少女は、I love youを「私と壊れて」と訳しました
第11話
手土産のケーキと煎餅を持ってウキウキハウスクリーニングの事務所に出向くと、デスクにいた平田さんはあからさまに渋い顔をした。ちょうど記録書類を持ってきた箭内さんは早々に事務所を出ようと動き出す。
「おはようございます箭内さん。ましま堂のケーキ買ってきましたよ」
「もう俺ノイローゼになりそう。ケーキは食べたいけど」
「あのなあ…食いもんで釣るってバカにしてんのかお前は」
「お、書類整理たまってますね。手伝いましょうか」
「ゴマすってもダメなもんはダメ。ヘルプにはつかせない。散々言ったろ。煎餅はありがたくもらうけど」
「お前もしつこいねー。ど、れ、に、し、よ、う、か、な」
老舗の煎餅にお、と声を上げながら平田さんはサメのように食らいついた。箭内さんはケーキの箱を開けてどれにしようかと指でルーレットをしている。ここまで釣るのは簡単なんだけどなあ。引き上げるまでが難関。大人は難しい。
散らばった記録書の中のほとんどは箭内さんのものだ。記録と呼ぶにはつたないもので、日付と二行程度のメモに清掃後の写真や裏の資料の写真が添付してあるだけ。
その中に、氷丘と一緒にいた男の写真があった。
「箭内さん、この男のこと追ってるんですよね」
「コラコラコラ、最初に契約したでしょ?裏の仕事はさせない危ないことには首を挟ませないって」
「危ないことは何もないから大丈夫って話で契約を結んだはずです。あるなら話は別ですよね」
「だはは、そりゃそうだ。お前頭いーなあ」
「ちーちゃんにその減らず口分けたってよ」
この前の放課後、氷丘が一人で自習していたのを見計らって声をかけた。もう少し話せば男のことが知れるかもしれない。
「情報提供しましょうか」
「一丁前に取引かよ」
「この男の知り合いと、知り合いだって言ったら?」
かざした写真に平田さんの目の色が変わった。
この案件は平田さんも絡んでるかなり大きいものだと読んだ。それまで全く姿を表さなかった箭内さんがアパートや事務所に顔を出すことが増えたのがその証拠だ。
「この写真の向かいの相手、クラスメイトなんです。女子高生相手に箭内さんが聞き込みする訳にはいかないですよね」
「聞き込みくらい俺だってしますー」
「裏ルートで掴めないものが、表ですんなり掴めるとしたら?」
箭内さんと平田さんの目が仕事のときの真剣なものに変わる。
「その役目は、俺が適任だと思うんですけど」
「その女子高生と男の関係は」
「男の素性を教えてください」
「案件に携わってない人間に教えるわけにいかねーんだっつの」
「同級生の身に危険が迫るような内容なんですか?」
平田さんは手を組み静かにため息を吐いた。箭内さんは黙々とケーキを食べる。目は俺から逸らさない。
「分かった。平さん俺からも頼む。こいつヘルプつかしてやって」
「箭内」
「だってちーちゃん勉強おっついてないし、ヘルプつかすわけにいかないじゃん〜。この間も聞き込み行けっつってチンピラボコして帰ってくるしさ~」
「やっぱ自分で聞き込みしてないんじゃないっすか」
「俺人見知りなのよ」
「そんなこと言って」
わざとらしく箭内さんは下手くそなウィンクをした。聞き込みや張り込みに人をダシに使って、飄々としていながらなかなかあくどい事をする。
食えない人だ。
「あいつまた…、まあそれは後ででいいや。とにかくこのことに関して俺は絶対イエスとは言わない。なんでか分かるか?大人としての責任だ」
「子供だからですか?杉原さんは?」
「アイツはお前とは違う。いいか、お前は人間で、アイツは人狼だ。事情も抱えた上で、お前みたいに好奇心で仕事に出向いてるんじゃないんだよ」
温厚な平田さんからの明確な線引きに分厚い壁を感じた。それ以上こっちに来るな。そう言われている。
「自分が預かった子供と、人様から預かってる子供とじゃ話が違うんだよ。そもそもお前は人間だ。頭も力も必要な裏の仕事を請け負わすわけにいかない。絶対に」
平田さんはふん、と鼻を鳴らして事務所を出て行った。おそらくこの時間なら一つ角を曲がった先にあるバーだ。怒らせてしまった。あそこまで言わせてしまったのは初めてだった。
「全く頑固なんだから。お互いにね」
「紗奈さん」
「やっちん一個ちょうだーい」
