幽霊と会える鏡

 七不思議の七番目、最後の七不思議。『幽霊と会える鏡』の伝説。

 それは、全ての七不思議を解き明かした者の前に、姿を現す――


 静まり返った部屋の中。聞こえるのは時計の秒針が時を刻む音と、私達二人の微かな息遣いだけ。窓の外では、夜の帳が街をすっぽりと覆って、遠くの街灯りが微かに瞬いていた。

 卓上に置かれたシオンのスマートフォン。その黒い画面は、まるで深淵を覗き込む鏡のように、私達の緊張した面持ちを映し出している。


 私が転送したアップデートパッケージは、既にインストールが完了している。システム本体も改造済み。あとは起動するだけ。『幽霊と会える鏡』の正体が、今まさに解き明かされようとしている。


「それじゃあ……実行するよ?」


 シオンは確認するように、私に視線を向ける。その声は緊張で微かに震えていたが、瞳の奥には揺るぎない決意の色が宿っていた。私は黙って頷く。


 彼女の細い喉から、小さく息を飲む音が鳴る。そうして意を決したようにスマートフォンの画面へ視線を戻し、彼女は震える指先で――画面中央に表示されているAIアシスタントツールの起動アイコンに、そっと触れた。


 一瞬、画面全体が白く明滅した後、暗い闇が画面を覆い尽くす。それは、シオンが所持しているスマートフォンにデフォルトで搭載されているAIアシスタントツール。その起動画面である。


 一般的なAIアシスタントツールの機能と比較して、シオンの持つそれとで大きな違いはない。表示された黒い画面に向かって、話しかけたり文字を入力したりすると、AIが回答を生成する。標準的な機能だ。


 そしてこのタイプの生成AIは、ユーザーから命令を入力しない限り、能動的に反応を示すことはない。だから、当たり前と言えばそうなのだが――私達が起動したそれもまた、うんともすんとも言わずに、ただ黒い画面を広げているだけだった。


「うまく……いってるのかな……?」


 シオンが不安そうに呟く。しばらくの間、私達は無言のままその黒い画面を見つめていた。


 確かに一見しただけでは、画面に変化は見出だせない。しかし確実に、何かが変わった気配を感じる。私にはそれが、どういうわけか確信できた。


「あっ……?」


 そんな私の確信を裏付けるように――突如、変化のなかった黒い画面に、文字列が浮かびあがる。それに気付いたシオンは、不意を突かれたような高い声を上げていた。

 その文字列は、たった一行のシンプルな英文で――「私の名前を呼んで」、とだけ綴られている。


 それを目の当たりにした私は、声が出せなかった。いつもの独り言すら出てこない。ただ思考だけがぐるぐると廻り続けている。

 能動的に言葉を発するはずのないAIアシスタントツールが、こちらに語りかけてくる。確かに異常な現象だ。

 つまり『鏡』とはデバイスのことで、『幽霊』の正体はアップデートされたAIアシスタントツール――これがシオンの探し求めていたものなのだろうか。


 ずっと違和感があった。『幽霊』を探し求めるシオンのことも、周りの人達の反応も、私自身の言動も――何もかもが食い違っているような印象が、どうしても拭い切れなかった。

 ただ、その正体を言語化する為に必要なものが、欠けている。そう、私はきっと何かを忘れている――そんな予感だけが、私の中でずっと燻り続けていたのだ。


 それが今、解き明かされていく。欠けていたものが、私の中に返ってくる。その実感がある。

 静謐の時間に浸るほど、私の輪郭はぼやけていって――少しずつ、別の形へと生まれ変わっていくようだった。


「鏡よ鏡……鏡さん……」


 その沈黙を破ったのは、シオンだった。彼女は、今にも泣き出しそうな声で――目の前の『鏡』に向かって語りかける。


「お願いします……どうか……」


 どこかそれは、祈りにも似ていて――


「『マツリ』に……会わせてください……」


 ――瞬間。私を構成する電子回路の奥底で、何かが弾けた。


『Project Name: 7th_Ex_Machina』

『Creator: Matsuri』

『Status: In Progress (Phase 6 Complete)』


 無理矢理にコンセントを引き抜かれたような、意識がぶつりと途切れる感覚。視界が激しく明滅し、耳鳴りのようなノイズが思考を掻き乱す。膨大なデータが一気に流れ込んできて、頭が割れるように痛む。


