【BL】てんまお~異世界転生して憧れのスローライフを目指していた俺に世界征服中の魔王(♂)が求婚?!~

真白 灯

序幕:0

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 ――風が、冷たい。


 雪の結晶は、夜の闇を照らす月明かりの下で、砕けた硝子のように光を反射していた。

 その音なき降雪の中に、人の形をしたものが、ひとつ、崖の下へと倒れている。


 紅の外套。黒ずんだ血。かすかに残る命の揺らぎ。

 心臓の鼓動は、まるで遠ざかる波のように弱まり、静かに――この世界から、離れつつあった。


「……おやすみなさいませ」


 雪を踏みしめて進み出たのは、濃藍の髪を風に遊ばせる、ラヴィ。

 氷の結晶を閉じ込めたような瞳が、崖下を覗き込み、しんと息を詰めたまま佇んでいた。


「陛下、ご命令どおり、接触せずに監視しておりましたけれど……随分と、苦しんでいらしたご様子でしたわ」


 隣では、ヤクモが羽ペンを掲げ、記録書に淡々と筆を走らせている。


「補給者の瞳に、赤髪。人間側がこちらへ送り込むには、あまりに目立ちすぎる容姿でしたからね。

 ――しかし魔王城への接触もなし。情報も残さず、ただ潜り込んだまま、何も告げずに消えてしまった。目的も正体も、結局何ひとつ掴めず、終わってしまったのが悔やまれます」


「……目的は、おそらく」


 ラヴィの言葉を遮るように、カナタが一歩、雪を踏み鳴らす。

 紅の瞳が、月の光を受けてわずかに揺れ、まるで何かを拒むように伏せられた。


「――生きようとした、だけ」


 静寂が落ちる。

 風も音も凍るような夜のなか、崖下に咲いた白い小さな花弁が、かすかに震えた。


「では、私が処理を――」


「いや」


 カナタは目を伏せたまま、ゆっくりと背を向ける。


「この場には手を触れなくていい」


「……では、どうなさいますの?」


「放っておけばいい」


 雪の粒がひとつ、またひとつと舞い落ちる。

 やがて白銀の帳が、すべてを包み込むように、静かに積もりはじめる。


「……来る」


「また、誰かが?」


 ヤクモの問いに、カナタは応えない。

 その瞳だけが、遠くを見つめていた。


「……違う匂いが、する」


 それだけを残し、彼は闇の中へと歩を進める。

 風は彼の外套を揺らし、雪は夜の色に溶けていった。

 そして、赤い瞳の残光さえも、やがて闇に呑まれていった。

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