翻弄される

 こうして、若葉祭が幕を開けた。

 サラリーマンや学生、子供連れの家族など様々な客層が押し掛けており、どの教室も賑わっている。

 メイドカフェを開いている1-Dでは、クラスメイトを含め十人ほどのスタッフが待機している。

 女子生徒がメイド姿で接客を担当し、男子生徒は呼び込みをしたり、食品や飲料の調達など手分けして動いている。

 その中で、ベルはメイド服を着たまま教室の隅に腰を下ろしていた。腕を組み、椅子に深く座り込んだまま、クラスメイトにも目を合わせようとしない。

 機嫌が悪いのは、客足が伸び悩んでいるという理由だけではなかった。

 キララは困ったようにエリサに尋ねる。


「ねぇ……あの子、いつまでああしてるつもりなの?」

「さぁ? 気の済むまで放っておいたらよいのでは。ベルも相当頑固なので、立ち直るのにかなり時間がかかりそうですが」


 原因は、前日に行われた作戦会議だった。


「だから、折り紙飾りとか風船とかを暖色系にするとか、色々やりようがあるっしょ! BGMのテンポも早い方が客の回転率は絶対に上がりますよ!」


 エリサは依然とした態度でベルの提案を退ける。


「先程も申しました通り、その提案は却下いたしますわ」

「どうして分からないんすか! あ、まだお嬢様はビジネスに慣れてないっすもんね! こういうちょっとした工夫で大きく変わるもんすよ!」


 その言葉にエリサはピクリと眉を動かした。


「……何をそんなに焦っていらっしゃるのですか?」

「あ?」

「グレイさんに言われたことをまだ根に持っていらっしゃるのですね」

「兄貴は今関係ないでしょ! あたしは売上のために――」

「ベルのその戦略とやらは、先日グレイさんに言われたことですよね」


 数日前のことだった。

 空き教室で話し合いの最中、グレイが突然現れ、ベルを見下すようにビジネス戦略の助言をして去っていった。

 ベルの提案はまさにこの助言の通りだった。


「だからなんすか。売上に繋がるなら利用しない手はないでしょう」


 エリサは、はっきりとした口調で言い返した。


「しかしそれは、お客様を回転させることが目的でしょう。それでは私たちのコンセプトが台無しになってしまいます」

「それは感情論っすよ! あたしたちに必要なのは数字っす! 違いますか!」


 エリサはため息をついた。


「今のあなたには何を言っても受け入れてもらえないでしょうね。とにかく、当初の手筈てはず通りで進めます」


 ――そして、今に至る。

 自分がよいと思った提案を否定されることは、誰にとってもショックであろう。それも、ビジネスを教わる側の人間に――。

 キララがベルに声をかける。


「やることがないなら外で宣伝してきたら?」

「あ? あんたが行けばいいっしょ」

「なによ! 人がせっかく心配してやってるのに!」

「大きなお世話っすよ。人の心配してる暇あったら自分の心配したらどうっすか」


 エリサがそっとキララの手を引いた。ここで止めねば手が出るところだっただろう。


「キララさん。ここは一人にしておきましょう」

「でも、もしこのままお客さんが来たら対応できないよ」

「そう思って、助っ人を呼んでおきましたわ」


 すると、教室の扉が開き、1-Dに客がやって来た。

 現れたのは、漫研部の部長メリィだった。

 クラスメイトが丁寧にお出迎えする。


「せーのっ、お帰りなさませ。お嬢様」

「いや、私は客じゃなくて、いや、客でもいいんですけどね~、エヘヘヘ~」


 教室を見回したメリィの目に、隅でふてくされているメイド姿のベルが映る。

 片手にスマホを構えながらずかずかとベルの元へと駆け寄る。


「えへへ~。前の撮影の時も可愛かったけど、やっぱり可愛いねぇ」

「な、なんすか。営業妨害っすよ」


 スマホからシャッター音が連続で鳴り響く。


「そんな堅いことを言わずに。今、お客さんいないようだし」

「嫌味を言いに来たんなら帰ってくださいよ」


 シャッター音がぴたりと止まる。


「お客さんがいないなら、私とデートしない?」

「あ?」


 ベルは躊躇ちゅうちょした。


「いや、そんな悠長にしている時間なんて――」


 その言葉を、人差し指でふさいだ。


「部長命令。お客さんがいないということは、出かけるのは今しかないということですよね?」


 メリィがエリサの方へ目配せすると、エリサはゆっくりと首を縦に振った。


「ほら、実行委員からも許可が下りましたよ」

「……」


 ベルはしぶしぶ立ち上がった。

 メリィと並んで校門近くへと足を運ぶ。


「……で、なんすか、これ」


 ベルは首からプラカードをぶら下げていた。


「これなら宣伝もできて一石二鳥でしょ?」

「そりゃあそうなんすが……」


 校門付近では様々な食べ物の屋台が陣取っていた。


「お昼にはちょっと早いよね」

