第31話 先輩!理世さんに会えました!


「さっちゃん!」


 15歳然としてまだ少女めいた細い指。それがすっと伸ばされ、建早に抱き着く。


「り、せ……?」


 建早が、信じられないものを見る目で理世を見つめながら呟いた。


「理世!」


 もう一度、建早が理世の名を呼ぶ。その腕が背中に絡み、二人はしっかりと抱擁しあった。彼女の力なのか、記憶と自我が、じわじわと戻って来る。


「やっぱりさっちゃんだ!どうしたの?どうやってここに来たの?彼は葦原くん?」


 理世が矢継ぎ早に質問する。建早は、その手で理世を抱きしめながらしどろもどろに答え始めた。


「理世、俺たちは理世を取り戻すためにここへ来たんだ。こいつが……ああ、この葦原が助けてくれて、ここへ来られた。葦原を知っているのか?」

「ずっと、さっちゃんのことは観測してたから……彼のことも知ってる」


 理世が、葦原にゆっくりと手を差し伸べる。葦原も、おっかなびっくり手を伸ばす。二人の指先がふれあい、結ばれ合った。

 その瞬間、葦原の中に濁流のように記憶が蘇った。崩壊しかけた自我が再び組み込まれ、記憶の中に立ち上がる。

 理世との出会った日。新人世界観福祉士として福祉局に着任した日。建早と、出会った日。

 その全てが、実感を持って葦原の目の前に広がった。


「理世さん!」


 葦原が、感激に潤んだ瞳で理世を見つめながらその手を握りしめ返した。温かいぬくもりが理世に伝わり、彼女の肌に熱が移る。理世の頬が、喜びで上気した。


「葦原くん、だね」

「はい……葦原です」


 葦原の声が震えた。感情があふれ、言葉が喉元で絡まる。消えかけていた自我が収束して、形を作っていく。


「あなたに会いたかった……大きくなったんだね……」

「はい……はい!」

「ずっと見てたよ……公園で出会った子だってわかった時、嬉しかった……」

「お、俺も嬉しいです!」


 理世の指先が、そっと葦原の頬をなぞった。まるで彼が現実にここにいることを、何度でも確かめるように。


「君の中に、ちゃんとあの日の記憶が残っていたんだね……ありがとう」


 葦原は何も言えず、ただその言葉に頷く。胸の奥に熱いものが込み上げてきて、視界が滲んだ。


「……帰ろう、理世」


 建早が言った。


「もう十分だ。お前は……十分、ここで耐えてきた。俺たちは、理世を連れ戻すためにここに来たんだ」

「でも……簡単には帰れないかもしれない」


 虚無界の空間が、わずかに震えた。周囲の闇がかすかに揺れる。


「……気づかれたみたい」


 次の瞬間、彼方から足音が響いた。無音だったはずの虚無界に、確かな音が差し込む。それは一歩ごとに重く、空間を縫うように近づいてくる。


 光のない虹色のような揺らぎとともに、それは現れた。

 白銀の髪、透明な瞳。少年のような顔立ちをした、監視者の使者。

 イツキ。


「ようやく会えたね。理世、建早くん」


 彼がふわりとお辞儀をする。


「葦原くん、こんにちは」


 イツキは、まるで長年の友人と再会したかのように、穏やかに微笑んでみせた。


「……来やがったな」


 建早がすぐに身構える。


「お前たち監視者の目的は……」

「秩序」


 イツキは、静かに、そして断言するように言った。


「世界が<共感>と<観測>の暴走に飲まれぬよう、バランスを保つこと。それが僕たち監視者の存在理由」

「そんなもののために、理世さんを閉じ込めたのか?」


 葦原の声は怒りに震えていた。


「理世は……あの夜、自らの意志でこちらに来たんだよ。世界を壊さぬように」

「でも……!」


 葦原が一歩前に出る。


「理世さんの世界観は、誰かを壊すためのものじゃなかった!俺は……俺たちは、その世界観を美しいと思ったんだ!」


 イツキは一瞬だけ目を伏せた。静かに、だが明確に言う。


「君たちは、彼女の帰還が引き起こす波を、想像できていない。世界観が再び交錯すれば、秩序は崩れる。君たちが知っている現実は、保てなくなるんだ」

「なら、変えよう。俺たちで、支えよう」


 建早が一歩、理世の隣に立つ。


「理世の存在を受け入れた上で、バランスを取り直す。それが世界観福祉士の仕事だ。……違うか、葦原?」

「はい、先輩」


 二人は、理世を挟んで向き合う。

 理世が、その手を、ふたりの手に重ねた。


「私は……帰りたい。私の声を、もう一度誰かに届けたいの。誰かに、聴いてもらいたいの」


 その言葉とともに、虚無界の空間がきらめいた。

 それは、認知の誕生の瞬間だった。意味のない存在に、意味が与えられる瞬間。


 イツキはしばらく黙っていたが、やがてひとつため息をつき、背後の闇に目をやった。


「……ならば、試験をしよう。彼女が本当に帰っていい存在なのか。監視者本体が、それを見極めに……来る」


 虚無界の底が、軋むような音を立てた。

 闇が、光を食むようにして広がる。


 監視者本体……その姿が、世界の理そのものをねじ曲げながら、近づきつつあった。

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