ゾンビパンチ!

AI

第1話 少女ルビィ登場

「これが噂に名高い死門デスゲートかぁ。でもこんなもんで、本当に死者の軍勢が防げるのかよ」


 フードを目深まぶかに被った少女が、身長の10倍ほどもある巨大な壁を見上げながら、そう呟いた。

 赤黒く変色し、所々崩れかけたその壁は、幾度いくどもの戦いからこの街を守り続けてきたのだが……。

 高くそびえるその壁も、少女にとっては隣の家とをへだてる垣根かきね程度にしか見えないようだ。


 その証拠に彼女は軽く助走をつけて壁に飛びつくと、猿のようにひょいひょいと登り、軽々と防壁のてっぺんまで辿たどり着いてしまう。


「やっぱ余裕じゃねーか。こんなんじゃあ、次攻め込まれたら滅んじまうんじゃねーかなぁ」


 男勝りのがさつな言葉づかいで、そんな物騒なことを口にする。けれどこの壁は本来なら簡単に登れるようなものではない。少女の身体能力の方が異常なのである。


 その少女は、あまりに奇妙だった――

 フードのせいで顔つきはわからないものの、細い肩と痩せた身体つきは明らかに幼い少女のものだ。

 けれど短いマントからのぞくその身体には、少女にはあまりに不似合いな、むごい刀傷がいくつもある。一度バラバラに千切れた手足を無理やりつなぎ合わせたような、ぎざぎざの縫合痕ほうごうあとが痛々しいほど目立っていた。


 おまけに所々ところどころ肌の色も違う。

 中でも褐色の右腕は、たくましく鍛え上げられた筋肉が浮き出ており、とても少女のものとは思えない。間違えて他人の腕を移植してしまったような、ちぐはぐさだ。


 そして短めのズボンにむき出しの手足と、いかにも身軽そうな格好にもかかわらず、腰には身の丈に合わない無骨な長剣をひっさげている。


 こちらの剣の方も尋常じゃない。

 分厚い鉄板のような幅広の片刃剣は、馬を真っ二つにできそうなほど大きく、普通ならとても少女が扱いきれる代物しろものではない。

 鞘のない抜き身の刃先は、かぎ針のように横に突き出ており、大きく開いた口のようだ。

 柄の根元の十字つばには、こぶし大の水晶玉がはめ込まれており、その真ん中の瞳みたいな青白い光と相まって、まるで目玉のように見えた。


 不思議なことに、その青い瞳がぎょろりと動き、刀身から声が響く。


「ルビィさん、やっぱり止めましょうよ。危険すぎますって……。この死門デスゲートから先は死者の国なんですよ。命が幾つあっても足りませんよぉ」


 ルビィと呼ばれた少女は、不安そうに喋る剣をバンバンと叩くと、豪放ごうほうに言い放った。


「大丈夫だっつーの。それに今さら退けるかよ。この先には魔剣アンデッドメイカーがあるって話だ。そいつを手に入れるまでは、帰るわけにはいかねーよ」


「だから余計に心配なんです。その魔剣を狙ってる奴らと戦うことになったらどうするんですか? 僕はこう見えても平和主義者なんですから……。絶対に争いに巻き込まないでくださいよぉ~」


