第6話 元お飾り聖女はお飾り妻にジョブチェンジする
「ここが、僕の屋敷です」
リシャルト様は先に反対側の扉から馬車を降りる。
どうしたのかな、と思っているとがちゃ、と私の座っている方の扉が開いた。
「キキョウ、お手をどうぞ」
紳士だ…………。
「あ、ありがとうございます」
差し出された手を断るわけにもいかず、私は素直にリシャルト様の手を借りて馬車を降りた。
目の前には、白い壁の美しい左右対称なお屋敷が建っている。
……凄い。さすがは宰相閣下の住まう場所だ。とても大きい。
屋敷までの道のりは庭を突き抜けるような形になる。様々な種類の花が咲き誇り、風でゆらゆらと揺れていた。手入れの行き届いた庭につい、見とれてしまう。
「すごいお庭ですね……!」
「気に入りました? あとで一緒に見に行きましょうか」
「ありがとうございます」
屋敷の中へはいると、ロマンスグレーの美しい老紳士が出迎えてくれた。
この屋敷の執事だろうか?
「リシャルト様、そして奥方様もおかえりなさいませ」
「ただいま」
「お、奥方様…………」
慣れない呼称に戸惑いを隠せない私に、リシャルト様がくすりと笑う。
「ハーバー、客間に書類と紅茶の準備をしてくれ」
「かしこまりました」
リシャルト様はハーバーと呼ばれた老紳士にそう指示を出すと、私の方に向き直った。
「キキョウ、それでは客間に行きましょうか」
◇◇◇◇◇◇
リシャルト様は、屋敷の中を案内してくれながら歩く。
それにしても広いなぁ……。
王城ほどではないのだろうが、部屋がたくさんあるし、高級そうな花瓶やらなんやらが飾ってある。
客間に入ると、そこには既にハーバーさんが、紅茶の用意をしてくれていた。
リシャルト様に座るように促され、部屋の中央にあるソファに座る。私の対面にリシャルト様も座った。
ハーバーさんが、静かに机の上へ紅茶を出してくれる。
「さっそくで申し訳ないのですが、こちらの書類に名前を書いて頂けますか?」
すっ、とハーバーさんが横から私の目の前に書類とペンを置いてくる。
書類に並ぶ文字を読むと、婚姻に必要な提出書類だった。リシャルト様の名前は、もう既に書かれている。
「分かりました」
私はリシャルト様の名前の横の欄に、さっき自分でつけ直した名前をこの国の言語で書いた。
ペンを机に置く。リシャルト様は書類を確認すると、とても嬉しそうにしていた。
「これで、あなたは僕の妻となったのですね。嬉しいです」
「……っ」
本当に、何なのだろうか。この宰相様は。
こんな言動ばかりされては、好かれているのでは? と勘違いしてしまいそうだ。
そんな、馬鹿な。
「この書類、すぐに提出してきますね」
リシャルト様はすくっと立ち上がる。
「先ほども言ったとおり、あなたの自由は僕が保証します。僕のことは気にせずに、キキョウはキキョウの思うまま、自由にしてください」
せっかくハーバーさんが入れてくれたのに、リシャルト様はゆっくり紅茶を飲むこともなく書類を片手に部屋を出ていった。
慌ただしい人だ……。
リシャルト様が出ていって、私は紅茶を頂きながら考える。
この結婚は、一体なんなのだろうかと。
この世界での私は、聖女として深い傷までをも治癒する力はあるが、それ以外はいたって普通の人間だ。
何なら出自も怪しいし、見た目は黒髪黒目というこの世界では忌み嫌われるか恐れられる容姿をしている。
はっきり言って、宰相様に好かれる要素など全くもって思い浮かばない。
「あの……、聞きたいんですけど」
私は近くに控えているハーバーさんに声をかけた。
「なんでしょうか? 奥方様」
「リシャルト様は、どうして私なんかに結婚を申し込まれたんだと思いますか?」
本人に聞けよ、という話だろう。
ハーバーさんに聞いたところで……という気もするが、あれだけ嬉しそうにしているリシャルト様に対して直接聞くのは、少々ためらわれた。
それに、1人でもんもんと考えていても埒があかないだろう。
「なぜ、と尋ねられましても……」
ハーバーさんは、私になんと伝えたらよいか、考えあぐねているようだった。白い髭の生えた顎に手を当てている。
「……リシャルト様は、昔から大切に思われている女性がいましてね。その方をずっと自由にして差し上げたいと考えておられたのです」
穏やかな声で、ハーバーさんがそう語る。
なるほどね。そういうわけか。
私はようやく合点がいった。
つまりこれは、本命の女性が他にいるということだな……?
私がリシャルト様とここまで話したのは今日が初めてだし、その
きっと私は、その女性と結婚するための隠れ蓑に違いない。
もしかしたらその女性は、元聖女である私よりも身元が安定していないだとか、身分差があるだとか、リシャルト様がすぐにその彼女を娶れない、致し方ない事情があるのかもしれない。
この世界、やたらラノベでお馴染みの展開が多いし!
「なるほど……。その方と幸せになって欲しいですね……」
「はい……?」
私の反応に、ハーバーさんがポカンとしている。
私は何かおかしなことを言っただろうか。
よくわからないがとりあえず、王太子にお飾り扱いされた聖女の次は、宰相閣下のお飾り妻、といったところだろうか。
リシャルト様が自由を保証する、と再三言ってくれているし、聖女の時よりかは穏やかに過ごせそうだ。
それに、宰相様のお飾りの妻なんて、なかなかに面白そう。
「私、リシャルト様の妻の代わり、がんばりますね!」
「はい? いえ、あなたは代わりではなく、リシャルト様の奥方様になるのですが――」
ハーバーさんが何か言っていたが、もう私の耳には何も入ってこなかった。
なぜなら、ラノベのような展開にワクワクして、リシャルト様の想い人ってどんな方なんだろう、などと考えていたからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます