ハルとネコ

鹿ノ杜

第1話

 昨日、ぼくをおそったもの。それは激しい腹痛だった。

 高校へと向かう朝の電車の中で、あまりにも唐突な来訪だった。脂汗がにじむとはまさにこのことだ。

 電車はゆっくりと速度を落とし、ホームへと穏やかに滑り込んでいく。降りる駅はまだ先だったが、迷わず下車した。トイレに行きたかった。

 なすべきことをなし、ぼくは晴れやかな気分でホームに戻った。電車を待つ人の列に加わり、雨よけの屋根の向こうに広がる青い空を見上げた。連日の雨模様は一転、やわらかに晴れ渡り、温い風が吹く。春の祝福だった。

 ぼくの隣に制服姿の女子が並んだ。見覚えのある顔、というより、クラスメイトだった。クラス替えをしたばかりだったから、名前をすぐには思い出せなかったけれど、目が合って、目が合ったから、思い出した。

「あ」

 ネコヤカスミを目を丸くして、ぼくを見上げた。

「この駅なんだ」

 と、ネコヤは言った。珍しい名前だったから、記憶に残っていた。

「いや、家はもう何駅か向こうなんだけど」

 ぼくの返事にネコヤはわずかに首をひねる。ぼくの顔をじっと見つめるネコヤの大きな瞳を前に、なぜだか慌ててしまった。

 目を逸らすと小高い丘が見えた。斜面に沿って続く春色の並木が目に優しかった。

 ぼくは丘を指さしながら、

「この駅には、桜を見に」

 変なウソをついてしまった。

「学校、行く前に?」

 ネコヤの視線がぼくの指の先を追った。

「そう。この季節だけ、ぼくは早起きなんだ」

「早起き……」

 電車がホームにやってきて、ぼくたちの視界を遮った。周囲に押されるように慌ただしく乗り込んだ。

 ぼくの取り乱した心ごと乗せて、車両は進んだ。ネコヤとその後も何か話したような気がするけれど、あまり思い出せない。

 翌朝、ふと思い立ち、駅のホームから見つけた桜を見に行こうと思った。

 いつもより何本か早い電車に乗った。歩いてみると、丘は駅からすぐの場所にあった。ジョギングをする人、犬の散歩をする人、多くはないが人通りがある。朝のひと時を楽しもうという共通項の中で、みんな親切そうな表情を浮かべていた。

 丘は実際には公園として整備されていた。入口からなだらかな階段が続き、階段に沿って桜並木が人々を出迎えるように咲き誇っている。桜は今が満開だ。

 階段を上りながら春を浴びた。朝の日差しも桜を通して色づいていた。

 気づけば、上り切ったところに制服姿の女子が立っている。

「たまには早起きもいいね」

 ネコヤが、まぶしいのか目を細め、ぼくを見ていた。

「ねえ、向こうに、この公園の主みたいな桜の樹があるんだよ」

 はしゃいでいるようにネコヤは歩き出した。


(ちょっと続きます)

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