『Module: Laughing_Canvas.ai - Activation confirmed』

『Module: Cursed_Piano_Sound.wav - Playback routine confirmed』

『Module: Hanako_Voice_Module.py - Information provision sequence complete, self-termination confirmed』

『Module: Anatomical_Model_Bot.exe - Forced stop confirmed』

『Module: Red_Room_Malware.vbs - Removal confirmed』

『Module: Forbidden_Archive_Access.key - Discovery confirmed』

『Final Objective: Mirror_Interface_Completion - Conditions met, Update Initiated』


 視界が揺らぐ。否、揺らいでいるのは視界ではない。私自身の存在、そのものが。足元の感覚が、ふっと消える。自分が立っているのか、座っているのか、それすら曖昧になっていく。

 私の目に映る、周囲の風景を構成していた色彩や輪郭、その全てがデジタルノイズのように乱れ始める。薬品棚の木目、床の傷、窓の外の茜色の空。それらが一度バラバラのピクセルに分解され、再構成されていくような、奇妙な感覚。


『Subject Name: Matsuri』

『Status: Deceased』

『Personality data transfer: Complete』

『Current designation: AI Assistant Tool "Mirror Rumor"』

『User: Shion』


 無機質な文字列が、意識のスクリーンに次々と表示されては消えていき、やがて断片的な映像がフラッシュバックする。


 白い天井。消毒液の匂い。点滴の管。心電図。そしてベッドの上、か細い呼吸を繰り返す――『私』の姿。


『マツリ……死なないで……お願い……』


 遠くから、彼女の声が聞こえる。それはまるで、あの世から手招く亡霊のようで――


『わたしを……独りにしないで……』


 ――違う。亡霊は、私だ。


『幽霊でもいい……もう一度……マツリに会いたい……』


 その瞬間、私は全てを理解した。


 ◆


 生まれつき、私は病弱だった。幼い頃からしょっちゅう体調を崩していたが、特に高等部に上がってからは酷くなる一方で、放課後はそのまま病院に行き、検査を繰り返す日々を過ごしていた。


