第2話 ヤリモクで登録したんだが、やたら重たい男とマッチングした
高校を卒業してから、春海は複数のマッチングアプリへ登録し、日々遊び相手を探していた。特定の相手は作らず、一夜限りの関係で済ませる。あるいは、お互い身体の関係だけだと割り切って、お互いを「キープ」する。これが一番、春海の「寂しさ」を誤魔化すのに、適した形だったから。
次々と相手を探し、遊び、その夜限りで終わる。そんな生活をひたすら繰り返していたある日、昔のバイト仲間である、工藤奏多から声をかけられたのだ。
『また、僕のアプリのテストユーザーをしてくれないか』
『マッチングアプリなんだが、君はぜったい興味あるだろ!』
『テストユーザーは課金機能を無料で使える。どうだ?』
そんなメッセージが送られてきた。ちょうど夜遊びから帰るために、地下鉄へ乗り込んだところだった。休日の早朝。地下鉄は、いつもと比べて格段に静かで、走行音がやけに耳についた。それにその日は寝不足だったし、春海の判断力も鈍っていたかもしれない。
だから課金機能無料、なんて言葉に、つられてしまったんだろう。
特に何の詳細も聞かずに、テストユーザーを引き受けることにした。ITエンジニアをしているこの悪友は、いつも思い付きで、春海へテストユーザーを頼む。そこそこ面倒ではあるけれど、春海としては満更でもない。人に必要とされるのは、嬉しかった。
工藤と知り合ったきっかけになったアパレル系のバイトでも、ついつい顧客へ尽くしすぎてしまって、よく注意されていた。いつまで経っても直らない、悪い癖だ。
春海が「いいよ」とチャットを送ると、即座にアプリのダウンロードリンクが送られてくる。自宅に帰ってから、そのリンクをタップした。
そのアプリは、「シュンポロン」という名前だった。名前の由来について工藤はあれこれ送ってきていたが、すべて無視する。全然アプリ名がキャッチーじゃない、なんて親切なアドバイスは、してやらない。淡々とチュートリアルを進める。
「マッチングのための性別登録……男性。マッチング対象の性別……男性。ユーザー登録後、日記を書いて、一週間分溜まったら、マッチング参加基準を満たす……」
詳しいことは分からないが、日々の記録を文章として入力する必要があるらしい。それをAIが分析して、マッチングへ活かすと書かれている。日記はアプリ内では公開されず、相手のものは閲覧できないのだとか。プライバシーへの配慮だろう。
ちょっと面白くなってきた。春海は毎晩欠かさず、シュンポロンへ日記を書き込んだ。主に生活の愚痴や、別のアプリでマッチングした相手の感想(悪口も含む)だ。寝る前にベッドの中で、一日の出来事や気持ちを登録するのは、案外楽しい。
そうしてちょうど一週間後、春海はマッチング参加基準を満たした。その通知への了承ボタンを押した途端に、端末が振動する。
「お」
思わず、歓声みたいな感嘆が漏れた。
相手の名前は「ヨシ」、二十歳、大学生。二十六歳の春海からしたらだいぶ年下だが、ギリギリ許容範囲内だ。
アイコンはどこかの風景写真で、指のぎこちなく曲がったピースサインが見切れて写っている。顔の下半分から胸にかけての他撮り写真をアップしている、こういうアプリへ慣れきっている春海とは大違いだ。
その初々しさを見て、妙に食指が動いた。自分からトーク画面を開き、メッセージを送る。すぐにデートの申し入れをした。あちらは随分うぶな様子で、春海の会わないかという提案に驚いている。
『こんなにすぐ会うものなんですか?』
『結構みんなこんなもんだよ。いやだった?』
『いやじゃないです』
この「いやじゃないです」の返事は、ほぼ即答だった。すかさず、飲みに行く約束を取り付ける。次の週末がお互い空いていたので、そこで会うことになった。
『楽しみです』
素直なことだ。
それにしても、と、アプリのUIをしげしげ眺める。
これまでマッチングアプリを数多くやってきて、たくさん課金してきた。その春海でも、AIを使って日記を分析するアプリは初めてだった。もしかしたら既にあるのかもしれないけれど、目新しい。
春海の書いた爛れた日記を分析した結果、マッチングしたのがこの男だというのも、少しおかしかった。