「でも、通りすがりに匂いで印象付け、お腹が減ってから戻ってくる人も多いでしょう。入口近くは屋台にとってはまさにベストな立地っす」


 ベルは独り言のように解説する。


「さすがベル。よく見てる」

「確実とは限らないのですがね。それで――」


 急に声を落とす。


「ここら一帯は兄貴のブースっすよね。こんなところに連れてきて何のつもりっすか?」


 料理をしているのはほとんどが外国人。トムヤムクン、タンドリーチキン、ナシ・ゴレン……異国の香りが立ち込めている。

 そしてこれは他でもない、グレイが代表を務める屋台だった。

 メリィは笑って答えた。


「やっぱり気付きました? でも、他意はありません。敵情視察です。お代は私が払うので一緒に食べましょう」


 敵に塩を送るようで気が進まなかったが、先輩の厚意を拒むわけにはいかなかった。

 二人はケバブを注文し、近くのテラス席に腰掛けた。

 メリィはケバブを一口食べる。


「あ~おいしい! 最っ高!」

「朝っぱらからよく食えますねぇ」

「今日、朝ごはん抜いてきたんだ~」

「どんだけ気合入れてんすか」

「ま、朝からやることが多すぎて食べれなかっただけなんだけどね~」


 ベルも一口頬張ると、タンドリーの芳醇な香りが口いっぱいに広がった。


「……悪くないっすね」

「ベルでも褒めることがあるんだ」

「どういう意味っすか」


 咀嚼している間にも、頭の中で思考が駆け巡る。

 そして、肉を飲み込む。


「……あたし、間違ってないっすよね」

「何が?」

「せっかく考えた戦略なのに、エリサに却下されたんすよ。何にも知らないくせに」


 メリィは静かに目を閉じた。


「確かに、知識量で比べればベルに勝さる者はいないでしょう。でも、彼女には彼女なりの考えがあっての判断だと思うんです」

「エリサなりの考えって――何すか」

「さぁ。私にはわかりません」


 気づくと周囲の席は埋まり。食べ歩きの客もあちこちに見られるようになっていた。


「そろそろ帰った方がいいっすかね」

「まだ寄りたい場所があるから、もっとゆっくりしていきましょ」

「でも……」

「部長命令です」


 その言葉にベルは口を閉ざした。

 開催から一時間が経ち、ベルの中でじわじわと焦りのようなものが生じてきた。来客ゼロの教室。教室の様子が確認できないこと、そして、メリィのマイペースな足運び。

 さらには、都合が悪くなると部長権限を出してくるメリィに不信感さえ抱いていた。

 その時、校庭の方角からロックフェスの音楽が聞こえてきた。


「入口から音が聞こえたら、そのまま校庭へ流れる導線っすかね」

「そのようですね。私は大音量は苦手なのでスルーしますけども」

「同感っす」


 二日間行われるとはいえ、綿密な予定を組んで回らなければ時間はあっという間に過ぎてしまう。行きたい場所を絞る代わりに他を諦めるのはやむを得なかった。

 校舎の中に入ると、各クラスや部活動でのブースが並んでいた。

 メリィがふと指を差す。


「あ、お化け屋敷とかありますよ」

「へー。あたしホラー系のアトラクション苦手なんすよね」

「意外な弱点ですね」

「お化けに出会った時、どういうリアクションすればわかんないんすよ」

「そっち? お化けに気を遣う人、初めて見た」


 せっかくなので中に入ることにした。やはりそこまでスリルさは感じなかった。

 出口を抜けるとベルがぼやく。


「これでビビる人いるんすかねぇ」

「私達は耐性ありますからね」

「左から驚かした方が人は驚きやすいとか、曲がり角を多めにして死角を増やすとか、工夫は色々見られましたがね」

「お化けの方を見なさいよ。構造じゃなくって」


 その後もブースを見て回っているうちに、ベルが足の疲れを訴えた。


「さっきからずっと立ちっぱなしなんで疲れてきやした。どこか座れるとこないっすかね」

「そうですねぇ。では、そこのお店に入りましょう」


 メリィが指差した先にはピザトーストを提供しているブースがあった。

 中に入ると、アメリカをイメージしたオレンジ色の内装が目を引いた。

 店内のスピーカーからは軽快な洋楽ロックが流れている。

 体を持ち上げ、椅子に腰かけると恰幅かっぷくのよい店主が注文を取りに来た。


「おや、可愛いメイドのお嬢さんがこんなところへ迷子かい?」

「いや、宣伝がてら見て回ってるだけっすよ」

「なるほど、サンドイッチマンってことかい。ま、ここにあるのはサンドイッチじゃなくてピザトーストだけどな! ハハハ!」

「……なんすかこいつ」


 聞くところによると、ここは英会話サークルが出店しているらしい。

 二人はピザトーストを一枚だけ注文し、分けて食べることにした。

 ベルはポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。


(……やば。もうこんな時間か。連絡はまだ来ねぇし、こんなところで油売ってる場合じゃねぇ)