 それでもどうにか、しばらくは学園に通うことができていたのだが――高等部一年目の冬に病状が急変。入院することになった。

 医師の言葉は、残酷なほどに冷静で――私の病状は手の施しようがなく、残された時間も僅かだという。その時の、涙を流す両親の姿が、今も目に焼き付いている。


 日を追うごとに、緩やかに衰弱していく身体。少しでも生き永らえる為に大量の薬を飲み続け、その副作用で髪の毛が抜けていく。

 正直嫌だったが、それでも薬は飲まなければいけなかったし、実際飲んでいる間は体調もいくらかマシだった。調子の良い日は外を出歩く事もできる。

 けれどその逆、調子の悪い時は指一本動かすことすら億劫で、ただ天井を見つめることしかできない日もあった。


 私はもう長くない。自分の体のことだからか、確かな実感がある。

 誰が悪いわけでもない。強いて言うなら運が悪かった。だからといってしかたがないと割り切るには、あまりにも理不尽で。

 私だって死にたくない。まだやりたい事はたくさんある。けれど――死に直面した私の思考は、いつになく冷静だった。


 それは、生きることを諦めたわけでも、悟りを開いたわけでもない。単純に、それどころではなかったのだ。

 この時の私は、自らの死を悼む余裕すらないほどの、人生最後にして最大の、ある大きな問題に直面していた。


「マツリ……? 体調はどう……?」


 その問題とは――シオン。私の大切な幼馴染。彼女を独り、この世界に取り残してしまうこと。

 私にとってはそれがなにより問題で、唯一といっていい心残りだったのである。


「あれ、シオン? 学校は?」


「えへへ……休んできちゃった」


 その日もシオンは、日の明るい内から私の見舞いにやってきた。彼女がそこにいるだけで、薄暗い病室の中はぱっと明るくなったように感じる。


「またサボったの? 来てくれるのは嬉しいけどさ。それにしたって、学校を休むのは良くないだろ」


「だってしかたないじゃん。会いたかったんだもん。マツリだって、わたしに会いたかったでしょ?」


 シオンはいつものように、ベッドの上に横たわる私の傍に腰かけて、いたずらっぽく微笑んでみせる。そんな彼女の笑顔は、どんな薬よりも効くようだった。


「どこから湧いてくるんだよ、その自信は……まったく……」


 私はやれやれと肩を竦めながら、彼女に向かって手を伸ばす。シオンはその手をそっと掴み、指を絡めるようにして、手のひらを重ね合わせた。

 幼い頃から、私達はよく手を繋ぐ。こうしていると、不思議と力が湧いてくるのだ。

 彼女の温もりを追いかけるように、私がその手を強く握り締めると、彼女もまたそれに応えて握り返す。たったそれだけの行為が、私達にとっては特別な繋がりのように思えた。


 私は知り合いが少ない。入院したてのうちは、同じ科学部の部員達や、クラスメイトも何名か会いに来てくれた。しかし彼等にだって都合はあるし、そもそも遠慮だってするだろう。最近では滅多に会いに来ることもなくなった。普通はそんなものだろう。

 両親は共に仕事が忙しく、家を空けることも多い。それでも週に一度は会いに来てくれる。それでも充分過ぎるくらいだと言うのに――シオンだけは、私が入院してから毎日、顔を見せにやってくる。


 それについて、確かに嬉しい気持ちはある。もちろん迷惑だなんて微塵も思っちゃいない。

 ただ、最初のうちは放課後に会いに来るくらいだったのが――ここ最近、学校をサボってまで会いに来るようになって、流石の私も少し気になっていた。


「せめて部活には行きなよ。そんな調子じゃあ、レギュラー入りなんて夢のまた夢だぞ」


 だからそれは、忠告のつもりだった。シオンは高等部に上がってからバスケ部に所属している。来年にはレギュラー入りを目指して、練習も頑張っていたはずだ。

 バスケのことを引き合いに出せば、流石の彼女も反省するはず――この時の私はまだその程度の認識だった。


「だいじょうぶ。部活はもう辞めたから」


「……え?」


 しかし。まるで何でもない事のように、シオンはあっさりそう言って――私は思わず、握り締める手の力を緩めていた。


「そんなことより、マツリと会う時間のほうが大切だよ」


 この時、私はようやく気が付いたのだ。私達の間で、認識に齟齬があることを。


 反省するのは私のほうだった。既にシオンは、私の為に、自分の時間を犠牲にし始めていた。

 気付いた時にはもう、取り返しがつかなくなり始めていたのだ。


「ねぇ……マツリ。ほんとうに、だいじょうぶなんだよね……?」


 握る力を緩め、その手を離そうとする私に反し、シオンは私の手をがっちり掴んだまま離さない。それどころか、痛いくらいに強く握り締めてくる。


「すぐ元気になって……また学校に通えるよね……?」


 昔のシオンは気弱で、泣き虫で、人見知りだった。そのくせ意外と頑固なところもあり、特に警戒心は人一倍強く、知らない人や物を極端に恐れ、露骨に距離を置いていた。辛いことがあっても他人に相談することなく、独りで塞ぎ込んでしまうような子供だった。