「好きなもんとっていいよ」
「ありがと」
ひょっこり顔を出した紗奈さんが散らかったソファに腰掛けると、フローラルの香りが広がった。モンブランを手に取り美味しそうに一口齧り、グロスが塗られた唇についたクリームを滑らかに舌で絡めとった。
「分かってあげてね平っちの気持ち。ちーちゃんにも、本当は裏の仕事させたくないって思ってるの」
箭内さんは黙って三つ目のチョコレートケーキを頬張った。相変わらず甘いものをとめどなく食べている割に太らないのは何故なんだろう。
「風ちゃんを巻き込んじゃって負い目も感じてるの。あの日丈一郎が絡まなきゃ、…嚇月が現れなきゃ、風ちゃんは普通の生活を送れた。だけど今後、真珠の匂いや噂を聞き出した人が狙いに来るかもしれない。だとしたら、遠ざけるよりもウチで預かる方が安全って考えて、バイトの提案をしたの。」
「そういう、意味もあったんですか」
「単なるバイトの募集だと思った?違うよ。ウチはスカウト方式だから。ここにいる人はみーんな、平っちに困ったときに手を引かれて自分で望んでここにいる。」
紗奈さんも、箭内さんも、杉原ちさとも、あの青い目の人狼でさえも。
そして、自分も。
途切れる意識の中で嗅いだ重いムスクの香水の匂いと、焦がした砂糖のような声を思い出す。
俺も自分で選んでここに来た。平田さんのせいじゃない。自分で望んで、人狼と、みんなと関わろうとしている。最初は好奇心だった。でも今は違う。
「子供って残酷ですね」
「自分で言うな、可愛げねえわ」
「俺は、最初はここに来て知りたいことを知られたら、って思ってました。それは今でもそうだけど、でも、今はもっと、みんなの力になりたい」
自分の手のひらを眺めた。自分だけが安全地帯にいて、危険と隣合わせのみんなと笑い合っている。安全な場所で、自分の興味と好奇心でそれを眺めている。
それだけじゃ、嫌だと思った。
「優しいね。風ちゃんは」
「そうでもないです」
「誰にでも優しい男はモテねえよー」
「ビビって優しさ提供できない男よりよっぽどいいよ!風ちゃん、応援するからね」
「あの…だから俺杉原さんはそういうんじゃ」
「俺らちーちゃんの名前出してねえけど?」
ニヤニヤ笑う二人にやられた、と思ってショートケーキに手を伸ばして大きく齧った。甘酸っぱい苺の粒が口の中で弾ける。
「あ、てめ!それ最後に食おうと思って取っといたんだぞ!」
「俺が買ってきたもんです、俺も食う権利あります」
「人に寄越したもんに権利もクソもあるか!クソ!」
「風ちゃんショートケーキ好きなの?今度買ってきてあげるね」
俺のできることをしよう。守られているだけじゃ、ここにいる意味が無い。自分が望んでここに来た意味を考えなきゃいけない。
「氷丘、ちょっといい?」
放課後、小林と話し込んでいた氷丘に声をかけると、驚いた氷丘より先に小林の方が身を乗り出して上から下まで俺を見回した。片目に眼帯を付けているけど怪我でもしたんだろうか。
「ねえ、杉原ちさととどういう」
「わ!わ!ふ、風月くんどうしたの」
大人しい氷丘が大きな声を上げたのでクラス中の視線が集まった。色白な氷丘の頬がみるみるうちに赤くなる。氷丘が恥ずかしそうに長い髪に触れると、桃の香りが鼻を掠めた。
「なんか香水つけてる?」
「え、あ、つけてない、けど」
「そう?なんか桃のいい匂いした。甘い。小林もお揃い?」
氷丘は目を丸くして更に顔を赤くし俯いてしまった。小林は眉間に皺を寄せ、不愉快そうに口の端を曲げた。
「ごめんキモかったよね、ほんとごめん」
「どしたの隼人、珍しいじゃん」
隣の席で眠りこけていた深川が欠伸混じりに伸びをしながら言った。厄介なのに聞かれてしまった。迂闊だ。
「違うの、ありがと。あの、話って何?」
「あのさ、この間危険区域のカフェにいなかった?男性と、二人で」
氷丘が目の色を変える。助けを呼ぶようにちらりと小林の方を見ると、小林が立ち上がった。
「いつの話か知らないけど、それ多分私もいたから。私と、舞と、私の元カレ。そんなこと聞いてなんなの?舞に気があるの?」
え、と声を上げるとクラス全体が騒がしくなった。一番声がデカいのが深川と黒澤だ。やってしまった。
「いや、違うよ、そうじゃなくて」
「じゃあなんなの?男といたとか急に聞いてきて、失礼だと思わないの」
