのか。例え中身は悪魔でも外側が皮肉なことに天使様だ。流石に居心地が悪い。
「もういいよ、顔上げてくれ。」
「わかっております。もちろん言葉で許していただける話ではないと。ですので、サービスとして巻き戻す時間を29時間に延長して差し上げますわ!」
「い、良いのか?!」
まさかの棚ぼただった。こいつも優しいところあるんだな…。罪悪感とか感じるのか?何か裏があるんじゃ…。
「えぇ、ただしその…条件が…。」
「…殴っていいか。」
「おやめくださいそんな罰当たりな!これ以上思い出をもらう気はありませんって!そもそも巻き戻すには思い出のエネルギーが必要なのです。そこを私個人のなけなしのエネルギーを使い延長して差し上げるのですから、どうかお許しを…。」
「そうだったのか。」
大切な思い出であればあるほど、時間が長ければ長いほど巻き戻す時間が長いのは単にコイツの気まぐれではなくちゃんと理由があったんだな…。
なら、やる気はないが、もしモジの声やら顔を与えれば…日にち単位じゃなく、年単位で…?
「…まぁわかった。条件はなんだ。」
「その…悪魔と貴方様は面識がありますよね?」
「ナツメのことか?」
「そうでござます!私羨ましくてですね、悪魔がお名前を頂けたこと。ぜひ私にも名前を頂きたい!」
「それがエネルギーになんのか?」
「いえ、名づけがエネルギーにはなりません。ただ私のなけなしのエネルギーを使うその…元気づけと言いますか。なくなると私、死んでしまいますので…。」
「天使も死ぬのか!?」
「もちろん、手をお借りします。」
「は?」
天使はさっき僕が乱暴に腕を奪った時とは反対に、優しく手を持ち自分の胸にぎゅっとつけた。ふにゅっと柔らかい感覚が脳を刺激する。
「心臓がありますでしょう?私はしっかり生きて…
「ば、ば、馬鹿か!?胸触らせるなよ!?」
「おや?貴方様の心臓もドキドキですか?ふふふ。」
「この野郎…。」
「私は野郎では
「わかった、わかった。聞いたよその話。で名前だっけか。うーん…。」
ナツメに合わせるならまた小説家から付けるか。
「…カナエなんてどうだ。可愛い名前だろ。」
一応、この天使。趣味は悪いが僕の願いを叶えてはくれている。日本の小説家から取った名だが、そういったニュアンスも含めカナエにしてみた。
「まぁまぁまぁまぁ!なんと素敵な響きでしょう!佐久間様、私これからはカナエとして生きていきます!心から感謝を述べますわ。」
「オーバーだな。…ほら、良いんなら時間戻してくれ、カナエ。」
「えぇわかりました。ふふふ、貴方様に名付けられた名前を貴方様に呼ばれる。こんな幸せな事ありますかぁ?」
「おい、また調子乗ってんのか。」
「あ、い、いえぇそんなぁ。すぐに戻しますから。えぇえぇそれはもうすぐに。こほん、コホンコホン!ではでは…」
家の中だからか、カナエは少しだけしか浮かなかった。それでもあの手を回すような仕草は欠かさないらしい。
「では、そちらの2023年8月31日。『野山モジ様と共に過ごしたお祭りの思い出』を犠牲とし、時間を巻き戻させていただきます。」
「おう…。もう2度と会わないよう願うぜ、カナエ。」
「寂しい事をおっしゃらないでください。では、いってらっしゃいませ。」
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