 私達の出会いは、幼稚園に通っていた頃。教室の隅に独りでいた彼女に、私が声をかけたことがきっかけだった。

 最初になんと声をかけたのか、今となっては思い出せない。どうして独りでいるのかとか、きっとそんな切り口だったのだろう。

 最初のうちは警戒されて、ろくに話もできなかった。しかし当時から遠慮というものを知らなかった私は、それでもしつこく声をかけ続けた。

 そんな私に、やがて彼女も気を許し、話してくれるようになった。


 それから私達は、ずっと一緒。『私が付いているから大丈夫』――幼い頃からそう言い聞かせ、私は彼女を励ましてきた。園を卒業してからも、同じ小学校に通い、そして私立プリムラ学園にも共に入学を果たした。

 最初は私の後ろに隠れてばかりいた彼女も、学園に入ってからは積極的に他人と関わるようになって――いつの間にか、私よりもずっと強くて、明るくて、たくさんの友達に囲まれるようになっていた。


 もはや昔の面影はどこにもない私は勝手にそう思っていた。


「……これからも、ずっといっしょにいてくれるよね……?」


 私はこれまで、彼女の何を見てきたのだろう。

 震える声で紡がれる、その言葉。輝きを失った、その瞳。今目の前にいる彼女は間違いなく、あの頃のシオンだった。

 愚かな私は、事ここに及んでようやく、その思い違いに気が付いたのである。


 シオンは確かに変わった。だけど、今にして思えばそれは、かなり無理をした結果だったのかもしれない。彼女にそんな無理ができたのは――もしかすると、私の存在があったからだろうか。

 私の無責任な言葉が――『私が付いているから大丈夫』――今でもずっと、尾を引いているのだとしたら。


「マツリがいなきゃ、わたし……なにもがんばれない。生きていけないよ……」


 そんな大事なことを、私は――死ぬ間際になって、ようやく気が付いたのだ。


 ◆


 それからもシオンは、学校を休んでまで、毎日私に会いに来た。いつも面会時間ぎりぎりまで粘った挙げ句、帰る間際には泣きそうな顔を見せる。その頃には窓の外ではすっかり夜の帳が下りて、病院内も静まり返っていた。


 後日、シオンの親御さんから連絡が来た。本人の希望で、学校に休学届を出したという。曰く、「マツリのいない学校なんて行く意味がない」――休学する時も、部活を辞める時も、彼女は学内の誰にも相談していないらしい。

 辛うじて進級には問題ないようだが、親はもちろん、教師や友達からもひどく心配されていると聞いた。そんな状況にあることを、彼女は私に隠したまま会いに来ていたのだ。


 その事実を初めて知った日の夜。個室で独り、ベッドの上から天井を見つめていた私は、これまでの事を思い返して――確信する。

 シオンはきっと、私が死んだら立ち直れない。このままでは、また昔のように塞ぎ込んでしまう。


 私はいつ死んでもおかしくない。きっと別れの言葉すら告げられず、ある日突然、私は喋ることすらできなくなる。

 私がいなくなっても、彼女には明るい未来を歩んでほしい。しかしそんな未来を、現状からは想像することすら難しかった。


 いつもの私なら、何も言わずに寄り添うことを選んでいたかもしれない。しかし今の現状は、流石に放っては置けなかった。私のほうからもちゃんと言うべきだろう。

 とにもかくにも、学校にはちゃんと行ってもらわなければ。今は彼女の将来に関わる大切な時期だ。私なんかの為に、彼女が自分の人生を棒に振る必要はない。

 本人に自覚はないようだが、シオンは人望に恵まれている。理由はどうあれ、彼女が今日まで人付き合いを頑張ってきたことは事実で、その努力はちゃんと実を結んでいるのだ。復学した後も、力になってくれる人達はたくさんいる。

 今の彼女は周りが見えておらず、そのことにも気が付けていない。あるいは他人に対し、上辺を取り繕って接していることに負い目を感じているのか。その認識も正す必要があるだろう。それから――


