最後の追い込み

 1ーDの戦略には欠けているものがあった。それは「社会的証明」だ。

 例えば、新人サラリーマンが勧めるワインよりも、有名人が勧めるエナジードリンクの方が購買意欲をそそる。

 なぜなら、多くの人に認められた有名人が選んだ物なのだから、その商品は安心・安全な物に違いない――人はそんなことを無意識に思っているためである。

 キララのSNSの宣伝も効果的だったが、それに引き換えグレイの誘引力は圧倒的だった。

 グレイは早速1ーDの風景をSNSにアップした。当然、1-Aの宣伝も欠かさない。


「え? あの朱雀学園でメイドカフェだって!」

「グレイ様が行ってるんだ!」

「あの子、可愛いかも」

「執事喫茶のパンがうまいんだって!」


 二日目も、一日目に劣らぬ客足だった。

 1ーDは大忙しでてんやわんやしていた。


「お嬢様、ドリンクお願いします」

「今はお嬢様ではありませんわ。お姉様とお呼び」

「う……ねえさん、おねげぇしやす」


 一方、1-Aも手を緩めない。


「無茶です、カナメさん。これ以上席数を増やすなんて――」

「そこの一角いっかくを使えば一定距離を保ちつつ充填じゅうてんできるでしょう。マットや備品はちょうど今、私の使用人が補充しに来ます」


 そんな様子を、グレイは高みの見物で見ていた。


「さすが、1-Aの対応力は目を見張るものがある。1-Dも流石と言ったところだ。うちも負けていられないな」


 校門付近の屋台を見回りしていると、店主が一人声をかけてきた。


「アノ……ウチ、在庫、ナクナッチャッタ……」


 グレイは店主を見下ろすように睨みつけた。


「だったら急いで調達してこい。これだけ儲かる機会、他にないんだろ?」


 店主は萎縮しながらも、慌てて裏手へと消えていった。




 一方、未来館の方にはハロルドが視察に来ていた。

 確かに、AI など目新しい展示が並んではいるが、機械に強いわけではなく、エリサの役に立つかどうかの判断まではできなかった。

 それでも、メモをとらなければエリサに叱られてしまうのは目に見えていた。

 すると、背後から男に声を掛けられる。


「おや、その執事服……1-Aの方ですか」


 ハロルドが声のする方向に目をやると、制服姿の学生が立っていた。メガネの奥からこちらを値踏みするかのように見ている。


「そうですが、よくわかりましたね」

「不審人物がいたら困るので、クラスの所属は頭に入れているんです。念のため防犯カメラでも顔認証していますがね」


 男の有能さに驚いた。


「ご苦労様です。ところで、私に何か用でも?」

「いえ。ボスから『変わった人物がいれば報告するように』と言われてるもので、単独行動のあなたが少し気になっただけです」


 その言葉に、ハロルドは妙な親近感が湧いた。


「あなたにも主人がいるとは……」

「勘違いしないでいただきたい。主人ではなく、あくまでも横の関係です。従ってるのは利用価値があるからですよ」


 そこに決定的な違いがあった。

 かたや忠義で従う者、そしてかたや打算で従う者、似ているようで違っていた。


 その時、人型ロボットのエリアで悲鳴が上がった。

 二人は言葉を交わす間もなく駆けだした。

 現場には、ロボットが不自然な動きで来場者の方へ足を進めている。

 係員が慌てて制御パネルを操作するが、反応がない。


「みなさん、ここは危険です! 早く避難を!」


 レオネルが声を張ると、ハロルドも人垣を押し分け、ロボットの正面に立った。

 真っ直ぐにロボと対峙たいじする。


「おい貴様! 避難しろと言ってるのが聞こえないのか!」

「直接止めた方が早いです! 早く、電源コードの位置を!」

「アホか! あのロボットはバッテリー駆動だ! 掃除機じゃあねぇんだぞ!」

「……」

「とにかくだ! 俺が動きを止めるまで下がってろ!」


 レオネルはタブレットを素早く取り出し、操作する。

 会場の端末では止まらなかった。根本的なプログラムの問題だろう。

 ロボットは常にサーバに接続されている。その接続を一時的に遮断すれば緊急停止することに気付いた。


「どのくらいかかりますか!」

「五分だ!」


 その時、ロボットがハロルドに向かって突進した。


「……人型なのが幸いでしたね」


 レオネルも思わず画面から目を離した。

 ハロルドがロボットに足払いをかける。

 そして、ロボットを見事に地面へ叩き伏せた。


「まさか、護身術をロボットに使うことになるとは」


 ロボットは仰向けのまま、ジタバタしている。どうやらバグのせいでうまく起き上がれないらしい。


「貴様……ロボットをこんな乱暴に扱いやがって! 何かあったらただじゃ済まねぇぞ!」


 そうぼやきながらもレオネルの操作が終わり、ロボットの動きは完全に停止した。

 点検の結果、装甲がへこんだだけで内部の損傷はなかった。

 レオネルは額の汗を拭う。


「とりあえず、ガワだけの損傷で助かったな」

「友人に教わった知識が役に立ちました」

「知識?」

「はい。『電化製品は叩いたら直る』と」

「精密機械を昔のテレビと一緒にすんな!」


 レオネルはようやく安堵の息を吐く。


