第5章

第34話 宰相の妻は脅される


 散々なことがあったガーデンティーパーティーの翌日。


「本当に、もう動かれるんですか……?」


「ええ。大丈夫ですよ。あなたが治してくださったのですから、傷一つありません」


 外出の支度が終わったリシャルト様はそう言って笑う。

 最後に片眼鏡モノクルをかけたら、いつものリシャルト様だ。

 

「それならいいんですけど……」


 確かに今まで瀕死状態の兵士たちを治癒してきたが、彼らも治癒されてすぐに動くことが出来ていた。

 だが、治っているとはいえ大怪我をしたばかり人間が本当に動き回っていいのか心配だ。


「一刻も早くエマ様のことを進言しなくてはなりませんからね。陛下を引きずり下ろすための計画はほぼ済んでいまして、あとはアルバート殿下たちの時間切れを待っていたんです。ですが、まさか自分から墓穴を掘ってくれるとは思いませんでした」


 ……ん?


 リシャルト様はサラリと言って、とても爽やかな笑顔を浮かべている。

 だけど、今なんかいろいろ聞き捨ててはならない言葉が聞こえた気がするんだけど……。


「あの、陛下を引きずり下ろすって……?」


「まぁ、後で分かりますよ」


 にこり。

 我が夫ながら怖いよ!! さすが腹黒宰相閣下!!


「いろいろ手は打っている、と言いましたでしょう?」


「……聞きましたけども」


 リシャルト様って、絶対に敵に回したくない……。

 この人が味方でよかった、と私は心の底から思った。



 ◇◇◇◇◇◇


 

 本来の予定であれば、今日はいつも通りレッスンがあるはずだった。

 しかし、さすがに昨日の今日ということで、レッスンは中止となった。

 ひっさびさに落ち着いて過ごせたな……。

 昨日が激動の一日すぎて、体感時間では1週間くらい過ぎてしまったかのように感じる。

 私が部屋で本を読んでいると、メイドさんたちがやってきた。

 

「奥方様〜、料理長がクッキーを焼いてくれましたよ〜」


「紅茶入れて差し上げます」


「食べましょ食べましょー!」


 明るい声で誘ってくれる。

 メイドさんたちの存在には救われてばかりだ。

 ざっくばらんすぎて不安になる時もあるけれど、私にとってメイドさんたちは頼りになる姉のような存在になっていた。


「ありがとうございます。食べます」

 

 私の気分を少しでもあげようとしてくれているのか、「せっかくだから景色のいいところで食べましょう」と誘ってくれたので、場所を移動することになった。

 私はメイドさんたちの後ろをついて、赤い絨毯の敷かれた廊下を歩く。

 私の部屋は二階にある一室なのだが、メイドさんたちは迷いなく階下に降りる階段へと向かっているようだ。

 庭が一番よく見える部屋で食べよう、と言ってくれたのだけど、まさかあの部屋なんじゃないだろうか……?

 リシャルト様と初めてキスをした、あの玄関近くの部屋では……?

 ふとその出来事を思い出してかっと顔が熱くなる。


「奥方様〜?」


「どうされました?」


「お顔が少し赤いですけど、体調でも悪くなりました……?」


 心配そうにメイドさんたちに尋ねられて、私は慌てて首を左右に振って気持ちを切り替えた。


「な、なんでも!」


 エントランスへと続く階段を降りようとしたときだ。


「困ります、王太子殿下。勝手に屋敷に立ち入られては」

 

 玄関先から、ハーバーさんの声が聞こえてきたのは。


 一体何を揉めているんだろう。

 私とメイドさんは静かに顔を見合せ、とりあえずゆっくりと階段を降りてみることにした。

 エントランスにはハーバーさんともう1人、赤毛の男がそこにいた。

 ……アルバート殿下だ。見たくもない相手が、屋敷の入口に立っていた。

 え、何しに来たの?


「うるさい! お前は王太子である俺に意見をするのか? 立場を弁えろ!」


 いや、お前こそ立場を弁えろよ。


 いくら王太子といえど、他人の屋敷に勝手に押し入っていい理由にはならないだろう。


「あ、聖女! 今日はお前に用があって来たんだ! 表へ出ろ!」


 私の姿を見つけたアルバート様が大きな声で言った。

 久しぶりに対面したが、なかなかにうるさい。私はため息をついた。


「奥方様、行かなくていいですよ」


「無視しちゃいましょ」


「それよりクッキー食べましょ〜」


 メイドさんたちがアルバート様の様子にとても嫌そうな顔をしている。さすがリシャルト様に仕えるメイドさんたちだ。相手が王太子殿下だろうと関係なしに、思ったことを言ってくれる。頼もしい限りだ。


 私は少し考えた。

 確かにリシャルト様からアルバート様、エマ様について忠告されたこともあるし、実際アルバート様が何をしてくるか分からない。

 ここは無視する方がいいだろう。

 私はメイドさんたちの提案通り、クッキーでも食べに行こうとアルバート様に無言で背を向けた。


「話に応じないなら、俺は帰らない。なんならこの執事を傷つけたっていいんだぞ?」


 ――どういうこと!?


 アルバート様の言葉にはっと振り向くと、ハーバーさんの喉元に剣が突きつけられていた。突きつけているのは、見知らぬ黒い装束の男だ。

 気がつけば、エントランスにはアルバート様の他に黒い装束の男が2人いた。


「アルバート様、それはなんの真似ですか」


 私はアルバート様に低く尋ねた。 

 なんでハーバーさんに向かって剣を突きつけさせているんだこの王太子は。本当に王太子のやることか。


「表へ出ろ、聖女。こちらはお前の力が必要なだけだ」


 アルバート様も目が本気だ。


「奥方様、私のことは気にしなくて良いです! お願いですから!」


 ハーバーさんは剣を突きつけられているというのに、私に向かって叫んだ。

 ハーバーさんが叫んだ直後、黒装束の男がハーバーさんに突きつけた剣を動かす。

 ほんの一瞬掠めただけ、なのかもしれない。

 だがその剣先は、ハーバーさんの首を浅くだが、切りつけた。


 確かにリシャルト様のことを思えば、私が勝手なことをするべきではないのだろう。

 だけれど私は、ハーバーさんを傷つけられて平気でいられるような神経は持ち合わせていないのだ。

 

「執事は黙っていろ」


 アルバート様が冷たく言い放つ。

 これはまずい……。相手が武器を持っている以上、どうすることも出来ない。こちらには対抗手段がないのだから。


「……っ分かりました。表へ出ますから、これ以上他の人を傷つけないでください」


 私は、恐怖と怒りを抑えて静かにそう言うしかなかった。

 

 ――ああ、神様仏様。そろそろ私に平和な一日をください。

 

 

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