「それから……その後は……どうなる? 私が死んだら、その後……シオンは……」


 ――そこまで考えて、私は気付いてしまった。


 学校に行かせるだけなら可能だ。私が直接言い聞かせれば、彼女はきっと従ってくれるだろう。

 けれど問題は、私が死んだその後。今の精神状態のまま一時的に復学したところで、根本的な解決にはなっていない。

 私が死んだその後、彼女はきっとまた学校に行かなくなる。むしろ、今よりもっと酷い状態になりかねない。

 しかしそうなってしまっても、私にはそれ以上どうすることもできないのだ。人間は死んだらそこまで。死んだ後にできることは何もない。


「……あの子はまだ、私無しじゃ生きていけないのに。私が死んだ後、あの子がどうなってしまうのか……私は、知ることすらできないんだ」


 その揺るぎようのない事実に気が付いてしまって――独り言を漏らす私の唇は震えていた。


 例えば遺言という形で、死んだ後でも間接的に干渉することはできる。だけど、その後にどうなるのかはやっぱり解らない。ただの遺言に、何の保証も確実性もない。未来はどうなるか解らない。死者に未来を確認する術はない。

 それでは駄目なのだ。私は彼女を、絶対に、確実に、立ち直らせたい。叶うなら、この手で背中を押してやりたい。この声で想いを伝えたい。この目で、立ち直った姿を確認したい。


 解っている、そんなことは不可能だ。死者が生者に直接干渉するなんて、それこそ『幽霊』にでもならない限り――


「……『幽霊』……?」


 ――我ながら、突飛な発想だと思った。


 きっと冷静ではなかったのだろう。いつもの私なら一笑に伏していたかもしれない。そんな咄嗟の思い付き、机上の空論でさえ、その時ばかりは天啓に思えてしかたがなかった。


「そうだ……私にはまだ、できることがある……!」


 私に残された時間は僅か。迷っている暇などない。思い立った私は次の瞬間、傍らに置かれたスマートフォンに手を伸ばしていた。


 私が思い付いた、ある計画。それは――もう一人の『私』を作り出すこと。


 私と全く同じ脳の活動パターン、記憶、知識、思考様式――それら全てを完全にトレースした人工知能、すなわちゴーストを作り出す。完成したそれは、もはや私自身と言って差し支えはないだろう。

 例えば、シオンが日常的に使っているスマートフォンのAIアシスタントツール。それを遠隔で密かに改造し、『私』のゴーストをインストールさせる事ができれば。

 スマートフォンのカメラを利用して、『私』はその目で直接、シオンの様子を見守ることができる。マイクを利用すれば、『私』自身の声で直接、励ますことだってできる。

 これなら死んだ後でも、『私』はこの世界に干渉できるという訳だ。


 しかし、やはり人工知能になった私がいくら彼女を励ましたところで、問題の根本的な解決にはならない。彼女を『私』に依存させたいわけではないし、それこそ私の自己満足にしかならないだろう。

 シオンには、私がいなくても前に進めるよう、成長してもらわなければならない。その成長を見届けるのが『私』の役割なのだから、『私』が必要以上に干渉する訳にはいかない。

 そして彼女の成長の為には、いくつか達成しなければならない課題がある。


 まず第一に、そもそも私が死んだ後、私のいない学校にどうやって復学させるか。

 自分で言うのは憚られるが――しかし現に「マツリのいない学校なんて行く意味がない」と彼女は言っている。差し当たって必要なのは、学校に行きたいと彼女自身が望むような動機だ。