「とにかく、お陰で助かりました。ありがとうございます」

「いえ、礼には及びません」


 ハロルドが背を向けて去ろうとしたとき、レオネルが小さな声でつぶやく。


「……また、近いうちに」

「え?」

「なんでもありませんよ」


 その声にはどこか含みがあった。




 ハロルドが1-Aに戻ると、カナメが腕を組んで立っていた。


「遅いぞ、ハロルド。どこをほっつき歩いていた」

「申し訳ありません。お嬢様のご命令で、未来館の方へ赴いておりました」


 カナメは鋭く目を細める。


「そこまでしてエリサに従う理由はなんだ。あんなたわけ者に、そこまでの価値があるのか?」


 その言葉に、ハロルドはわずかに語気を強めた。


「あなたはご存じないでしょうね」

「なに?」

「お嬢様は優しい方です。私のためにAクラスの席を譲ってくださった。それが原因で、あの方は――」


 言いかけて、唇を噛む。


「ですが、今のお嬢様は輝いていらっしゃる。その姿を私は誇りに思っています。それを愚弄ぐろうするのであれば、カナメ様とて黙ってはおけません」


 カナメしばし沈黙した後、フッと笑った。


「これは失礼した。私はハロルドのことは信頼している。勘違いしないでほしい。だが、私は自分の目で見たものしか信じないタチなのでね、そのような姿を見れるものであれば是非拝見したいものだ」


 そう言ってくるりと背を向けると、肩越しに続けた。


「さあ、無駄話は終わりだ。人手が足りないんだ。手伝ってくれ」

「はい」


 二人は足早に、持ち場に戻った。




 こうして若葉祭は閉幕を迎えた。

 エリサとベルは制服に着替え、校門付近を歩いていた。空は赤く染まり、屋台が次々と撤収準備を進めている。


「ベル。今日もお疲れさまでした」

「お嬢様もお疲れっす。それにしてもいいんすかねぇ、あたしら二人だけ抜け出して」

「皆さんが『二人はよく働いてくれたから休んでよい』と言ってくださったのです。ご厚意に甘えましょう」


 エリサが辺りを見回すと、あることに気付いた。


「気のせいでしょうか。いつもよりアベックが多い気がしますね」


 ベルは嘲笑気味に答える。


「ああ、お嬢様はこういった行事は初めてでしょうね。男女で一緒に作業とかしてると、変に盛り上がるっていうか」

「あら、そうなのですね」

「よくいるんすよ、こういう短絡的な連中。祭りの空気に押されて付き合い出すんすけど、それで後になって『こんなはずじゃなかった』って後悔するやつっす」

「あの、ひがみが混じってません?」


 その時、ちょうど校庭のステージから音楽が聞こえてきた。もうスケジュールは終わっているはずだが、ステージはまだ続いていた。どうやら後夜祭で人が集まっているらしい。


「そういえばわたくし、ステージの方をまだ見てませんわ。少しだけ、行ってみてもよろしい?」

「どうぞご勝手に。あたしはうるさいのは勘弁なので、ここら辺でふらふらしときます」


 そう言ってエリサと別れると、一人残されたベルは片づけられていくテントをぼんやりと眺めた。

 思えば色々あった。二日間だけではない、準備期間も含めて長く濃密な戦いだった。

 果たして、グレイに勝つことができるのだろうか。

 そんな風に思いを巡らせていると、見知らぬ男子生徒が声をかけてきた。

 見覚えのない顔。1-Dのクラスメイトではない。すると、グレイからの差し金だろうか。


「……少しだけ、いいですか。ここでは話しづらいので……中庭に」


 ベルは一拍置き、無言で頷いた。

 中庭には人影がいない。空気はひんやりしていて、風の音がやけに耳に残る。

 日は既に落ちていた。こんな薄暗い場所に何の用だろうか。

 すると、男が唐突に口を開く。


「あ……あなたが好きです!」


 一瞬、耳を疑った。何の冗談かと思ったが、相手の顔は真剣そのものだった。

 思わず目を見開いた。


「…………は?」

「あなたのメイド姿を見て……ずっと頭から離れませんでした! 付き合ってください!」


 背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


「……いや、意味わかんないし……なんであたしなんか――」

「そ、そういう謙虚なところとかも……あと、働いている姿とかも……凄く素敵で」


 言葉が心臓に刺さり、激しく鼓動する。

 だが決して、胸がときめくような感覚ではない。

 それは、逃げたくなるような動悸だった。


「……あたし、あんたのことなんか……全然知らないっすけど」

「これから知ってほしいです!」


 ――やめろ。


「……他に、もっといい人だって――」

「あなたがいいんです!」


 気づくと断る理由だけを探していた。


「とにかく……申し訳ないっす」


 小さく頭を下げると、男子は肩を落としながらその場を去った。

 まだ心臓が鳴りやまない。呼吸が荒い。

 決して、男が怖いとか、相手を傷つけるのが申し訳ないとか、そんなちっぽけなものではない。ましてや、恋なんかでもない。

 これは――自分の領域が侵されるような恐怖だった。

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