「ちょっと七瀬いいから」
「え、てか待って、小林の彼氏なの?なら、ちょっと小林に聞きたいことあるんだけど」
「は?元カレだっつってんじゃん。てか話って舞にじゃないの?なんなのあんた」
「隼人〜お前あっちにもこっちにも尻尾振っちゃってチャラいぞ」
「ついに隼人にも春が来たか?」
「だからちげーって、もうウザったいなお前ら」
絡む深川を押しやると黒澤まで肩に手を回してきた。阿島は呆れた様子で先に教室を出て行く。それに連なるようにして舌打ちした小林が氷丘の手を引いて教室を出て行ってしまった。
聞き込み失敗。迂闊すぎたか。
ただ、あの写真の男が氷丘だけじゃなく小林と密に関わりがあることが分かった。そこから情報を掴めれば、箭内さんたちの案件に協力できることがあるかもしれない。
律子おばさんの香水の香りが変わった気がする。
「ねえ、香水変えた?」
「え?やだなに、きつい?」
「ううん、いい女の人って感じ」
「あら嬉しい。香水の匂いなんて分かるようになったの?」
「うーん。最近女の子と話す機会増えたからかな」
「へー?」
他意はなかったが妙な伝わり方になった。何だか最近こういうやらかしが多い気がする。他意はないのに様々な解釈を掘り下げられる。伝え方に問題があるのかもしれない。
「俺、結構匂いで人のこと覚えてるのかも」
「鼻良かったっけ?」
「うーん…人狼ほど鼻が利くわけじゃないのになんでだろうね」
「匂いフェチとか」
「フェチかー」
「ふふ。なんか嬉しい」
「え、何が?」
「隼人が自分から自分の話してくれるのが。」
律子おばさんはチャーハンを炒めながら言った。少し焦げた匂いがキッチンから香る。
「俺わりとよく話す方じゃない?」
「自分のことはあんまりなかったよ。興味ある動物とか、学校や勉強のことはたくさん話してくれるけど。バイト始めてから増えた」
自覚はなかった。だけど確かに、自分から人に話しかけることが増えた気がする。興味は昔から尽きなかったけど、知ったらそこで終わりだった。記憶としてストックして終了だったのが、関わるのがものじゃなく相手になって、且つその相手が増えたことによって自分の話題の幅が広がったのかもしれない。
「楽しいの?」
「うん、楽しい。バイト先の人みんな優しいし」
「それなら良かった。ただもう来週テストなんだし、そろそろセーブしなさいよ」
「うん、ちゃんとする。」
律子おばさんと食卓を囲んで会話が増えたのは、人数の多い食卓を経験したからかもしれない。淡々と会話のキャッチボールの相手が自分か相手一人のみだと、どちらかの会話が終わるまで聞く姿勢をとることになる。
だけどそこにまた別の相手がいることで、会話が広がり、複数の話題が飛び交ったりする。より相手の話を聞こうとしたり、自分の話をしようと前のめりになる。
今まで意識してセーブしていたわけじゃない。だけどどこかで律子おばさんの話を聞いてあげたいと、無意識のうちに聞き役に徹していた部分があったのかもしれない。
次の日、放課後図書室に出向くと氷丘の姿があった。辺りを見回して小林が居ないことに胸を撫で下ろす。あの勝気な目と口調には圧倒される。杉原ちさととは違う気の強さだ。
「氷丘」
小声で声をかけると氷丘はすぐに顔を上げ、立ち上がろうとしたのを制止した。
「昨日ごめんね、俺のせいで騒がれちゃって」
「ううん。七瀬がキツい言い方しちゃってごめんね、悪気はないの」
「大丈夫、アレは俺が悪い。」
「全然、あの、そのときの話って?」
「あー…、ちょっと、出られる?」
ヒソヒソと話す声の方がかえって気になってしまう。周囲の白い目に気がついて氷丘が頷いて荷物をまとめた。
出来れば近い存在の小林に話を聞きたかったけど、氷丘のほうが聞き出しやすそうだ。
「DV?」
「そうなの。七瀬のほうから別れ話をして、しつこく連絡来たりしてるみたいで…ちょっと不安で。今日は彼の家に荷物を取りに行ってる」
駅の近くの公園で話を聞くと、小林の眼帯の理由は彼氏からの暴力だったらしい。危険区域に住んでるいかにも悪そうな奴と、なんでわざわざ小林は付き合うのか。
小林は、自分の両親は自分に無関心だから、束縛したり自分に意識が向いている彼氏がどんな男でも、嬉しかったのだと氷丘に語ったそうだ。
