第6話 私の魔法学 その1
教室に入ると、嫌な奴の顔が目に入って思わず「げっ」と声が出た。はしたないからそうしたくないのに、どうしても奴の顔が目に入ると顔が引きつる。
「おっ、アリアじゃん、隣座る?空いてるよ?」
「…冗談でしょ」
まだまだ席は余っている、こいつ、リベルの隣に座るなんて冗談じゃない。一番離れた席について、私は持ってきた教科書を広げた。
「まあまあまあ、そう言わずに仲良くしようぜ」
「ちょっ!こっちくんな!」
にもかかわらず、こいつは私の前の席に移動してきた。そして丁度そのタイミングで、他の生徒たちも教室に入ってきた。ここで席を立つわけにもいかず、最悪の奴を前にして、私は授業を受けなければならない。
「…チッ!」
「また舌打ちした。あんまり行儀よくないんじゃないの?」
お前がそうさせてるんだろうが、その言葉を無理やり飲み込んだ。これ以上は醜態を晒すことになる、それは避けたい。
「…お前、どうして魔法学の授業取ってるんだ。まさかただの体力バカがソーサラー志望なわけないよな」
「口悪いなあ、別に俺が何の授業を選択したってかまわないだろ?」
「それは…そうだけど…」
「まあ、魔法なんて一つも知らないし、使ったこともないんだけどね。にゃはは」
ダンッ!と教室に大きな音が響いた。私は思わず机を拳で叩いてしまった。こいつの軽薄なところが本当にいけ好かない、自己紹介の時に聞いた冒険者を目指す理由も込みで、嫌いで仕方がなかった。
ただ教室の空気が微妙になってしまって、非常にいたたまれなくなる。不本意ではあるが、誤魔化しを兼ねて私は目の前の男に話しかけた。
「お前、魔法に馴染みがないなら、魔法学なんて履修しても意味ないだろ。時間を無駄にしたくなければやめておけ」
「あらお優しい、心配してくれてんの?」
「今ここで焼き殺されたくなければ真面目に答えろ。そうでなければ焼く」
本気だ、嘘じゃない。こいつを今ここで殺して退学、服役することになっても、消した方が私の精神衛生上の得になる。そんな空気を感じ取ったのか、流石のこいつでも真面目な表情になった。
「冒険者になった時、何が役に立つか見極めるんだよ。特に俺は魔法とは無縁の生活だったからな、知って損なことはない」
「時間の無駄でもか?」
「その結果、自分には向いていないと知れる。それはやってみなきゃ分からないことだ。折角学ぶ機会が自由に与えられる場所なんだから、俺は俺に必要なものを、ここから根こそぎ奪っていくつもりだ。真面目に答えるとこんなところかな、お気に召した?」
ふんっと鼻で笑ってやると、リベルは肩をすくめて前を向いた。意外とちゃんと考えているんだな、そう思った。
別にこれで評価が上がるわけではないが、学び舎に対する姿勢は、少しだけ感心した。絶対に態度には出さないけど。
魔法学の教師が教室に入ってきた。漆黒の長い髪を先端で束ねた、あまり健康的には見えない青白い肌をした男性だ。黒のローブを身にまとっていることも相まって、青白い肌が余計、不気味に浮き上がってみえる。
「諸君、これから魔法学の授業を始める。私の名はシモン・ディー。普段は構内の研究棟にいるので、何か質問がある場合はそこに来るといい」
低く、くぐもった声でシモン先生はそう言った。第一印象は付き合いにくそうな人という感じだったが、自己紹介は意外と友好的な人だ。魔法使いにしては珍しい。
「さて、魔法学を学びに来る者の殆どが、元々魔法に馴染みがある者か、ソーサラー志望の者である。無論、それ以外の目的があっても全然かまわない。これはあくまでも、傾向の話だ」
シモン先生は黒板に向かって、白墨を慣れた手つきで滑らせた。
「馴染みがあろうとなかろうと基本的なことから勉強するぞ。魔法の発動方法には様々な条件があるが、大まかに分類すると四つのものが必要になる。魔法の源となる魔力、魔法の設計図ともいえる構築式、現象を仲立ちする触媒、意のままに操るための詠唱。本当に大雑把ではあるが、細かくやりだしたらきりがないからな」
