第3章 第6話 「敗北、そして静かな夜」
──初めて“間違えてよかったかもしれない”と思う日
開票発表は、昼過ぎだった。
その瞬間を、御門律は誰よりも静かに迎えた。
「次期生徒会長、陣内颯太──信頼ポイント、51.3%」
「御門律、48.7%。選挙戦は、僅差で幕を閉じました」
わずか、2.6ポイント差。
だがそれは、“完璧な正解”を重ねてきた彼にとって、
絶対に起こってはならない“誤差”だった。
──完璧なはずだった。
──間違いのない道を選んできた。
──勝つべきだった。
だが今、目の前には結果という事実しかなかった。
「……負けたのか」
その言葉を、口に出すことはなかった。
ただ、胸の内に、そう静かに刻んだ。
◇
その日の夜、律は、誰にも会わなかった。
祝賀ムードの教室からも、陣内の勝利演説が流れる校内放送からも距離を取り、
一人、屋上に上がっていた。
夜風が、顔に触れる。
空はやけに高く、冷たい。
選挙戦のあいだ、彼の言葉は寸分の狂いもなく調律されていた。
そのすべてをオルクスが導き、彼が選んだ。
だが、その言葉は──届かなかった。
勝つために、正しいために、誤解されないように、
彼は言葉を削り、研ぎ澄まし、磨き上げた。
それでも──あの少年の、
喉が震え、足元がおぼつかず、何度も言い直した演説に、
誰もが涙し、拍手し、“共に歩きたい”と願った。
「……ああ。そうか」
律は初めて、**“間違えてよかったかもしれない”**と、思った。
それは、敗北の中でしか辿り着けなかった感情だった。
もし、また“勝って”いたら、
きっと彼は、何も気づけないまま、孤独の中で“完璧”を演じ続けていただろう。
そのまま進んでいたら、
誰の声も届かず、誰の涙も知らないまま、
誰の“ありがとう”にも気づけない人間になっていた。
──けれど、負けた。
そして、その瞬間にだけ、
あのとき理解できなかった**“背中を押したい”という言葉**が、
ほんの少しだけ、意味を持った。
「……オルクス」
律は、ポケットから端末を取り出す。
《接続準備完了。何をお望みですか?》
「今は、何も」
そう言って、彼は電源を切った。
今日は、“正しい答え”はいらなかった。
ただ、静かに、夜を味わいたかった。
◇
そのとき、校門の前をひとり歩く背中が見えた。
陣内颯太だった。
彼は、選ばれた生徒会長でありながら、
その背中は、なぜかまだ“不器用”で、
まっすぐで、そして──どこか羨ましかった。
「……あいつ、本当に“勝った”のかもしれないな」
そう呟いたとき、自分の言葉に少しだけ笑えた。
まるで、正解じゃないことを肯定するような口ぶりだった。
それは、御門律が自らに課していた“檻”に、
はじめて自分の手でヒビを入れた瞬間だった。
完璧じゃなくていい。
論理だけじゃなくてもいい。
理解されなくても、寄り添うことはできる。
それが、たった一つの“間違い”から始まったとしたら──
この敗北は、意味を持っていた。
そう、確かに思えた夜だった。
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