第19話 ゼロ「0」が鎮める不穏の予兆


 最後の聞き取り対象、薮 孝志郎が教室に戻ったのは、昼食後すぐ――5時間目の授業時間が終わりを告げようとする頃だった。


 2年1組では、一時間目以降は普段通りのカリキュラムが行われてはいた。けれど、生徒が順番に呼び出される教室は、どこか落ち着かない空気に包まれている。教師も席を外す生徒がいる以上、大きく授業を進めるわけにはいかず、この日はずっと復習がメインになっていた。

 通常でも微睡む生徒が多くなるこの時間。異常事態に授業への集中を欠く生徒たち。そんな状況に内心溜息を吐きつつ、この時間の数学の教鞭をとるのは2組の美魔女先生こと綾小路だ。教室の後ろの扉がカラリと開いて薮が姿を見せると、腰を浮かせかけた天麗あめりに、すかさず静止を伝える強い視線を向けて来る。


(ワンコへのステイ指示ですか!? くぅっ、悔しいけど、わたしの行動を的確に読んだ素晴らしい対応です。ただのベテランとは違い、美魔女に進化なさるだけはあります)


 心の中で綾小路への評価を一段上げつつ、しおしおと腰を下ろす天麗あめりだ。だが、駆け寄らないだけで気持ちは既に薮の元へと旅立っている。

 後方から彼女を見ている一色 恵利花を始め、何人かの生徒は、そんな彼女の様子に気付いて笑いを噛み殺す。それ以外の生徒らも、出席順最後の彼の帰還で聞き取りの終了を察し、教室全体が浮足立つ雰囲気を漂わせ始めていた。


 ならば、と綾小路はバンッと大きく手を打つ。


「ちょっとここで雑談を挟みましょうか。ちょうど集中も途切れたようですし」


 言いながら彼女は黒板に大きく「0」と「1」を書いてみせる。


「皆さんが活用し、大きな利便性をもたらすと共に、問題に遭遇する可能性も孕んだSNS。ということは既に身をもって知ることとなりましたね」


 ぐるりと教室を見渡す綾小路。言外に昨夜の出来事を語っているのだと気付いた生徒らは、自然と背筋を伸ばして「聞き」の姿勢をとる。ほんの少し緊張感の戻った教室に、けれど彼女はフワリと笑みを浮かべて「そんな難しい話じゃないわよ。気分転換の雑談ね。ちょっぴり勉強にもなる」と続ける。


「それらの仕組みを構築し、幸と不幸の根源ともなるプログラムの基本の話です。自分の意思を反映し、他人の思いを受け取り、細やかな情報や反応を返してくれる便利なツール。パーソナルAIに慣れ親しんでいる皆さんは、私たちの年代の人間以上の実感を持っている事でしょう」


 天麗あめりがチロリと振り返ると、そっと座ろうとしていた薮と視線が合った。ぱぁっと心が浮き立つのと同時に、彼の手から滑った椅子がガタンと大きな音を立てて、教室中の注目が薮に集まる。一瞬にして真っ赤に顔を染めた彼は、視線から逃れるように慌てて顔を俯かせて座ってしまった。


(にゅふふ、また目が合っちゃいました! けど、美魔女先生の監視の中、こんなに距離があったんじゃ何も出来ませんねぇ。アイコンタクトで言葉を伝える特殊能力が欲しいものです)


 ふんすと鼻息を吐けば、口元の笑みはそのままに、微かに目を眇めた綾小路と視線が合った。今度は「私に集中しなさい」との意思がハッキリ伝わって来る。「さすが美魔女……目で言葉を伝えてきますね」と呟けば、「経験のなせるワザよ」とさらりと返され、再び彼女の話が続けられる。


「どんなに複雑な仕組みが組み込まれようと、プログラム言語は基本0と1です。2進数とも言われます。プログラミングを含めたコンピュータの勉強をすすめていく中では重要なキーワードですね。

 コンピュータは、人の言葉をそのまま理解することは出来ません。そこで登場するのが0と1の羅列で表現される機械語です。この言葉を理解できないわけじゃないけれど、私たちが機械語を自由に操るのは英語を話す以上に難しい。そこで作られたのがプログラミング言語です。皆さんは、誰でもこのプログラミング言語を用いて、自由にコンピュータを操ることが出来るのです。使い方を誤らなければ、これほど頼もしいパートナーは存在しません。それは、皆さんが身近に触れるSNSもAIも同じことです。

 一般的にAIと呼ばれるコンピュータも、事象と経験を積層してプログラムに落とし込み、集約した情報に基づいて幾つもの選択肢を提示して見せる機能を持つモノに他なりません。だから、彼らの思考原理もまた0と1の数字の羅列です。」


 ふと、天麗あめりの脳裏をかすめたのは「0」を追い続ける薮の姿だ。


ゼロって、何なのでしょうね」


 ポツリと漏らした天麗あめりの声を、素早く拾った綾小路が続ける。


「単純に言えばゼロは『無し』。1は『有り』ね。コンピュータ上の『削除』はプログラムの上に0を重ねて存在を隠しているだけで、モノが真実無くなっているわけじゃないの。本当に消したければ、HDDを物理的に破壊するしかないってワケね」


 その言葉に思い当たるものがあった。



 薮と出会ってすぐ、必死に画面の中を探る彼が何を捕まえようとしているのか訊ねた時だ。




 ――  起こしてるんだ。0の泡に埋もれた眠り姫を  ――




 彼が掘り起こしていたプログラムは、どうして消されたのだろう?







 妙な胸騒ぎがした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る