「ジーク……お前、剣のくせになにが『平和主義者』だよ!? むしろ戦うのが本分ほんぶんだろが!」


 気の弱そうな発言をする剣に向かって、呆れたルビィが突っ込みを入れる。けれどジークと呼ばれた剣はわるびれもせずに、さらに続けた。


「いや、僕はもう戦うことに疲れたんです。絶対に人殺しはしないと不殺ころさずを誓ったんですから」


「む、矛盾しまくりじゃねーか……」


 ジークの剣とは思えぬとんでもない発言に、ルビィもさすがに閉口し、無視することに決めたようだ。


 とりあえず壁の外を眺めようとしたのだが、デコボコ状の胸壁からはルビィの低い背丈では見づらかったため、見晴らしの良い場所を探す。

 防壁の最上部の歩廊ほろうは人が並んで通れるほど広く、銃眼じゅうがんから壁の外に向けられた大型弩バリスタ投石機カタパルトが並んでいる。

 ルビィはその脇をぴょんぴょんと跳ねるようにすり抜けると、その先にあった張り出しやぐらのひさしに手をかけ、そのまま回転するように屋根に飛び乗った。


 勇ましく立ちあがったルビィは、これから挑もうとしている壁の外の世界を見据えた。

 彼女の立つ死門を境にして、背後には死門街、目の前には川をへだてて砂塵の舞う死界が広がるのだ――


 死門街はその名の通り、死門デスゲートと呼ばれる巨大な壁に守られた、寂れた街だ。苦悩の平原という平原とは名ばかりの、草木も生えない荒野のはじに位置している。

 ここから先は死の灰を撒き散らす死神竜ブリガンテスの住処で、死者たちの国となっていた。生者がひとたび死の国に足を踏み入れれば、瞬く間に亡者たちに取り込まれ、自らも死者の一員となってしまう――そう恐れられており、そのため誰も近寄らない。この壁を越える者は皆無だった。

 生者と死者の境界線、それがこの死門デスゲートと呼ばれる長く巨大な壁なのだ。


 だが、今ひとりの少女がこの壁を飛び越えて、死者の国へと旅立とうとしていた。


 渇いた大地に吹き荒れる死の風が、もうもうと砂塵を巻き上げながら、冷たい石壁に叩きつける。彼女はそんなことはおかまいなしに、手足を大きく広げてその風を浴びると、


「気持ちいい風だねぇ」


 そんな場違いな感想を漏らす。


「死の風が気持ちいいわけないでしょ……」


 そうジークがぼやいたが、彼女には聞こえていないようだった。


「そろそろ行くか」


 そう言って高い壁のやぐらから飛び降りようとしていたルビィを、慌てて剣が引き止める。


「人の話聞いてました? 待ちなさいって!」


 ルビィを行かせまいと、ジークはゴムのように刀身をよじると、かぎ針状の剣先をやぐらの屋根に引っ掛けて引き戻そうとした。そのせいでつんのめってずっこけた彼女は、壁にしたたかに鼻を打ちつけてしまう。


「いてぇ……お前なにやってんだよ!? せっかくのあたしの鼻がペチャンコになっちまっただろうが!」


 フードの下にある元から低い鼻を、痛そうにさすりながら文句をつけるのだった。


 ルビィとジークがそんなやり取りをしていると――

 壁を乗り越えようとしていたルビィに、今頃になって気付いた大男の門番が、胴間声どうまごえを張り上げて門の詰め所から飛び出してきた。


「おめぇ、なにやってんだ? どうやってそこまで登ったんだ!?」


 門番はいかつい顔の巨漢の親父だ。兵士のくせにろくに鎧も着ておらず、素手で岩を砕きそうなほどの切れ上がった筋肉が見てとれる。

 後先考えない惚れっぽい男なのだろう。むき出しの腕には七人の女の名前の刺青があり、そのうち上から六人の名前はバッテンで消されていたからだ。


 外階段を駆け上ってきた門番は、ルビィを見て驚く。

 死門を越えようと襲いかかる侵入者どもは決して見逃すはずはないが、まさか街から壁を乗り越えて死界へ入っていこうなんて、命知らずの阿呆あほうがいるとは夢にも思っていなかったのだ。だから気付くのが遅れてしまった。

 しかもその阿呆は、年端もいかない少女ではないか。


「おめぇみてえな娘っ子が、なにしようとしてたんだ!?」


 そう問われて、ルビィは思わず言いよどむ。

 見つからなければ素知らぬ顔で通り過ぎれば良かったのだが、見つかった今となっては、逃げて背後から大型弩バリスタで打ち抜かれてしまってはたまらない。ちょっとばかり悠長にし過ぎたことを後悔した。

 仕方なくルビィはやぐらから歩廊に飛び降りると、面倒くさそうに答える。


「怪しいもんじゃねぇよ、ちょっと死界に行きたいだけなんだ」


「バキバキに怪しいわッ! それに死界に挑むってえのはどういうことだ?」


「ちょっとばかしアンデッドメイカーって剣を探しに行くだけだよ」


 だが門番はその魔剣の名を聞くと顔色を変え、鋭い目つきで少女を見据える。


「おめぇ、そのアンデッドメイカーがどんなもんか知ってるのか? 殺した相手を死者の化け物に変えちまう恐ろしい魔剣だぞ。なんでそんなものを探してんだ? ……ちょっと顔を見せてみろ」


