二〇二五年〇三月二〇日一三時三四分 新館二階 谷越カメラ
「うわ……結構暗いな。ライト貸して」
「はい、どうぞ」
浜寺から懐中電灯を渡され、丸児が周囲を照らした。すると暗闇の中に、いくつもの机が並んだ空間が浮かび上がった。
「何だろう。事務室か何かかな」
「そうですね。事務室っぽいですね」
丸児が部屋の端から端まで懐中電灯で照らしていった。映像で確認できる範囲では五〇畳ほどの広さがあり、大きな事務机がいくつも並んでいるようだ。部屋の奥には窓が並んでいるが、全て内側から木の板が打ち付けられており、ほとんど外からの光は入らない。
「やけに広いな……旅館の事務室ってこんなに広いもんかな」
「いや……旅館の大きさから考えると、さすがにちょっと広すぎるような気がしますね。それにこれ、凄い古いパソコンですね。いつ頃のものなんだろう」
浜寺が机に懐中電灯の光を向けた。それぞれの机にはブラウン管ディスプレイの古びたパソコンが置かれており、灰色の筐体と相まって墓石のように並んでいる。
「多分、二、三〇年前とかじゃない? かろうじて俺が子どもの頃に親の仕事場にこんなパソコンがあった記憶がある」
「それってまだ今ほどパソコンが普及してない時代ですよね。そんな頃に旅館でこれだけパソコンを使ってたんですかね」
「ちょっと多いよね。仮に従業員全員に席があったとしても、全員にパソコンは必要なかったんじゃないかな。何のためだろう」
言いながら丸児は机の上を見回し、散乱している書類の一つを手に取った。
「宿泊客リストって書いてある。こんなのも放置してあるのか」
丸児が埃をはたきながら書類をぱらぱらとめくると、そこには客の名前といくつかの数字が並んでいるようだった。
「会員番号って書いてある。会員制だったのかな」
「これ、みんな会員なんですかね。凄い数ですよね」
浜寺も横から宿泊客リストを覗き込んだ。書類は分厚く、その中身が全て名簿であれば、かなりの数の名前が記載されていることが窺える。丸児は宿泊客リストを閉じて机に戻すと、軽く事務室内を見回しつつ、そのまま部屋の奥へと進んでいった。
そして事務室の突き当たりにある扉を開けると、そこはやや高級感のある調度品や革張りのソファセットなどが置かれている部屋だった。しかしこの部屋も窓には内側から板が打ち付けられており、ほとんど外からの光が入らない状態となっている。
「応接室か何かかな。旅館に応接室ってあるもんなの?」
「どうなんでしょう。まあ、ありえなくはないんじゃないですかね。一般の宿泊客以外にも、ビジネス関係の客が来ることもあったでしょうし」
「まあそうか。でも、それにしても豪華だな。よくわかんないけど、こういう皿とかって、お高いんでしょ?」
丸児が部屋の一角を占める飾り棚へ懐中電灯の光を向けると、そこには絵画や彫刻、壺や絵皿などが埃を被っていた。映像からでは正確な価値を判断できないが、高級感を演出するには充分な品々のように見える。
「そうですね。古いパソコンとかはまあ、処分する費用を節約するために放置してるのも理解できるんですけど、こういう美術品なんかは売れば少しはお金になるはずじゃないですかね。何で放置してあるんだろう」
「ああ。何か持ち出せない事情でもあったのかな」
「というか、ここって心霊スポットとして有名で、いろんな人が来てるんでしょ。盗まれててもおかしくないんじゃない?」
谷越が小さな彫像の一つを手に取って裏や底などをカメラに映した。そこには作者の銘らしきものが彫られていたが、正確な内容は判別できなかった。
「やっぱりちょっと変だよな。この旅館」
丸児はそのまま応接室の事務室側とは別の扉を開けると外に出た。
「ここは通路か。そういえば、古末さんのお友達はこの二階で何かを見たんだよね。それってどの辺ですかね」
「ええと……多分、こっちの方じゃなくて、向こうの広い部屋の方だと思います。事務室とかの話は聞いていないので」
「そうか、じゃあ、そっちはあとで行くとして、とりあえずこの辺を全部見るか」
丸児は通路の突き当たりにある扉を開けると、この部屋も窓には板が打ち付けられているらしく、部屋は暗い。懐中電灯で中を照らしていくと、一般的な診療施設で見るような診療机と古い医療器具、それにいくつかのベッドが並べられていた。
「ここは何だ? 医務室かな」
「広いですね。ちょっとした診療所くらいあるんじゃないですか?」
「ああ。旅館にこんな広い医務室が必要かな……何だろうな。事務室とか医務室とか、別にあってもおかしくはないんだけど、一つ一つがやけに広いんだよな」
「うわ……やばいな。これ、中身入ってる」
谷越が医務室の奥にあるキャビネットに近づくと、そこにはいくつもの薬のビンが並べられており、中には濁った色の液体が確認できる。
「おい、触るなよ」
「わかってる。何の薬なんだろう」
カメラが薬のビンのへ寄ったが、ラベルには外国語で表記されており、一般的な市販薬ではなさそうだ。映像では中身の薬品は判別できないが、ここでは医師による専門的な医療行為が行われていたことが窺える。
「どう考えても普通の旅館の設備じゃないよな。何でこんな」
そのとき、周囲に大音量のハウリング音が響いた。
『もしもし、丸児さん、聞こえますか?』
「うわっ、びっくりした……はい、聞こえてるよ。もう来た?」
丸児が腰に付けたトランシーバーを取って相手に話しかけた。不鮮明だが声の様子からして、相手は女性のようだ。
『今、着いたところです。そっちはどこですか?』
「こっちは今、二階の奥まで来たところ。そっちは三階から上を見に行ってくれる?」
『三階から上ね。わかりました』
「よろしく。それが終わったらあとで合流しよう」
『はーい』
それで会話は終了し、丸児は再びトランシーバーを腰に戻した。
「お嬢さん方のご到着?」
「そうみたいだな。俺らも次へ行くか」
一行は医務室を出ると、通路を引き返して歩き始めた。
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