 テンポの速いBGMも急かしているようだった。


「はい、お待ちどうさん」


 さすがファストフードは早い。メリィは配られたおしぼりで手を拭く。

 その横でベルは、黙って椅子から降りた。


「全部部長にあげるっす。あたしは帰ります」


 メリィは困惑した。


「どうしたの? もうお腹いっぱい?」

「ちげぇ。こんなところでくつろいでる場合じゃねぇって言ってんすよ」


 様子を察した店主は口を挟んだ。


「おいおい。俺の作ったピッツァが食えねえってのか?」

「あたしには時間がねぇんだ。わりぃけど行かせてもらいやす」


 店を出ようとするベルを店主が引き留めた。


「ちょっと待ちな! 時間がないだぁ? 時間なんてもんは最初からねぇんだよ! なぜなら、目に見えねぇからな!」


 ベルの足が止まる。


「あ? あたしは言葉遊びに付き合ってる暇は――」

「そんなに焦っていると、大切なもんまで見えなくなってしまうぜ!」


 その何気ない一言に、ベルはハッとした。

 「焦っている」――まるで、エリサの言葉と重なるようだった。

 他人に言われてようやく気づいたことだった。


(焦っている? このあたしが? 売上の心配をするのは当然のことだろう。こうしている間にも兄貴の方へ客が流れちまうのも事実。いや、そうか――)


 喉の奥から低い声で唸りを上げる。理解と後悔の感情が同時に頭を巡った。


「すんませんでした、部長。あやうく兄貴のペースに乗っかるところでした」


 メリィは穏やかに微笑む。


「何か掴めたようですね」

「ええ。まず、暖色系や速いテンポの曲は、客回りが早いファストフードならではの戦略。それを、ゆったりと過ごすメイドカフェに持ち込むのはお門違い。コンセプトが崩れちまう」


 ベルは拳を震わせる。


「それに、兄貴のブースはしっかりと座れる椅子を用意していた。完全に理解した上でこっちを惑わしてやがったんだ。素直に聞き入れちまった自分が情けねぇ」


 メリィはベルの肩に手を置いた。


「でも、ちゃんと気付けたじゃないですか」

「すみません……」

「謝る相手が違いますよ」


 店主はその様子を見守っていた。


「お嬢ちゃん、さっきよりいい目をしてるな。どうだい、スローな生き方も悪くねぇだろ」


 ベルはそのセリフの先が読めた。


「「ま、ここはファストフード店だがな」」


 二人は席を立ち、メイドカフェへ急いだ。テーブルの上にピザトーストを残したまま。


「おい! せめて俺のピザトースト食ってから行け!」


 そこへ、一人の男がふらりと店に入ってきた。


「じゃあそのトースト、僕にくれない?」

「あぁ、あんたがいいなら――って、おい! あんたは――」


 顔を上げた店主が目を見開いた。そこに立っていたのは――グレイだった。


「今さら気づいたって、遅いんじゃないの?」


 グレイはピザトーストを手に載せ、噛みちぎった。




 校舎を巡っていると、小さな女の子が足元へ駆け寄ってきた。


「わー、お人形さんだー!」


 ベルは眉をひそめる。


「シッシッ。今それどころじゃねぇんすよ」


 すると女の子は今にも泣きそうな顔になってしまった。

 慌ててメリィが間に入る。


「あ~、ごめんね~。迷子かな~。一緒に行こうね~」

「えー、連れてくんすかー?」

「しょうがないでしょ。女の子を一人で置いていくわけにはいかないし。ね~」


 徐々に女の子に笑顔が戻ってくる。


「……しょうがないっすねぇ」


 女の子を連れて1-Dへ戻ると、目を疑った。

 あれほどガラガラだった席は今や満席。廊下には行列ができていた。


「これは……」


 呆然と立ち尽くすベルの元へキララがやって来る。


「おっそい。手が空いてんならさっさと来て。忙しいんだから」

「それより、こいつぁ一体……」

「何言ってんの。あんたの宣伝効果のお陰でしょ。それと、あーしのフォロワーも今頃来てくれたみたい」


 キララはニッと笑い、ベルの手を引いた。

 エリサはじっと待っていた。どうやら休憩中のようだった。


「エリサ……すまねぇっす。あんなこと言っちまって……」

「謝るのはあとですわ。今は人手が足りなくて困っていますの。まずは、その手を握っている小さなお客さんの相手をしてくださる?」


 エリサは軽く微笑んだ。

 危うく数字の悪魔に心を支配されるところだった。それを引き留めてくれた。

 もしあのままだったら、この小さな客まで――そう考えると、ゾッとした。

 だが、そんな自分を責める者はここには誰ひとりいなかった。

 ベルの目に、うっすらと涙がにじんでいた。

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