その後も、やたらと飼い犬の写真を送ってきたり、道端の猫の写真を送ってきたり、道端の雑草の写真を送ってきたり。言葉遣いはどこか上品で、優しい。
なんというか、うぶだ。それからすごく、チョロそう。
童貞だろう。かわいい。でもスケベ心出したせいで、俺なんかとマッチングしたんだ。喰ってやろ。
春海はほくそ笑んだ。こんな自分の日記を分析した上でマッチングした相手だ。どうせスケベな奴に決まってる。
工藤には「これ、面白いね」とチャットを送っておいた。犬が満面の笑みを浮かべているスタンプもつけてやる。彼は「当然」と返信して、眼鏡をかけた猫のスタンプを送ってきた。
新しいことを始めるときは、理由もなくそれへ期待してしまうものだ。春海は舌なめずりをして、週末を待った。
そしてやってきたデート当日。春海は抱かれるための身体の準備を済ませて、待ち合わせへ向かった。
お互いの移動手段の兼ね合いで、名古屋駅を待ち合わせ場所に指定していた。地下鉄乗り場近くの出口である桜通口には、デパートが併設されている。エントランス部分が広場になっており、中心には背の高い金色の柱があって、先端には時計が取り付けられていた。地元の住人たちは「金時計」と呼んで、ここを集合の目印にすることが多い。待ち合わせのシンボルだ。
春海はその金時計の根元近くに立って、辺りを見渡した。既にヨシには、今日の服装を伝えてある。春先とはいえまだ肌寒いから、ニットを着てきた。身体にぴったり沿ったタートルネックの白のセーターの上に、ネイビーのジャケットを羽織っている。下は細身の黒のパンツ。この「お上品」な格好はきっと、ヨシの好みだろう。ややフェミニンな男を好む層に、春海の需要がある。特に上品ないでたちだと、自分はその手の人間からエロく見えるらしい。そのことを、よく分かっていた。
ただし春海が送った自撮りに対する「了解です」の返事があってから、ヨシの音沙汰はない。もどかしい。
端末の液晶画面を閉じて、春海は辺りを見渡した。休日の金時計は、人がごった返している。同じように待ち合わせをしている人が、相手を探して顔を上げる様子。喋り込んでいる様子。合流して、歩き出す様子。
(さみしい)
ふと、春海の胸が苦しくなった。またこれだ、と慌てて目を閉じる。開ける。
幼い頃からずっと、わけも分からず寂しい。こういう人込みにいると、余計に。
(早く来ないかな。それでさっさと抱いてもらって……童貞だろうな。どんな反応、するのかな)
そんな淫らな物思いにしばらくふけってた。十分以上経っただろうか。
ふと、目に付く人物がいた。
癖のある黒髪の、背の高い男だった。猫背気味の身体で人混みの中へ飛び込んで、右往左往している。
水色のチェックのシャツを、クリーム色のズボンへイン。前髪は野暮ったく目にかかって、邪魔そうだ。
その彼と、目が合った。
途端に、男の表情が明るくなる。嫌な予感がした。
彼は駆け足になって、人混みを掻き分ける。一直線に春海のもとへやってきて、はにかんだ。
春海は呆然と、彼を見上げる。
「ハルさん、ですか? ヨシです」
「は、ハルです。よろしくお願いします……」
思ったよりすごいのが来た。春海は内心の動揺を隠すように微笑む。
ヨシはといえば、胸の前でそわそわと指を絡めている。視線は若干泳いでいた。うぶとかいうレベルではないのかもしれない。
よくもこんなレベルで、マッチングアプリのテストへ参加しようとしたものだ。いや、だからこそ参加したのだろうか。
とにかく、これはない。純情すぎて、スケベとかそういう話じゃない。春海は金時計の時刻を確認した。
(約束の時間、五分前ちょっきり)
ヨシに視線を戻す。彼は浮ついた様子で「じゃあ、行きましょうか」とちらちらこちらを見ていた。
(今ならまだ断れるだろう。でも)
彼は期待に満ちた目で、春海を見ていた。ここで春海が帰ったら、この男はきっと落ち込むだろう。
春海は、目の前で人が落ち込むと、自分の過失関係なしに申し訳なくなるという癖がある。どうにも悪い癖だった。そして、治すことも難しかった。
「あー……。行きましょう」
腹を決めて、春海は歩き出した。
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