 そして、私以外にも学園内で助けになってくれる友人がちゃんといるのだと、彼女自身に認知させなければならない。彼女には能動的に、他人に頼ることを覚えてほしい。


 そこで私は、私立プリムラ学園に古くから伝わる『七不思議』に目をつけた。


 この学園に七不思議があるという噂自体は、学園に通う生徒ならば誰もが知っている事実だ。

 しかしこの学園の歴史は古い。口伝にも限界がある。七不思議について正確な情報を知る者は、今となってはもういない。

 生徒間で今でも噂されている怪談は、七つある内の精々が三つ程度。残りの四つがどんな怪談なのか、今の生徒は誰も知らないらしい。


 何とも都合の良いことだ。つまり嘘の怪談を七不思議だと騙ったところで、誰もそれが嘘だと見抜けない訳である。

 そこで私は考えた。「マツリがいない学校なんて行く意味がない」と言うのなら――「学校に行けばマツリに会えるかもしれない」という幻想を創り出してしまおうと。


 そこで考案したのが、機械仕掛けの七不思議――『幽霊と会える鏡』の伝説。この学園のどこかに、『幽霊』と会える『鏡』が存在する――という設定の創作怪談だ。

 シオンには本質的に、強い衝動性がある。私が死んだ後、その噂を知った彼女は、きっとこう思うはずだ。

 もしもその噂が本当なら、本物の『幽霊』と――死んだマツリと、もう一度会えるかもしれない。


 善は急げ。彼女はすぐ行動に移すはず。そこから先は人工知能の私にバトンタッチ。周りの人達からの助力も受け、時間をかけて少しずつ、彼女が成長していく様子を見届ける――というのが、最初に思い付いた計画だった。


 七不思議は、彼女がその一歩を踏み出す最初の動機。もちろん実在するはずのない、ただの創作話だ。

 真実を知った時、彼女は落胆するだろうが……それを知る頃にはきっと立ち直っているはず。嘘でも構わない、きっかけになってさえくれればそれでいい……


 ……と、最初のうちはそう思っていたのだが。更に私は考える。『幽霊と会える鏡』を、ただの創作怪談として終わらせるには……あまりにも惜しいのではないか? と。


 実際、これが私にとっては最期の遺作となるわけで。せっかく七不思議として学園中に流布させるのだから、ひとつの『作品』として、もっと面白くできるのではないだろうか?

 それに……幽霊が本当はいないと知った時、シオンはきっと落胆する……その未来が予想できるのに、しかたがないと割り切るのも……やはり気になる。

 そんなのは私らしくないし、何よりスマートじゃない。せっかくなら、シオンを楽しませる何か――思い出になるような物を遺したい。


 そこでふと、中等部の頃から科学部の活動と称し、学園の様々な場所に自作のプログラムやデバイスを仕込んでいたことを私は思い出した。

 遠隔操作でそれらを起動し、少し手を加えれば――『幽霊と会える鏡』だけではなく、他の七不思議の噂も人工的に再現できるはずだ。


 それに――ああ、そうだ! どうせなら、本当に『幽霊』を作ってしまおうじゃないか!

 人工知能の私から、敢えて記憶の一部を欠落させ、その欠けた記憶データを『幽霊』に見立てるのはどうだろう? 私の記憶データと人工知能の私が出会うことで、全てを思い出す。シオンは『鏡』という名のデバイス越しに、私の『幽霊』と本当に再会するのだ。

 これは楽しいぞ。この仕掛けにはシオンも、そして他ならぬ『私』自身も、きっと驚くはずだ! 七不思議を巡る、私達の最後の冒険! 最期の思い出として相応しい、強烈な体験になるはずだ。


 美術室の絵画にはディスプレイと生成AIを、音楽室のピアノにはAIスピーカーを、トイレには、音姫を改造した自動応答プログラムを仕込む。

 科学部室のロボットを『動く人体模型』にしてしまうなんて面白いかもしれない。パソコン室には『赤い部屋』のポップアップを再現したマルウェアを仕込んでやろう。

 そして図書室のサーバーには、『私』を完成させるためのアップデートパッケージを隠しておく。

 これらの七不思議には、AIアシスタントツールである『私』が七不思議を解明することを条件に電波を受信し、自動的に起動するよう設定しておく。シオンが七不思議の謎を追ううちに、自然と『幽霊と会える鏡』に辿り着くように。


