霧の祈り子たち

橘天音

序章①

薄赤い霧に包まれていた。

人々が悲鳴をあげている。

怪物。銃声。

ぼくはただ立ち尽くしていた。

それはこの世界に絶望が溢れた時のこと。


耳障りな警報音でぼくは夢から引き離されるみたいに目を覚ました。

非常呼集だ。

ベッドから跳ねるように起き上がり仮眠室を出る。

当直で仮眠時間なのに非常呼集とはついてない。

ブーツを履いたまま寝ていてよかった。

装備室へ向かおうとすると後ろから副島が走ってくるのが見える。

「前島!急げよ。5分以内にハンガーに集合だ」

副島の声が少しだけ緊張の色を帯びている。

事態は急を要するのだろう。

ぼくは返事もそこそこに装備品室へダッシュした。

副島が後から続く。

仮眠室からは歩いて1分、走れば15秒。

装備品室に駆け込むと中には見慣れない顔が一人いた。

まだほんの少年だ。

入隊したての新人だろう。

ぼくは自分のロッカーからボディアーマーを取り出し20秒で身に付ける。

新人隊員はアーマーをなかなか着られずに完全にテンパっている。

ぼくはそいつのアーマーのストラップを後ろから締めてやった。

そいつは少し飛び上がるように驚いた様子でぼくの方を振り返る。

「ありがとうございます、ええと、前島一士」

「いいよ、アーマー着けるのは慣れないと速くならないからな。練習しとけ」

訓練でもアーマーの着け方はさんざん習うのだが、焦るとうまくいかないのは

靴ひもを結ぶのと同じだ。

こいつもきっとブーツをちゃんと履くのにやたら焦ったに違いない。

左足の結び目が堅結びになっているのを見つけてそれも直してやる。

少年が礼を言いかけた瞬間、副島の声が飛ぶ。

「あと30秒だ!お前ら急げよ」

副島は15秒でアーマーを身に付け、ヘルメットをかぶると先に装備室を出ていった。

装備室からハンガーまではダッシュで30秒。

ぼくが無言で走り出すと少年が慌てて後に続いた。

ハンガーには装甲車両が1台、すでにスタンバイしていた。

その傍らで屈伸運動をやっていた少女がぼくに声をかけてくる。

「ハル、遅いよ。10秒遅刻。今回もあたしの勝ちだね」

少女はマリ。任務ではぼくとツーマンセルを組むバディだ。

「遅いってお前、お前はアーマー着てないだろ。ハンデが多すぎだよ」

「だめだめ。負けは負け。あとで今日のスイーツ奢りね!」

そばかすだらけの顔が快活に笑う。

ぼくとマリは緊急呼集でどちらが先にハンガーに着けるか毎回賭けをしているのだ。

ちなみに今のところの勝敗は25敗1引き分けでぼくの負けがこんでいる。

任務の性質が違うマリはボディアーマーを身に付けなくて済むので速いのは当たり前だ。

その不公平さについて何回目かの抗議をしようとしたとき、装甲車の助手席から女性が滑るように降りてきた。

アーマーの肩に三尉の階級章が一瞬きらめく。

長い黒髪を後ろでまとめ、眼鏡をかけている。

「前島一士はここにいる?」

ぼくだ。

「はい、前島一士は自分です」

「そう、あなたが『目』の『能力者』ね。私は森崎三尉、今回からあなたたちの任務の

指揮を執ります。ブリーフィングであなたの能力について詳しく聞かせてもらうわ。よろ

しく、ハル坊」

「ハル坊」と呼ばれたのにぼくは動揺した。

子供時代のあだ名だ。周りの大人はみんなぼくを「ハル坊」と呼んでいた。

初対面でそう呼ばれるのは不思議というか、わけが分からない。

その理由を訊こうとしたが副島の声に遮られた。

「分隊5名、集合よし!乗車しろ」

さっきの少年は装甲車の運転手を務めるようだ。

つんのめるようにして運転席に自分の体を収めた。

「新人君か。生き残れるといいね」

マリが珍しく神妙な表情でボソッと言う。

「大丈夫、死人なんか絶対出さない。俺とお前がいれば。そうだろ?」

ぼくの言葉にマリはいつもの笑顔になった。

「そうだね。あんたとあたしは最強コンビだもんね!」

マリも『能力者』だ。

ぼくたちは特別な兵士。

何があろうと仲間を死なせやしない。

そう自分に言い聞かせ、ぼくは装甲車に乗り込んだ。

後から副島とマリが乗ってくる。

後部のドアが閉まったのを確認してさっきの少年はエンジンをかけた。

装甲車が走り出す。

「それで隊長、今回の『霧』はどんな具合なんです?」

副島が森崎に尋ねる。

そう、ぼく達はこれから『霧』の中へ行く。

人類史上最悪の災厄の中へ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る