「私最近七瀬の家にいるんだけど、家族をまだ見たことないの。仕事で忙しいみたいで…寂しかったのかな、とも思って」
「あれ、そうなの?家帰ってないの?」
「あ、うん…ちょっと色々あって。テストが終わったら帰ろうと思ってるんだけど」
それで最近小林の匂いが氷丘からもするようになったのか。しかし仲がいいな。
杉原ちさとには、そういう友達はいない。恋人も。
平田さんを見つめる杉原ちさとの横顔が浮かんだ。その瞳には全てを委ねる信頼がある。彼女にとって平田さんはどんな存在なんだろう。
「風月くん?」
「あ。ううんごめん。いや、好きな人いるって、どんな感覚なんだろって思って」
「…風月くんは、好きな人いないの?」
氷丘は俯きながら言った。耳から落ちた髪の毛が黒く光った糸のようで綺麗だと思った。杉原ちさとの柔らかそうな髪とはちがう、芯の通ったような真っ直ぐな髪。
「俺?いないよ」
「あ…そうなんだ」
「氷丘は?」
「え、私?」
氷丘の仕草は一つ一つが繊細で、雛人形みたいだ。女の子らしい、可憐という言葉が似合う女の子。男にモテる理由が分かった気がした。
「私は、いるよ」
「えー、すげー大変そう」
「え、なにが?」
「その相手。やっかまれそうだなと思って」
「…どうして?」
「親衛隊、みたいなものがわらわらっと」
「なにそれ、そんなのいないよ」
氷丘は吹き出して呆れたように笑った。会話が途切れてしまった。気まずさで当たりを見回して自販機を見つけた。
「なんか飲む?」
「え、いいよ大丈夫」
「話付き合わせたし奢らせて」
「…じゃあ、ミルクティー」
自販機から出てきたミルクティーを渡すと両手で受け取り、小さくありがとうと呟いた。
やっぱり小林に直接当たらないと聞き出せるものはそう多くなさそうだ。
「ねえ、風月くんアクセサリーとかしない?」
「俺?しないしない、逆にダサくなりそうでしょ」
「そんなことないと思うけど…」
「笑ってんじゃん」
「ふ、ごめん」
「なんで急に?」
「いや…七瀬がね、ピンク色の真珠のブレスレットつけててね」
「真珠?」
身を乗り出した俺に氷丘は驚きながら話を続けた。
「あ…なんか、元彼からもらったものみたいなの。お揃いで。で、その元彼が数珠みたいにたくさん真珠がついてるのをつけてたから、珍しいなーと思って。今流行りのものなのかなって思ったんだけど、風月くんには関係なさそうだね」
さらりと直球にえげつなく失礼なことを言われたがそれより重要な情報を掴んだ。ピンク色の真珠。それがもし桃色真珠だとしたら。一粒だけでも強力なものを、数珠として身につけていたとしたら。
胸騒ぎがしてベンチを立ち上がった。
「氷丘、ごめん俺ちょっと行くとこあって」
「え、あ、駅?」
「そう。なんだけど、ちょっと急ぎだから走るわ」
「あ、風月くん、借りた傘なんだけどね」
「傘?ああ、そのまま使って、あんなビニ傘で良ければ」
「風月くん」
氷丘の神妙な顔つきで走り出した足が止まった。
「え、っと、どうかした?」
「…風月くんのバイトって、ハウスクリーニングなんだよね?」
「うん、そうだけど」
「…そうだよね。ごめん、なんでもない。また明日ね」
氷丘は何か言いたげにしながらも手を振ったので軽く振り返して走った。すぐに箭内さんに電話をかける。
『しもしも〜?』
「箭内さん!写真の男の数珠、見ましたか?」
『お前声デカ、なに?数珠?』
「桃色真珠が連なった数珠です、写真で確認できてますか?」
『ハハー…お前なんか掴んだの?』
「真珠一つで暴走する人狼もいるんですよね、それを何粒も持ち歩いてるってヤバくないですか、だから追ってるんですか?」
『もうちょい欲しいなー』
「その男の人狼の元カノがクラスメイトです!」
電話口で声を上げると、犬の散歩中だったおばさんが訝しげにこちらを見た。傍から見たら不審者極まりない。
『よーし。うんうん。おっけおっけ。お前今どこいんの』
「え…今事務所向かおうと」
『いいや俺がそっち行くから位置情報送っといて。そんじゃな』
そう言って箭内さんは電話を切った。
一応杉原ちさとにも電話をかけたけど案の定繋がらない。着信拒否でなかったことに安心した。
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