呪胎転生~天才呪祓師は、生まれた瞬間から世界を呪っていた~

みんと

第1話 月光


 雨が降っていた。

 窓を叩く無数の水滴が、まるで悲鳴のように響いていた。

 まるでこの世界のどこかで、誰かが死んでいるような音だ。


 ――いや、そんなのはきっと常にどこかで日常的に起きていることなんだ。

 死なんて、ありふれている。

 

 俺の人生が、そうだったように。


 暗い部屋の隅。

 灯りはない。いや、つけていないだけだ。

 この腐った世界の明かりなんて、もう見たくなかった。

 蛍光灯の白さが、あまりにも“平和”すぎて腹が立ったから。

 割って捨てた。


 この部屋には、誰もいない。

 いや、誰も“来ない”と言ったほうが正しい。

 来る理由も、来る価値もない。

 俺自身が、そういう存在だった。ずっと。

 ずっと、

 ずっと……。


 藤原ふじわら縁生えんせい

 俺の名前。もうすぐ必要なくなる名前。

 俺の名を呼んでくれたのは、あの子だけだった。

 俺のたった一つの、救い。


 ……だった。


 思い出すたび、胸が焼けるように痛む。

 それでも、忘れたくない。

 忘れてしまったら、俺の中に何も残らない。

 あの子のことを覚えているのは、もう俺だけだろうから……。


 あの家で育った記憶は、全部黒い。

 父親は“父親”じゃなかった。ただの怪物だった。

 怒鳴る。叩く。蹴る。泣いても意味なんてなかった。

 母親は、空っぽの人形みたいに黙っていた。

 俺のことなんて見ていなかった。

 あの人の目に映っていたのは、ただの空虚な自分だけだった。


 痛かった。

 寒かった。

 怖かった。


 だけど、それでも生きていられたのは――妹がいたからだ。


 紗良さら

 小さな、小さな手で、俺の袖を引っ張って、笑ってくれたあの子。

 俺の帰りをいつも待っていてくれた。

 俺の傷に気づいて、小さな手でそっと撫でてくれた。


 あの時、心から思ったんだ。

 ――この子のために、生きなきゃって。


 たとえ自分が壊れても、紗良だけは守ろうって。


 ……なのに。


 どうして、俺じゃなくて、あの子が。


 なんで“あんな奴ら”に、命を奪われなきゃならなかったんだ。


 それは突然だった。

 放課後の帰り道、何気なく目を離した一瞬で、紗良は姿を消した。

 捜しても捜しても見つからず、警察に届けても動いてくれなかった。


 一日後、彼女は遺体で見つかった。

 乱暴され、殺され、捨てられていた。

 やったのはわけのわからない頭の悪そうな、幸せそうな高校生のガキども。

 許せないよな……。絶対に。

 しかも、ガキどもは上級国民の子供で、しかも未成年ということもあって、なぜか不起訴になり、報道もされなかった。

 証拠不十分なんだとよ。

 絶対、あいつらがやったに決まってるのに……。

 

 そのとき、何かが切れた。


 怒りも、悲しみも、悔しさも――全部呑みこんで、俺は笑った。

 酷く乾いた、音のない笑みだった。


 この世界は、終わっている。

 クソだ。はっきり言って。

 誰も彼もが、他人の痛みに無関心で、自分だけを守ろうとしている。

 正義も希望も、幻想だった。

 

 神様なんていない。

 正義も、救いも、幻想だった。

 この世界は間違ってる。

 間違ってるんだ。

 どうしようもないくらい、歪んでいる。


 俺は何度も足掻いた。助けを求めた。

 だけど、誰も見てくれなかった。

 見て見ぬふりをして、日常を続けた。

 笑ってた。普通に生活してた。


 ふざけんなよ。

 ふざけんなよ。

 俺の妹が死んだってのに、お前らは……!


 俺だけが壊れていく世界の中で、

 お前らだけが“まともなふり”して生きてんじゃねぇよ。


 この世界が間違ってるんじゃないって?

