第2話 騎士はやめたけど、守護者だそうです



村の外れに着いたときには、魔物が畑を荒らしていた。

黒く濁った犬のような獣――“瘴狼しょうろう”。

村の守備隊じゃ手に負えない、少し厄介なやつだ。


「はぁ……まったく、のんびりさせろっての」


俺はため息ひとつ。

背中に背負った黒剣を取り出し、鞘から抜いた。


風が止む。空気が澄んでいく。

“チューニング”の前兆だ。


「……一回だけだぞ」


剣先を魔物に向け、静かに構える。


一瞬の静寂。

次の瞬間、空間が歪んだ。


風の流れがねじれ、光がひとすじ。

魔物の姿は、何の音も残さず――すっと掻き消えた。


「……調律、完了」

風が戻り、草の葉がわずかに揺れた。

魔物の気配も爪痕も、まるで最初から“なかった”かのように。


胸の奥にざらつく感覚が残る。魂をすこし削られたような、冷たい感触。


(あぁ、やっぱ気分悪ぃ……)


ふと足元を見ると、白猫のシロップがいつの間にかいた。じっと俺を見上げて、ひとつ小さく鳴く。


「……おまえもいたのかよ」


しっぽをゆらりと振って、シロップは俺の足元にすり寄る。その姿に、ほんの少し、心がほどけた。


「る、ルークさん……今のは……奇跡?」


声をかけてきたのは、後ろからこっそり見ていた村の若い農夫だった。


その声と表情には驚きが張り付いている。


「ただの剣術だよ。見間違いだろ」


俺はさらりと嘘をつく。


「そ、そうですか……でも、あんなに静かに魔物が消えるなんて……」


「気のせいだって」


追及される前に、その場を立ち去る。

面倒事は、最小限に限る。




家に帰ると、シロップが俺の腹に飛び乗ってきた。


「……重いぞ」


返事はない。ただ、どっしりと陣取って目を閉じる。


(あー……疲れた)


このまま静かに昼寝して、また明日も静かに過ごして――それが、俺の望む唯一の“平穏”だ。


けれど。

その日の夜、村の井戸端会議で噂が少しだけ広がったらしい。


「今日の魔物、誰が退治したのかしら」

「騎士団でもないのに……なんか、不思議な倒し方だったって」


そんな小さな声が、どこかで、じわじわと転がり始めた。


まだ、“神”という言葉は使われていない。

けれど、それが口にされるのも、時間の問題だった。


翌朝。

俺はゆるっと起きて、いつものように川沿いで顔を洗っていた。


「ルークさん!」


背後から声がかかる。振り向けば、パン屋の娘ナナが袋を抱えて立っていた。


「おはようございます。今日の朝パン、持ってきましたよー!」


「……ありがとな。悪いな、毎朝」


「いえいえ! “村の守護者”様には毎朝の栄養が大事ですから!」


「やめろ、“守護者”とか変なあだ名つけんの……」


「えっ? だって昨日、魔物やっつけたって噂に……」


「やっつけてない。消しただけだ」


「……余計すごいですよ、それ」


「“守護者”って、誰が言い出したんだそれ」


「えー……ナナです!」


ナナはケラケラと笑いながら、包みを俺の手に押しつけてくる。

バターと小麦のいい匂いが広がって、気持ちも和む。


「ふかふかパンと、特製ハーブスープ。おまけで焼きリンゴも入ってます!」


「それおまけの量じゃねぇな……」


「はい、感謝の気持ちです!」


ナナの笑顔は、変に気取ってなくて、素直で明るい。


誰かの期待じゃなく、自分の意志で誰かに何かをしてる。そういうとこが、妙に心地いい。


「……静かに、こうして暮らしてくのが、一番だな」


「うん、そうですね!」


ナナがにっこりと頷く。


そうだ。こんなふうにパンをもらって、猫と昼寝して、釣った魚を炙って食って――

そういう毎日を、誰にも邪魔されずに送っていきたいだけなんだ。


(……もう、こき使われるのはゴメンだ)


空を見上げて小さくため息をつくと、

シロップが俺の足元で「にゃー」と鳴いた。


今日こそ、絶対働かんぞ――。


……たぶん、それでもまた働くハメになるんだろうけど。


俺の、ささやかな願いは。

それでも、願わずにはいられない。


だって、今はまだ――

ナナのパンと、春の陽射しと、猫のぬくもりに包まれているんだから。


……ただ、心地よく、あたたかい。

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