鶴矢先輩と僕の日常 ~文芸部だけが、季節に気づくのがすこし遅い~
黒川優荷
第1話 桜を見に行くつもりだった
桜が咲いていると聞いた。
誰が言ったかは忘れたけれど、多分、天気予報じゃなくて、クラスの誰かのSNSだった気がする。
それを見た僕は、なぜかスマホを閉じて、学校の帰りに、鶴矢先輩を誘った。
理由は特にない。
いや、あったかもしれないけど、今となってはうまく言葉にできないから「特にない」ということで済ませておく。
「へえ、私を桜に誘うなんて、君もまた風流だね」
鶴矢先輩は、いつも通りの調子でそう言って、断るでもなく、当然のように僕の隣を歩いていた。
僕の“風流”は先輩と歩くことでギリギリ保たれている、そんな気がした。
春の風は気持ちよかったし、日差しも柔らかかった。
だけど、それも束の間。
「……あれ、これって降ってる?」
鶴矢先輩が空を見上げる。
僕もつられて見上げる。そこには、空。雲。灰色。雨の予感。
そして――予感に裏切られることなく、冷たい一滴が、僕の鼻先に落ちた。
「ふふ、タイミング最悪だ。やっぱり君って、そういう星の下に生まれてるんだね」
そう言われて、反論できるほど僕は強くない。
急いで近くの神社へ駆け込む。
屋根のあるところまで、ふたりで、ちょっとだけ必死に。
ふたりして笑ってるあたり、わりと楽しかったのかもしれない。
「ふぅ。間に合った。服はギリギリセーフ」
鶴矢先輩は、濡れた前髪を指先で払ったあと、神社の縁側に腰を下ろす。
僕もその隣に座る。近すぎず、遠すぎず。たぶん、ちょうどいい距離。
「君、わざとじゃないよね?」
「わざと雨を降らせる能力は、持ってないです」
「そっか、安心した」
先輩は笑う。声にはしないけど、ちゃんと笑っているのがわかる笑い。
「でも、悪くないよ。こういうの。花を見に行くはずが、雨を見てるっていうのも。
ねえ、“雨見”って言葉はないのかな」
「なさそうですね」
「じゃあ、私たちが今つくろう。世界初の“雨見”。君と私の共同発明だよ」
たぶん、他の誰かがとっくに思いついてる気がするけど、否定はしない。
鶴矢先輩といるときだけは、そういうのは言わないって決めてる。
「でも、せっかく弁当作ったのに、花の下じゃ食べられないね」
「……神社の屋根の下じゃ、ダメですか?」
「ダメじゃないけど……“風流”って言うにはちょっとハズレかな」
そう言って、鶴矢先輩は僕の顔をちらっと見た。
たぶん、僕が落ち込んでないか確認してくれたんだと思う。
それに気づいて、なんだか胸があたたかくなった。春のくせに。
「じゃあ、来年またリベンジしようか。
花の下で食べられたら、今日のこの“雨見”も、きっと報われる」
「来年も、一緒に?」
「当たり前でしょ」
雨はまだ止まない。
でも、止まなくてもいいと思った。
だって今、鶴矢先輩はちゃんと僕の隣にいて、
花より雨より、僕はそのことがいちばん嬉しかったから。
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