第6話 ヤリモクだからそろそろヤれる相手とマッチングさせろ

 残業なんかしている場合ではない。春海は定時で退勤ダッシュをキメた。

 そしてスーツのまま、工藤の経営する会社のオフィスへと元気に乗り込んだ。夕暮れでますますおどろおどろしい、おんぼろアパートの階段を駆け上がる。LED照明が死にかけの、薄暗い廊下を走った。建て付けの悪い扉を開けて、怒鳴り込む。


「おい工藤、バグだバグ!」


 散らかった薄暗い部屋に似つかわしくないほど美しい男が、少女じみた笑顔で「何かな」とメガネを押し上げる。ディスプレイをどかして、春海と視線を合わせた。

 大きな瞳を縁取る、長いまつ毛が震える。華奢な指先が、ぽってりと赤い唇へ、梅こんぶを運んだ。

 優雅な仕草に、春海は「ブロック貫通、直ってないぞ」と苦々しく口元を歪めた。

 工藤はぷいっとそっぽを向く。


「春海。少なくとも『おい工藤、バグだバグだ』は、あいさつとして相応しくない。出直してくれ」


 桜色の爪が出口を指す。春海は舌打ちせんばかりの勢いで出ていった。

 そして今度は、ドアを三回、ゆっくりノックした。


「失礼します。シュンポロンのバグについて、報告があるんですが」

「入りたまえ」


 では……と、春海はていねいな仕草でドアを開けた。おかげで少し、気持ちのクールダウンができた。

 工藤は「何かな」と、すらりと長くほっそりした脚を組む。


「あれ。竹村さんは」

「彼はもう退勤した後だよ」


 いつも門番のごとく控えている大男がいないので、いつもより多少広く感じる。なるほど、確かに隣のデスクのパソコンは、電源が落ちている。


「まあいい。これだ、これ」


 春海は、シュンポロンの画面を開いた。ヨシとのマッチング画面を見た工藤は、促すように春海を見上げる。


「僕のシュンポロンは、滞りなく、きちんと走っているようだが?」

「そうだな。ちなみにこいつとは三度目のマッチングで、二度ブロックしてるんだ」


 どうだ、と春海は工藤をじっとり見下ろす。工藤は目元を意味ありげに伏せて、長いまつ毛で瞬きをした。


「……おそらく、バグ、だな……」

「だから一回目からそう報告してる……」


 いつもの調子の工藤に、ぐったりと机につっぷす。春海から書類をどかしつつ、工藤はパイプ椅子を勧めた。

 遠慮なく座りつつ、春海は「ね〜」と、工藤へ絡む。


「はやく直してよ、バグ。俺、安心してこのアプリ使えないよ」

「ふむ。しかしAIのお導きによると、よほど君と彼は相性がいいらしいが。運命じゃないか?」

「なんだよ、そのAIのお導きって」


 顔をしかめる春海に構わず、工藤は「もったいない……」と首を横に振る。


「僕の開発した高性能AI、アンドロギュノスが導き出したご縁だぞ。それも何度も、繰り返して。絶対相性がいいに決まっている」

「いいから。なんだよその小難しい名前は」

「プラトンの『饗宴』だ。さらりと読んだだけだが、なかなかよかったから使った」


 春海は「なんだよそれ……」と呟いた。工藤は頭が良くて、教養がある。かなり癖のある変わり者だけど、懐に入れた者にはどこまでも優しい。

 とはいえ、その「優しさ」は、工藤独自の裁量によるものだ。それなりに付き合いの長い春海も、これにはときどきじれったくなる。


「お前の言うことは、よく分からん。俺にも分かるように言ってくれ」

「む」


 きゅ、と工藤の目が狭まる。梅こんぶの袋を差し出した。


「すまない。詫びの梅こんぶだ」

「ん」


 甘んじて受け取る。袋ごともらった。こんぶを取り出して、食べはじめる。

 工藤は「そうだな」とメガネを押し上げ、レンズ越しに春海を見つめた。その眼差しに怯まず、春海は「頼むって」と頬杖をつく。


「俺が嫌なんだ。この子とマッチングするの……。もう、とにかく、嫌なんだ。はやく直して」

「ふむ」


 かちゃり、と工藤のメガネが鳴った。俯いた拍子にずり落ちたメガネを、彼は「面白い」と押し上げた。


「彼のこと、相当気に入っているな」

「は? 今その話はしてない。ていうか、別に気に入ってない」

「真実らしい」


 なんでか工藤はほっとした顔で笑う。なんだこいつ、と春海は口をひん曲げた。


「とにかく、頼むぞ」


 春海は立ち上がって、工藤をにらみつけた。彼は「分かったよ」と手を振る。


「それでワガママボーイの春海は、またその彼をブロックするのかな?」

「す、するけど?」


 意表を突かれて、ついどもってしまった。ワガママボーイとはなんだ。

 工藤は「ははあ」と頷き、いい笑顔を浮かべる。


「分かった。バグは、修正しておこう」

「頼むぞほんとに……」


 春海は通勤鞄を持って、部屋を出た。建て付けの悪いドアを無理やり閉めて、背伸びをする。なんだか、どっと疲れてしまった。

 かんかんかん、と音を立てながら階段を降りる。なんとも言えない気分だった。

 もちろん、春海の主張自体は真っ当なものだ。バグを直せ、と伝えることは、テストユーザーとして当たり前だ。

 だけど、「早く直して」は、春海のわがままだ。早く楽になりたくて、工藤に駄々をこねた。彼には、彼の仕事があって、それで対応できてないのかもしれないのに。


 工藤は正しい。彼はいつも、春海の本心を見透かす。

 そしてあんな言い方をしても怒らず、どこまでも春海を構ってくれる。


「あー……」


 また、やってしまったかもしれない。空を見上げて、春海は途方に暮れた。端末を取り出して、シュンポロンの画面を開く。

 ヨシのアイコンは、前に会ったときと完全に違っていた。喫茶店の中で撮られた、体格のいい黒髪の男の後ろ姿。髪型はこざっぱりして、爽やかだ。きっと男前になったことだろう。


 よかったなぁ、と春海は心底思った。こんな自分に、こんないい子を付き合わせるなんてかわいそうだ。すれっからしの春海には、それなりに似合う人生がある。

 小学生の頃に、父親が浮気をした。母親はそれをきっかけに不安定になった。いろんなことがありすぎて、年の近い姉も不安がった。

 どうにかしたかったのに、春海には何もできなかった。結局両親は離婚して、姉弟で母親の実家に引き取られた。

 それからの安全基地だったラブラドールのレオも、中学生の時に、老衰で亡くなった。だから春海はずっと寂しくて、心が全然成長していない。つまり、幼稚な人間なのだ。


 自己嫌悪の海にたっぷり浸かりながら、春海はとぼとぼと駅へと向かった。そして、ヨシをブロックした。

 こんな自分が、将来のある若者の未来を奪ってはいけない。こんな人間が、あんないい子を手に入れようだなんて、考えてはいけないのだ。


 翌日。起き出した春海がスマホを開くと、シュンポロンが通知を送ってきていた。「ヨシ」という名前のアカウントが、マッチングを申請してきたらしい。アイコンは白い壁を背景にした、斜め後ろの他撮りだ。

 癖のある黒髪越しに、何もつけていない、薄くて白い耳たぶが見える。シャープな骨格が際立って、かっこいい。首に浮いた筋がたくましさを強調して、セクシーだ。


「うわ、メロ」


 寝ぼけ眼の春海の手が、反射でマッチングを承認した。

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