これは魔法を学んだことがあるものにとっては常識である、しかし、ここまで簡潔に重要な要素だけを言葉で説明するのは難しい、シモン先生の能力の高さがうかがえた。
「では、そうだな…、アリア君」
「…っ、はい!」
「これらの手順を踏まえ、モンスターとの戦いにおいて魔法を発動させるまで、どれほどの時間がかかると思うかね?自分が使える、一番簡単な魔法で考えてくれ」
発動までの時間、頭の中で試算して、はじき出した答えを口にする。
「大体15秒かと」
「ほう、悪くない答えだ。魔法使いというのはプライドが高い者が多い、大抵この質問をすると、見栄を張ってもっと短い時間を言うものだ。君は若いのに、中々身の程を弁えている」
「ど、どうも…」
「しかし不正解だ。どんなに熟練の魔法使いであっても、モンスターとの戦闘、生死を別つ局面において、使い慣れた簡単な魔法であっても、発動させるまでには、少なくとも30秒以上は見積もる必要がある」
褒められたかと思ってどうもと声を出してしまったことに顔を赤くしたが、そんなことよりもシモン先生の言っていることが信じられなかった。
使い慣れた魔法は、その魔法使いにとっては呼吸に等しい。何度も研究と研鑽を重ねてものにするもので、魔法の種類や使い手によっては、1秒にも満たない時間で発動させることができる。
「あの…、理由を聞いてもいいですか?」
「勿論だとも。まず魔法の発動には多大な精神力を要する、魔力を介して世界の理を捻じ曲げるのだから、これは当然のことだ。それをダンジョンという様々なストレスに晒された特殊な状況下で再現するには、更に多くの精神力が必要になる。刻一刻と状況が変化する戦場において、魔法は繊細すぎるのだ」
モンスターによる奇襲、ダンジョンに仕掛けられた罠、想定外のトラブル、冒険者に待ち受ける予想外の例を、シモン先生はあげていった。
それらに心乱されることなく、決められた手順、決められた触媒、決められた詠唱を正確に行うのは、確かに困難だ。発動に失敗した場合の、魔法の暴走というリスクも考慮しなければならない。
確かにシモン先生の言う通りかもしれない、しかしそうだとすると、大きな疑問がある。私がそれを質問する前に、リベルがすっと手を上げた。
「何かねリベル君?」
「先生、今の説明を聞いているだけだと、ソーサラーが戦闘では役立たずに思えてしまいます。でも、現実には違いますよね?攻撃魔法は、状況を打開する切り札になりうる冒険者の花形だ。ずいぶん意識に差があるように思えるんですけど」
悔しいが、リベルが私の聞きたかったことを聞いてくれた。シモン先生の目を見て、私もこくこくと頷くと、先生がにやりと笑みを浮かべた。
「実にいい質問だ。そして謝罪する、今のは君たちが知る既存の魔法の概念と自信を壊したくて、少々意地悪なことを言った。確かに魔法使いは戦闘向きではない、しかし、ダンジョンにいち早く適応し、強力な攻撃方法を編み出したのは魔法使いだ」
シモン先生の口調に、興奮して熱が入り始めた。
「私たち魔法使いの武器は、思考だ。考えることこそが武器、そして神髄である。冒険者として活躍するために、先人の魔法使いたちは、知恵を結集し、戦闘に特化した魔法を編み出してきた。君たちは今からそれを学び、冒険を通じて、更に自分の魔法を発展させていくのだ!!それこそがソーサラー!!パーティーの頭脳である!!」
先ほどまでの落ち着いた様子から一変して、シモン先生は熱く、高らかにそう語った。魔法使いとしての誇りがそうさせるのか、長い髪を振り乱して、青白い肌を上気させていた。
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