第16話 地獄からの生還者

 壊れて光らない街灯が並ぶ薄暗い通りを二人で警戒しながら進んでいく。とおる高槻遼たかつきりょうが戻ってくるかもと心配していたが、そんな気配は感じられない。


 れいはしっかりと燐火りんかの手を握って、何かあった時は逃げ出すつもりで周囲へ視線を走らせている。


「そろそろ、手を離してもらえないだろうか?」


 そんな怜の気持ちとは反対に、燐火は怜を見ないで言う。最初に手をつないだ時はしっかりと握り返してくれたのに、今はもう燐火の手は開かれている。


「さっきはウチの胸に抱きついてくれたのに。人間社会への潜伏で女子大に通ってるんだけど、あんな風に抱き合ってる女の子がときどきいて、ちょっと憧れてたんだよね」

「さっきのは魅了にかかっていた影響だ。もうなんともない」


「ウチのことお兄ちゃんって言ってたよね。仲良いんだ」

「あぁ。優しくて、私の自慢のお兄ちゃんだった」


 燐火は星の輝く夜空を見上げて懐かしむように言った。その表情に怜は話題を間違ったとはっとする。だが、一度始まってしまった話はもうなかったことにはできない。


「どうして正義のために戦うのかとレヴィアさんは聞いていた。私が戦うのは兄を見殺しにした自分への罪滅ぼしのためだ」


 燐火は怜の他には誰もいないのに、腕を胸の前に縮こめて隠しながら制服の袖をゆっくりとまくり上げた。


「あまりおもしろい話じゃない」


 燐火の左腕には大きな切り傷を縫合した跡と黒ずんだ火傷の跡が痛々しいほど広がっていた。いつもの厨二発言とは違う。本物の痛みを乗り越えてなお、燐火の体に残った傷だ。


「小学三年生の時だった。家族で初めての海外旅行に行ったんだ。初めて飛行機に乗って、窓から雲が流れるのをずっと見ていた。そうしたら翼から急に炎が上がったのが見えて、すぐに大騒ぎになった。私は何もできなくて、母に言われるままに頭を抱えて体を丸めていた。

 次に見えたのは一面炎の嵐が吹き荒れる地獄だった。血を流して助けてと泣き叫ぶ声。炎に包まれて転げまわる人。そんな光景からお兄ちゃんはレヴィアさんと同じ言葉をかけてくれた」


「見なくていいよ、って」


「お兄ちゃんも背中に大きなケガを負っていたはずだ。本当は痛くて痛くて叫びたかったはずなのに、最後まで私を勇気づけてくれていた。お兄ちゃんのおかげで、みんなと一緒に死ぬはずだった私は地獄から這い出して生き延びることができた」


 燐火の声には喜びはまったく感じられなかった。むしろ生き残ったことを悔やんでいるように聞こえた。


 大学で受けた一般教養の心理学の授業で聞いたことがある。

 サバイバーズギルト。大きな事故や災害で多くの人が死んでしまった中、生き残った人間はどうして自分も死ななかったのかという罪悪感にさいなまれることがある。


「いや、あの時私は死んだんだ。弱くて守られるだけの私はあの時死んだ。今の私は煉獄れんごくの炎から罪と正義の義務を負って生まれた黒羽燐火くろはりんか。『闇に飲まれよアビス・サバイバー』黒羽燐火だ」


 燐火の声は低く沈んでいたが、悲壮感は感じられない。別人の物語を読んでいるような冷静さが燐火の心の複雑さを示しているようだった。


「そんな辛い話、ウチに話してくれてよかったの?」

「レヴィアさんが能力を隠していることはわかっている。私も天麻も芽衣も。みんなの能力はそれぞれの過去に関係している。レヴィアさんが話したがらないのは過去に何かあったんだと思ったんだ。レヴィアさんは私を守ってくれた。ならば、今度は私が守る番だろう」


 燐火はそう言いながら怜の手をためらいがちに握った。


「大丈夫。ウチの仲間は秘密を知っても変わらないでいてくれるはずだから」

「もし裏切られたらレヴィアさんも魔法少女にならないか?」

「いや、ウチは少でも女でもないから」


 燐火はどのくらい本気かわからない口調で誘ってくる。燐火の手はさっきよりもしっかりと怜の手を握っている。その温かさを噛みしめながら区役所へ遠回りしながら急いだ。


 前にジュダをおびき寄せるために使った放送室に入ると、天麻が燐火に飛びつくように抱きついた。


「燐火! 無事でよかったよぉ」

「大丈夫だ、私の煉獄の炎に敵はない」

「そんなこと言っていつも血を見たら倒れちゃうんだから。心配だったよー」


 天麻と燐火の会話は今まで怜が聞いてきたものと変わりはない。しかし、燐火の事情を知るとその言葉の意味を深読みしてしまう。不安げに見ていると燐火と目が合った瞬間に微笑みが返ってきた。これが彼女たちの関係なのだ。


「無事に帰ってきたんだから少しは喜びなよ」

「うーん、ウチはあんな風に歓迎してもらえないのかなー、ってね」


「僕がそんなことするわけない」

「知ってるって。抱きついてきたら張り倒すし。それよりウチ、魅了の解き方わかっちゃったかも!」

「へぇ、一応聞くよ」


 まるで期待していない、という口調で徹は放送室の机に腰かける。気だるげな徹の目が驚きで飛び出すのを想像しながら、怜は指を鳴らす。


「さっき燐火がウチの魅了にかかっちゃったのよ」

「ちょ、燐火を狙ったんか?」


「違うって。ウチは何もしてないのに勝手にかかっちゃったんだよ」

「何もしてないのに壊れたっていう言い訳は一番信用できない」

「トールはどっちの味方なの?」


 今にも怜に飛びかかろうとする芽衣を天麻と燐火が両脇から抑えているうちに怜は言葉を続けた。


「燐火が魅了にかかった時、ウチのこと女の子みたいって言ってて。戻った時はウチのことをお兄ちゃんって言ってたの。ウチの能力はウチを男だと知ってる相手には効かない。でもウチを男だと知っていても信じてない人には効果が強化されるんじゃないかな」

「毒が裏返ったって感じかな?」

「毒が裏返るってなんなんよ。意味がわからんわ!」


 芽衣の怒り混じりのツッコミが防音された放送室の中に響く。しかし、芽衣以外には誰も疑問に思っていないようで、反響が消える前に話は進んでいった。


「それじゃあ同じように動画を作ってたくさんの人が見てくれたら、魅了された人にも届いて元に戻ってくれるかも?」

「どうやってやるつもりなんだ?」


「えっと、まずは動画チャンネルを作って」

「天麻は何年かけるつもりなんや」

「そんなに長い時間はかけられないよね。カミラの真似になるから嫌だけど、やっぱり他人の秘密を暴露して炎上してネットに晒されるくらいのことをしないと」


「正義を執行する邪眼の魔法少女としては看過できないぞ」

「うーん、厨二キャラはもう流行りじゃないからなぁ」

「私は動画に出るとは言っていない!」


 怜と魔法少女のやりとりを聞いていた徹は、わざとらしいほどの大きな溜息をついて話を遮る。


「炎上するなら簡単な方法がある。もう一度カミラの配信を使おう」

「あいつの? でもウチの魅了にかかった人がチャンネル登録解除したから、もう見てる人いないんじゃないの?」


 横道に逸れ始めた話題を引き戻しながら、徹はいつものようにノートパソコンの画面を怜たちに向けた。

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