第14話

「無理ですよ」

 「お前ならいける」

 「無理ですって!俺殺されかけたんですよ!」

 箭内さんがミラー越しに手を合わせ懇願した。体裁だけはいいお願いに眉間に皺を寄せると伺うように後部座席に座る俺を見る。

 「頼むよ〜俺あいつ怖いんだもん」

 「俺だって怖いっすよ、ただでさえ嫌われてんのに」

 「ちーちゃんには自分からいくじゃん」

 「杉原さんはなにか理由がないと傷つけてきたりしないのが分かるからですよ」

 「何を知った気になって」

 食べたアップルパイが挟まったのか、気持ちが悪そうに爪楊枝で奥歯をいじりながら言う。箭内さんはあのあとすぐに車で公園のそばまで迎えに来た。

 車に乗り込んで矢継ぎ早に氷丘から聞いた小林とその元彼の情報を伝え、箭内さんは聞き漏らしたり戸惑うことなく少しの相槌を打ったあと、とんでもない提案をしてきた。

 「お前さ、丈一郎のあとつけてくんない?」

 そして冒頭の返事に至る。

 「今杉原さんの話してる場合じゃないですよ」

 「意外と冷静ね」

 「そもそもなんでここであの青い目の人狼の話が出てくるんですか」

 「自力で情報かき集めたお前のしっつこい根性に免じて少し俺の追ってる案件について教えてやるよ。お前の聞き付けた情報は正直あんま役に立たないけど」

 いちご牛乳のパックをずるずる音を立てて飲みながら箭内さんは数枚の写真を手渡した。一枚は小林の元彼、他は知らない人狼数人の写真だった。

 「俺が追ってんのは桃色真珠の出所。」

 「桃色真珠って、普通の真珠みたいに海から取れるとか、そういうもんじゃないですよね流石に」

 「そんなもん全人狼が知りたがってるわ。高値で売れる掘り出しもんだからな。それがここ数ヶ月嘘みたいに手に入れてる人狼が増えた。それをばら撒いてる連中を探してる」

 「平田さんはどこで手に入れたんですか?」

 「さあ。昔もらったっつってたけど誰かからとは聞いてない。んで、そのばら撒き先がどうやら人狼の引越し業者みたいなのよ。おかしいねえ、力持ちのお優しい人狼が俺らみたいにクリーンなお仕事に勤しんでいれば縁のない代物なのにねえ」

 「……空き巣?」

 「ピンポーン。優しい顔しといて悪どいことへの勘は鋭いね」

 「褒められた気しません」

 写真を突っ返して続きを急かす俺に箭内さんはわざとらしくとぼけた顔をした。

 「人狼の引越しはHOWLを持ってなかったり色々条件もあって面倒な分厄介抱えて移動するやつも多いからその分金もかかる。引越し業者を使える人狼は事情を抱えた金持ちも多い。表向きは引越しとうたって裏では荷物漁って真珠を見つけて売り捌く。雇い主は自分らがグレーな分文句は言えない。それでも追っかけてくるやつはいるだろうけどな。良いビジネスだよなあ」

 それで小林の元彼はあんな大量の桃色真珠を手に入れたのか。その危険性と点と点が結び合ったことで背筋が伸び、武者震いのような震えが体の底から湧き上がった。

 「とりあえず大元掴むのはムズいから下っ端から粗探してこうと思ってソイツに目をつけたわけよ。下手なことしてトカゲの尻尾切りになっても困るからちーちゃん使ったりお前を動かしてみようかとも思ったんだけどこれがまた長期戦でさー」

 箭内さんはシートベルトをしてミラーを調整したあと車を発進させた。慌てて同じようにシートベルトをして、改めて食えない人だとため息が漏れた。

 「そんなことだろうと思いましたよ…結局男の方は追ってて何か得られたんですか?」

 「なんも。ソイツが狼狽中毒者っていうどーーでもいい情報のみ。ソイツの持ってんのはほぼ偽物だしな」

 「え、あ、そうなんですか」

 「一粒で大暴れできちゃう上に制御の難しい代物よ。そんな数身につけてたら体が持たんでしょ。持ってて一個か二個が関の山よ。」

 「たしかに…」

 箭内さんはストローだけを咥えて両手でハンドルを捌く。気概の割に運転が安定してると思った。

 自分の情報が少しでも役に立つかもしれないなんて浅はかだった。毎日仕事に張り付いている箭内さんが知らないはずのない情報に浮かれてここまで来てしまったことを恥ずかしく思う。

