第3章 第6話 「敗北、そして静かな夜」

──初めて“間違えてよかったかもしれない”と思う日


開票発表は、昼過ぎだった。

その瞬間を、御門律は誰よりも静かに迎えた。


「次期生徒会長、陣内颯太──信頼ポイント、51.3%」

「御門律、48.7%。選挙戦は、僅差で幕を閉じました」


わずか、2.6ポイント差。

だがそれは、“完璧な正解”を重ねてきた彼にとって、

絶対に起こってはならない“誤差”だった。


──完璧なはずだった。

──間違いのない道を選んできた。

──勝つべきだった。


だが今、目の前には結果という事実しかなかった。


「……負けたのか」


その言葉を、口に出すことはなかった。

ただ、胸の内に、そう静かに刻んだ。


 



 


その日の夜、律は、誰にも会わなかった。

祝賀ムードの教室からも、陣内の勝利演説が流れる校内放送からも距離を取り、

一人、屋上に上がっていた。


夜風が、顔に触れる。

空はやけに高く、冷たい。


選挙戦のあいだ、彼の言葉は寸分の狂いもなく調律されていた。

そのすべてをオルクスが導き、彼が選んだ。


だが、その言葉は──届かなかった。


勝つために、正しいために、誤解されないように、

彼は言葉を削り、研ぎ澄まし、磨き上げた。


それでも──あの少年の、

喉が震え、足元がおぼつかず、何度も言い直した演説に、

誰もが涙し、拍手し、“共に歩きたい”と願った。


 


「……ああ。そうか」


律は初めて、**“間違えてよかったかもしれない”**と、思った。


それは、敗北の中でしか辿り着けなかった感情だった。


もし、また“勝って”いたら、

きっと彼は、何も気づけないまま、孤独の中で“完璧”を演じ続けていただろう。


そのまま進んでいたら、

誰の声も届かず、誰の涙も知らないまま、

誰の“ありがとう”にも気づけない人間になっていた。


 


──けれど、負けた。


そして、その瞬間にだけ、

あのとき理解できなかった**“背中を押したい”という言葉**が、

ほんの少しだけ、意味を持った。


 


「……オルクス」


律は、ポケットから端末を取り出す。


《接続準備完了。何をお望みですか?》


「今は、何も」


そう言って、彼は電源を切った。


 


今日は、“正しい答え”はいらなかった。

ただ、静かに、夜を味わいたかった。


 



 


そのとき、校門の前をひとり歩く背中が見えた。

陣内颯太だった。


彼は、選ばれた生徒会長でありながら、

その背中は、なぜかまだ“不器用”で、

まっすぐで、そして──どこか羨ましかった。


「……あいつ、本当に“勝った”のかもしれないな」


そう呟いたとき、自分の言葉に少しだけ笑えた。


まるで、正解じゃないことを肯定するような口ぶりだった。


それは、御門律が自らに課していた“檻”に、

はじめて自分の手でヒビを入れた瞬間だった。


 


完璧じゃなくていい。

論理だけじゃなくてもいい。

理解されなくても、寄り添うことはできる。


それが、たった一つの“間違い”から始まったとしたら──

この敗北は、意味を持っていた。


 


そう、確かに思えた夜だった。

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