 こわい口調で近寄ると、ルビィのフードに手をかけようとする。

 彼女は嫌がりとっさに後ずさるのだが、門番はゴツい見た目のわりに思いのほか機敏だった。なにせ死門を任されている歴戦の強者つわものなのだ。

 彼はルビィのフードをバサリとまくり上げる。すると無残な顔があらわになった。


 少女の愛らしいはずの顔には、頭から真っ二つに斬られたようなギザギザの刀傷があったからだ。

 右の額から鼻筋を通り、斜めに頬まで届くその傷は、手足と同じように痛々しい縫合痕ほうごうあとが残る。しかも左右で肌や髪の色も違い、右側の白い肌に赤毛に比べ、左側は灰色に変色した肌に黒髪だ。そのうえ瞳の色も左右で異なっていた。


 不気味というほかはない――

 理由はわからないものの、傷だらけのこの少女は壮絶な過去を背負っているに違いない。

 ルビィは赤と黒の二つの瞳で門番を睨みつけた。

 さすがに男も悪いと思ったのだろう。


「……すまねぇ」


 そう一言謝ると、頭をぼりぼりとかきながらさらに言い訳する。


「最近になって急に、この死門を超えようとするやからが増えてな……。恥ずかしい話だが先日も数名の門番が怪我ぁ負わされて、みんな神経質になってんだ。おめぇも悪いことはいわねぇ、素直に戻んな」


 門番の言葉を聞いたジークが、ルビィにだけ聞こえるように耳打ちする。


「僕たちと同じようにアンデッドメイカーが見つかったという噂を聞きつけて、手に入れようとやってきた者たちがいるようですね……。やっぱり死界に行くのは止めましょうよ」


 危険を察したジークが、これでルビィを止められるはずだと思い忠告するのだが、彼女は首をぶんぶんと横に振ると門番にも聞こえるようにきっぱりと答えた。


「退くわけにはいかねーよ。アンデッドメイカーを手に入れれば、あたし……いや、妹の命が救えるかもしれねーんだから」


「妹だと……それはどういうこった!?」


 そう尋ねる門番の言葉を無視して、ルビィは突然何かに気づいて慌てたように胸壁に近づくと、落っこちそうなほど身を乗り出して死界の向こうを凝視する。


「なんか近づいて来てっぞ……。鳥にしてはデカいな!?」


 砂塵の舞う死界のはるか彼方、豆粒くらいに見える物体が、低空飛行しながら恐ろしい勢いで死門へ向かって来ていたのだ。ぐんぐん近づいてくるその姿は、すぐに翼を広げた獣だとわかった。その背に鎧姿の人間も乗っている。

 しかもその獣から逃げるように、子供らしき人影が走って来ているではないか。

 ルビィの後ろから覗く門番が、同じくそれを目撃すると叫んだ。


「鳥なんかじゃねぇ、あれはドラゴンだ! しかも子供が追われてるぞ!?」


 門番が持っていた警笛けいてきを鳴らすと、それに合わせて激しい鐘の音が響く。

 敵襲に気づいた五人ほどの衛兵たちが詰め所から続々飛び出し、外階段を駆け上ってくる。しかしこの人数では空飛ぶ竜に敵うはずがない。

 いかつい顔に焦りを浮かべながら、門番は舌打ちする。


「本隊の兵士たちが来るまでにはまだ時間がかかる。それにあの位置じゃガキを助けらんねぇ…クソッ!」


「あたしが助ける! 行くぞ、ジーク!」


 そう威勢良く言い放つルビィを、門番が制止する。


「おめぇみてぇな小娘に何ができるってんだ!? それに相手は空飛ぶドラゴンだぞ、剣ひとつじゃ敵に届きもしねぇぜ……」


「心配いらねぇって。それにちょうどいいもんがあるじゃねーか」


 ルビィは備え付けられた大型弩バリスタの土台に蹴りを入れてぶち壊すと、メリメリメリッと大型弩バリスタ自体を引きちぎり肩に担ぎ上げた。牙のような八重歯やえばを見せてニヤリと笑う。


「借りてくぜ!」


「なんちゅう馬鹿力だ……しかたねぇ、これを持ってけ!」


 門番は呆れつつも、持っていたバリスタ用の矢筒やづつを放り投げる。少女はそれを受け取ると、剣をバンバンと叩いて気合いを入れた。


「ルビィさん、痛いですって! それにドラゴンに敵うわけないでしょう……無謀すぎますよ」


「四の五の言ってる場合じゃねーよ。行くぞ、ジーク! 覚悟を決めろ!」


 ルビィはジークの制止を振り切って、ひょいっと壁を乗り越え一気に飛び降りるのだった――

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