 「まだまだケツが青いのう」

 「すみません…あ、で、なんで青い目の人狼の話に繋がるんですか?」

 箭内さんは少し項垂れる俺をバックミラー越しに見てストローを口から離した。空になった紙パックが膝の上に転がり落ちる。

 「丈一郎は桃色真珠を金にしたり自分の体に取り込むためにかき集めてんのよ。ほんで、持ってそうなチンピラに絡んでは大掃除に勤しんでるわけ。そういう事されると俺の仕事にも支障が出るわけよ。ただ仕事仲間と揉めるのは頂けない。さっき見せた写真のやつらは丈一郎にシメられたやつなんだけど。その元彼くんがいつどこで丈一郎に狙われるとも分からんでしょ?それをお前がお友達から聴き込んで押さえる。俺は仕事の邪魔をされたって言う口実で飛び込む。どうよ」

 「いやいやいやおかしいでしょ!危険なことさせないって話は!?」

 「やだなー全然危険じゃないよ、仕事仲間を尾行するなんてありがちよ?」

 「俺の人生史の中のトップオブ危険人物です。それこそ杉原さんが尾行したほうがいいじゃないですか」

 「ちーちゃん尾行下手くそなんだもの。それに俺とちーちゃんの匂いじゃバレるしな。あんま関わりのないお前の方が最適ってわけ」

 「全然納得できませんね。俺明日からテストだし帰ります」

 「うおーい!さっきまでの協力姿勢はどうしたってんだよ」

 信号で止まっている間にシートベルトを外して車を出ようとした俺の肩を掴み、箭内さんは座席に引き戻した。その力が細い腕からは信じられないほどに強くて息が詰まった。

 掴んだまま離さない腕に目を落とすと傷だらけで何かを押し付けた跡のようなものが点在する。

 「話、終わってねえって」

 ゆっくり口角を上げる箭内さんの空気が変わったのを肌に感じた。

 自分の見誤りに気が付かされる。この人はただの同じ人間の同僚じゃない。あくまでも裏側の人間だってことを。

 「…俺が死にかけたら助けてくれるんですか?」

 「任せなさい。俺の持ち仕事で死人出られちゃたまらんしな。まあ本当はね?丈一郎と仲良くなってもらうのが手っ取り早いんだけどそんなのムズいじゃーん」

 「絶対無理です。」

 「そうだよね〜」

 だはは、と笑う箭内さんの目の奥が緩んだのが分かった。それでも体に走った緊張感は解けていない。

 「まあとりあえずその元カノだかなんだかに話聞いといてよ」

 「…分かりました。お疲れ様です」

 車から降りアスファルトに足をつけたとき、目の前に胡桃色の頭部が脇から素早く滑り込んだ。

 「え」

 声を上げたと同時に胸ぐらを捕まれ車内に押し戻される。

 窓ガラスに軽く後頭部をぶつけて鈍い声が漏れた。

 「いって…なん、え、杉原さん?」

 「やっさん車出して!」

 「お?ちーちゃんどったのこんなとこで」

 普段無表情で言葉数の少ない杉原ちさとがこんなに大きな声を出して取り乱しているのを初めて見た。

 箭内さんも同じように驚いて後部座席を振り返りながら即座に車を走らせる。

 「探してる男の居場所が分かった、あんたも来て」

 「え、お、俺?」

 「どっちかと連絡取れる?同じクラスの、黒髪の人間と茶髪の人狼の」

 「えっと…氷丘と小林のこと、かな?」

 「早く!友達が殺されてもいいの!?」

 物騒な単語に面食らっている俺に杉原ちさとは苛立ちを顕にし、馬乗りになっていた俺の体から離れた。

 そのとき虫の知らせのようにスマホが鳴る。慌てて胸ポケットから取り出して画面に表示されたのは氷丘からだった。

 「ちょうど今、氷丘のほうからかかってきた」

 「早く出て!」

 「あああはい!もしもし氷丘?」

 『風月くん今どこにいる?お願い助けて…!』

 縋るような氷丘の声に杉原ちさとが狼が音を手繰る仕草と同じように耳をふるわせた。

 この日、俺と氷丘の人生が変わることになる。

 そのことをまだ、この時点で俺たちは理解せずにいた。

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