 俺がおかしいだけ? ああ、そうだよ。おかしいんだよ。


 ……だったらな。

 俺はこの世界そのものを、呪ってやる。


 人間の優しさも、正義も、希望も。

 全部全部、嘘だった。

 嘘に騙されて、生きようとした俺が、バカだった。


 静かに立ち上がる。

 窓辺に寄る。

 冷たいガラスの向こうに、濡れた夜の街が広がっていた。

 灰色の景色。

 心を閉ざした人々の街。

 誰もが他人に無関心で、自分だけが安全な場所にいると信じてる街。


「……沙良が死んだ世界に、俺が生きている意味なんか、あるかよ」


 呟いたその言葉に、誰も返事はしない。

 ただ、雨音だけが激しく窓を叩いていた。


 犯人の連中を殺してやりたいと思ったこともある。

 けど、探しても連中は見つからなかった。

 見つけたとしても、俺にそれができたかどうか……わからない。

 俺は、ひどく臆病だから……。

 俺には、なんの力もない。

 沙良を守れなかったんだから……。

 ……。


 だったら、こんな命に、価値なんかない。


 窓を開けると、冷たい空気が肌を刺した。

 ビルの谷間を縫うように、夜の風が吹き抜ける。

 遠くの街灯が、ぼんやりと滲んで見えた。

 目の前に広がるこの街が、まるで水底のように、音もなく沈んでいく。


 高層階の非常口の柵を越え、足をかける。

 ほんの少し、体を傾ければ、終わる。


 あっけないものだと思った。


 死ぬことなんて、こんなにも簡単なことだったんだな。


 何年も、何十年も苦しんできた人生が、

 この一歩で、全部終わるんだ。


 それでも――俺の中で、何かが燃えていた。


 それは、憎しみだった。


 恨みだった。


 呪いだった。


 妹を失った喪失。

 無関心に満ちた社会。

 見て見ぬふりをした大人たち。

 正義を語りながら、何もしてくれなかった教師。

 無能な警察ども。

 俺をただの“問題児”と切り捨てた福祉。

 俺を産んだ親。

 こんな世界を創った神様。


 全部、全部、呪ってやる。


 祈りなんかじゃない。

 これは“呪い”だ。

 全部、ぶっ壊す。


 死んでも、俺のこの思いは終わらない。

 どこまでも追いかけて、喰らい尽くしてやる。

 世界ごと。


「――ふざけんなよ」


 唇が震える。

 歯を食いしばって、喉の奥で絞り出した声は、

 呪詛のように重く、苦く、黒く染まっていた。


「俺がどんな気持ちで生きてきたか、知らねぇくせに……!」


 死ぬのは怖かった。

 本当は、怖くてたまらなかった。

 でも、それ以上に――

 この世界でこれ以上生きる方が、ずっと怖かった。


 俺が壊れていく音が、ずっと聞こえていた。


 それなのに誰も気づかなかった。

 誰も手を伸ばしてくれなかった。


 だったらもう、いい。


「……さよならだ、クソみてぇな世界」


 足を踏み出す。


 空が、落ちてくる。


 重力に引かれて、俺の身体が闇に溶けていく。


 目を閉じた。

 風が耳を裂いた。

 身体が浮いたような感覚に、少しだけ自由を感じた。


 ああ――


 これで、ようやく、終われる。


 そう思った、その瞬間だった。


 何かが、胸の奥で“灯った”。


 それは熱ではなかった。

 冷たい。

 けれど、どこまでも深く、どこまでも強い。


 まるで……世界そのものに噛みつこうとする、黒い炎。


 視界が、反転した。

 空も、ビルも、雨も、音も、全部が消えていく。


 代わりに、俺の内側で、何かが“始まる”気配がした。


 これは――終わりじゃない。


 呪いは、死では終わらない。


 呪いは、世界に爪を立てて、なお生き続ける。


 その瞬間、俺の魂は、再び“生”を与えられた。


 だがそれは、祝福などではなかった。

 これは、俺に与えられた“罰”だった――。



 ◆

 


 雷鳴が、空を裂いた。


 黒雲が月を喰らい、うねるような稲光が夜空を引き裂く。

 雨一つ降っていないのに、空気は濡れていた。

 重い。

 まるで空そのものが、何かを恐れて身を震わせているかのように。


 その晩、仇神あだがみ家に第一子が生まれた。


 時刻は真夜中。

 誰もが眠りに落ち、夢の底で現実を忘れるはずの時間。

 しかしこの夜、静寂という安らぎは許されなかった。


 産声が、雷鳴と重なるように響いた。


 その声は、あまりにもはっきりと、まるで断罪の鐘のように部屋の中に鳴り響いた。


 ――仇神あだがみ縁呪えんじゅ


 その名を得ることになる赤子が、世界に生まれ落ちた瞬間だった。


 月が、不気味に輝いていた。

 まるで全てを見下ろすかのように、蒼白く、冷ややかに。


 それはもはや“月”ではなかった。

 闇夜の頂に君臨する、漆黒の王冠を戴いた『夜の嬢王』。

 あの光は祝福ではない。

 それは、世界が“何か恐ろしいもの”の誕生を察知したときにだけ浮かぶ、警告の光だ。


 空を滑る稲妻が、産室の窓を一瞬照らした。

 光に照らされた赤子の瞳は――まだ見えぬはずのその双眸は、明確な“意志”を宿していた。


 怒り。

 恨み。

 拒絶。

 そして、呪い。


 泣き声ではない。

 それは“呪いの詠唱”だった。


 取り上げた助産師が、思わず腕を震わせる。

 何か、何かが違う。この子は、普通ではない――否、“人”ですらないのではないかと、本能が叫んでいた。


 しかしその傍らで、母は涙を流し、笑った。


「……産まれた……産まれてきてくれた……!」


 彼女の頬には喜びが滲んでいた。

 その横で、父親は静かに赤子に手を伸ばす。

 掌に感じたその体温の中に、“尋常でない禍糧のうねり”を感じ取ると、ふっと笑った。


「……こいつは、凄い。間違いない。この子は……最強の呪祓師になる……!」


 祝福の言葉の中に、明らかな期待と、うっすらとした畏れが混じっていた。

 この世に何を齎すのかも知らぬまま、

 仇神縁呪という“災厄”は、静かに産声を上げたのだった。



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