パート3:失われた心の支え
カフェテリアでの一件以来、イザベラ様を取り巻く空気は、さらに冷たく、重くなった。
もはや彼女に話しかけようとする生徒は皆無に等しく、その孤立は誰の目にも明らかだった。
リリアン様とマーサ様も、以前のように常に傍にいることはなくなり、何かと理由をつけては距離を置こうとしているのが見て取れた。
(まあ、賢明な判断よね。沈みゆく船にしがみつく必要はないもの)
私だけが変わらず、影のようにイザベラ様の傍らに控えていた。
もちろん、それは忠誠心からではない。最高の観客席を手放すわけにはいかないからだ。
イザベラ様も、そんな私を気にするでもなく、ただ、日に日にその表情から余裕を失い、瞳の奥に焦りと苛立ちを募らせていた。
事件が起こったのは、そんなある日の放課後のことだった。
イザベラ様の私室に呼び出された私たちは(とはいえ、リリアン様とマーサ様は渋々ついてきただけだったが)、いつもと明らかに違う、尋常ではないイザベラ様の様子を目の当たりにした。
「ない……どこにもないのよ!」
イザベラ様は、普段の冷静さを完全に失い、半狂乱で部屋の中を引っ掻き回していた。
髪は乱れ、ドレスも少しよれている。その瞳は焦りと恐怖で見開かれていた。
「わたくしのブローチが……! お母様の形見のブローチがないの!」
ブローチ。
それは、イザベラ様が幼い頃に亡くされたお母様から譲り受けた、ただ一つの形見。いつも彼女の胸元で、ルビーの瞳と同じ色の宝石が静かに輝いていたはずのものだ。
あれは、この孤高の悪役令嬢にとって、唯一無二の、そして最後の心の拠り所だったのかもしれない。
「あなたたち! 何をしているの! 早く探しなさい!家中をくまなく探すのよ!」
ヒステリックな叫び声が部屋に響く。
物に当たり散らし、侍女たちを怒鳴りつけ、リリアン様やマーサ様にも当たり散らす。
しかし、どれだけ探しても、その小さなブローチは見つからなかった。
私はその一部始終を、いつものように冷静に観察していた。
だが、私の『観測』能力が捉えるイザベラ様の内心は、これまでの怒りや苛立ちとは明らかに異質だった。
(これは……違う)
そこにあるのは、プライドや怒りではない。
もっと根源的な、深い喪失感。大切なものを奪われた子供のような、途方もない絶望と心細さ。
彼女を支えていた最後の糸が、ぷつりと切れてしまったかのような、痛々しいほどの脆さ。
見ているのが、少しだけ、辛かった。
いや、違う。これは「辛い」のではなく、「私の美学に反する」のだ。
(こんなのは……私の見たい『物語』じゃない)
悪役令嬢イザベラの破滅は、もっと気高く、もっと鮮烈でなければならない。
こんな、ただただ惨めで、救いのない喪失によって、彼女の物語が歪められるのは許せない。
これは、美しい悲劇じゃない。ただの事故だ。
捜索は打ち切られ、侍女もリリアン様もマーサ様も、疲れ果てた様子で部屋を出て行った。
誰もいなくなった部屋で、イザベラ様は力なくベッドに蹲り、か細い嗚咽を漏らし始めた。
肩を震わせ、声を殺して泣くその姿は、もはや「悪役令嬢」ではなく、ただ傷つき、打ちのめされた一人の少女だった。
その姿を見た瞬間、私の中で何かが決まった。
もう、ただの観測者ではいられない。
(イザベラ様……)
声には出さない。
ただ、強く、強く心に誓う。
(必ず、わたくしが見つけ出して差し上げますわ)
あなたのための、最高の舞台を汚させはしない。
あなたの物語を、醜い偶然で終わらせたりしない。
初めて抱く、観察者としての立場を超えた強い意志。
それは、歪んでいるかもしれないけれど、紛れもなく、私の「推し」への献身だった。
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