第16話「市場料理祭、香りを纏う揚げ物」
朝焼けが、イベコスタンの赤茶けた石畳を淡く染めていた。
市場の中央に広がる「七香の丘」はすでに熱気に包まれ、各所からスパイスを炙る香りが立ち上っている。
その空気を吸い込んだだけで、鼻の奥がくすぐられ、頭が冴えるような気がした。
「……すごい。空気そのものが料理みたい」
莉子は呟いた。昨日の賑わい以上の、祭の朝の高揚が、街全体を包んでいた。
広場には、放射状に料理台が配置され、その中心にある巨大な香炉からは神霊香の煙が静かに昇っている。
香りと炎が交錯する中、料理人たちの姿はまるで儀式の使者のようにすら見えた。
「おう、緊張してんのか?」
ザハルが声をかけてくる。昨晩と変わらず、陽気で頼もしい。
「ちょっとだけ。でも、楽しみの方が大きいかな」
莉子は笑って応える。
その笑みに込めたのは、昨日感じた“香り”への期待、そして包丁を通じた感覚の覚醒――
“今の自分なら、戦える”という確かな実感だった。
「参加者は百二十人。今回は“選択素材制”。
クリマールとソイルビーフ、どっちか選べって方式だ」
ザハルの声に、周囲からも「きたか」とささやきが起こる。
「制限時間は三十分! テーマは“香りと熱”! 香りを纏わせろ、火を使いこなせ、心を込めろ!」
開始の号令とともに、広場全体が一気に火を噴いた。
莉子は迷わず、クリマールを選ぶ。
脂がよく乗った高原鶏。表面は薄く、香りの浸透性に優れた素材だ。
(唐揚げ。だけど、ただの唐揚げじゃない。
この国で、この市場で、ここだからこその香りを――)
手元の包丁が、静かに熱を帯びる。
まず、肉をそぎ切り。スパイス塩で軽く下味。
使う粉は異世界山芋から採れる“シュリル粉”――粘りとパリッとした食感を両立させる、揚げ物の名脇役だ。
莉子の動きは流れるようだ、集中と熱気。
香りと、包丁と、そして自分。
今この瞬間、世界は料理だけでできていた。
周囲もまた、ひとつの世界を築いていた。
◆ギザル・ドゥーン――老練な男性料理人。
黙々とソイルビーフを解体し、香草ペーストを数層にわたり肉の内部へ仕込んでいた。
焼かれた肉の中から香りが爆ぜ、審査員たちを思わず沈黙させる。
「これは……香りが中から広がる。攻めの香草だ……」
◆シャリーナ・ベイル――若き女性料理人。
胡椒入りのパン生地に、果実と鶏肉を包んで揚げる“香る包み揚げ”。
審査員がひとくち――
「……あ、甘い……でもそのあと、来る、辛さ! あっつ、でもうまっ!」
刺激と甘み、香りの波が追いかけてくる攻めの一皿。
◆モク・カラパ――寡黙な大男。
巨大な鍋で香油を煮込み、骨付き肉を香りごと煮上げる“沈黙の香煮”。
口にした審査員は咳き込みながらも呟いた。
「……これは、重厚……胃の底に響く、香りの圧……!」
◆ベルナ・ティミッド――笑顔が優しい中年女性。
繊細な揚げ団子。小さな球体に七種の香草を仕込み、層ごとに違う香りが生まれる。
「……一個で、旅した気分だ……!」
◆ザム・ハンバー――痩身の若者。
香り粉を練り込んだミートボール。焼くたび香りが段階的に開き、香気の洪水となって吹き出した。
莉子は、それらを目の端に感じながら、油を見つめた。
静かに泡立つ鍋。
そこに、丁寧に衣をつけた唐揚げをひとつずつ落としていく。
「――揚がれ。私の想いと、一緒に」
心の声が、油に沈む音に溶けていった。
揚げ上がった瞬間、莉子は香りミックスをひとふり。
特製のスパイスが、衣に溶け、熱気とともに香りを立ち昇らせる。
「完成……!」
包丁が、まるで満足げに震えた。
審査台へ料理を運ぶ。
審査員たちはその前で、しばらく言葉を失った。
「……この香り……懐かしい……いや、記憶にないのに、帰りたくなるような……」
そして――
一口。
「……ッッ!!!」
「これは……!!」
「香りが……包まれてる!? 吸い込んだあとも、しばらく鼻に残る……!」
「揚げ物なのに、優しい……いや、違う。深い! 穏やかで、でも強い……!」
言葉にならない驚きが、審査席に広がる。
一人の審査員が涙をぬぐった。
「……こんな唐揚げ、食べたことない……」
会場が静かになる。
誰もが、その香りに、味に、想いに――包まれていた。
莉子は小さく息を吐き、包丁に微笑んだ。
「ありがとう。一緒に……戦ってくれてるんだよね」
包丁は、そっと、一閃だけ光った。
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