恋と観測のあいだで:量子愛アンソロジー

Lunetheia(ルネティア)

第1話 君と重ねた式は、まだ解かれていない

《恋と観測のあいだで:量子愛アンソロジー》


登場人物: ・蒼月セリア(19)――量子計算の天才。飛び級で研究所に所属する少女。 ・如月ユウ(22)――彼女の研究助手。おっとり系だが内に理系の情熱を秘めている。



 静かな電子音だけが、白い研究室の中に響いていた。


 蒼月セリアは無言でスクリーンに浮かぶ数式と格闘していた。指先で空中をすべらせながら、ホログラムのグラフを次々と呼び出し、次元を超えた思考の波に乗っている。


「……セリアさん、こっちの補助データ、解析済みです」


 背後から届いた低い声。助手の如月ユウは、淡々とした声色で端末を差し出す。


「そこ、置いといて。干渉が起きるから」


 目を逸らさずにセリアは言う。ユウは微かに苦笑しながら、端末をそっと台に置いた。


 彼女との距離は、いつも正確だった。45センチ。それ以上近づくと、セリアは必ず『干渉が起きる』と言う。まるで自分自身が実験中の量子であるかのように。


 だがその日。


「……あ、ごめ──」


 セリアの手が伸びた瞬間、ユウの指先とわずかに触れた。


 わずか、数ミリ。


 しかしその瞬間、微かな静電気のような“反応”が、空気に走った気がした。


 ふたりは、同時に手を引っ込める。


「……観測された、かも」


 セリアの声は、明らかに揺れていた。


「え?」


「……な、なんでもない」


 そこからセリアは、妙によそよそしくなった。いつも通りの冷静な表情。しかし、どこかぎこちない。


 数日が過ぎたある夜。


「セリアさん……避けてますよね、俺のこと」


 ユウがぽつりと切り出すと、セリアは目を伏せたまま呟いた。


「……だって……あなたを、観測してしまったかもしれないから」


「え……それって、好きって意味で……?」


 セリアは顔を上げ、静かに頷いた。


「量子って、不確定な状態でいられるから、自由でしょ? でも観測されると、ひとつに定まっちゃう。……恋って、似てる気がするの」


 ユウは一瞬だけ黙った。


 そして、そっと彼女の手を取った。


「じゃあ──俺にも、観測させてください」


 その手の温度が、どこまでも静かで、優しかった。


 セリアは、少しだけ目を潤ませながら、微笑んだ。


「……確定しちゃった、かもね」


「でも、それも悪くない未来ですよ」


 ふたりの手が重なったまま、ホログラムの画面に浮かぶ式が、静かに一つの解を結んだ。

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