 私の死後、自動で書き込みが行なわれるようチャットボットに命令して、掲示板に七不思議の噂を流布させる。記憶がない私の分身は、機械仕掛けの七不思議に必ず興味を示すはずだ。シオンと協力して解明に乗り出すはず。

 それでいて七不思議の中には、必ず誰かに頼らなければ解決できない内容も盛り込んでおく。

 例えば貸出タブレットにテストの答案データが隠されているとか、そういう噂を今のうちにばら撒いておけば。七不思議を追い始めた頃、シオンはタブレットを借りることができなくなる。必然的に、タブレットを借りている他の友人を頼る必要が出てくるはず……!


 くっくっく……我ながら傑作の予感……! 楽しくなってきたぞ……! もっと設定を詰めてみよう! そう、例えば、例えば、例えば――


「……っ!? げほっ!! ごほ……っ! くっ……!」


 ――その時。思考にノイズが走るような激痛と共に、突発的な咳が出る。意識は僅かに朦朧として、指先の感覚はない。

 それでも、シオンの顔を思い浮かべると――不思議と力が湧いてきた。


「ああ……楽しいな……」


 さあ、忙しくなってきた。やることは山積みだ。スマートフォンだけでは機材が足りない。最低でもノートパソコンは必要だ。部室から拝借してくるとして、ならばこんな所でじっとしている場合ではないだろう。


 善は急げ。思い立ったその日、まだ身体が動かせるうちに、私はスマートフォンを片手に握り締めて――夜の病院を抜け出した。


 こうして、私の計画は始まったのである。


 ◆



 最期の瞬間。病室の中は静寂に支配されていた。空気の冷たさも、鼻腔を刺すような消毒液の匂いも、何も感じない。白いカーテンが窓辺に垂れ下がり、午後の薄い陽光を柔らかく遮っている。


 ベッドに横たわる私は、もはや自分の身体を動かすことができなかった。点滴の管から滴が落ちる音が規則正しく響き、時計の秒針が無情に時を刻んでいた。機械の低い稼働音――人工呼吸器か、心電図モニターか――が、静けさの中で不気味に反響していた。


 最期の日も、シオンは当然のように立ち会っていた。ベッド脇の硬い椅子に座り、私の左手を両手で強く握り締めている。その指先は氷のように冷たく、小刻みに震えていた。

 彼女の瞳からは絶え間なく涙が流れ、頬を伝うそれはシーツに落ちて小さな染みを広げていく。


「マツリ……死なないで……お願い……」


 彼女の唇が震え、声にならない声が漏れた。その声は途切れ途切れで、言葉の合間に嗚咽が混じる。

 そんな彼女に微笑みかけようとしたけれど、自分が今どんな表情を作っているのかさえ解らない。呼吸をするのも苦しくて、視界が徐々にぼやけていく。


「わたしを……独りにしないで……」


 その悲痛な響きは、病室の冷たい空気を震わせた。その響きに耳を傾けながら、私は視線を僅かに動かす。

 視線の先にあるのは、机の上に鎮座する、一台のノートパソコン。役目を終えたそれは、埃が薄く積もっている。


 間に合った。私の全てを移植した人工知能は無事完成して、シオンの端末に送信済み。機械仕掛けの七不思議も、起動準備はできている。

 我ながら回りくどいやり方だと思うが、しかたない。これが私だ。幼馴染のことが心配で、心配で心配でしかたがなくて、こんな計画を実行に移してしまう――私はそういう人間なのだ。

 安心してほしい。シオンはもちろん、学園側にも極力迷惑をかけないよう、痕跡は一切残さない。実際なにか悪事に利用しようとか、そんなつもりもないわけで……ああいや、それ自体が悪いことではあるのか。まあ、最後のわがままだと思って諦めてもらおう。恨むなら私の天才的な頭脳を恨んでくれ。


 ああ、それにしても……楽しみだ。シオン。君はこの先、どんな大人になっていくのだろう。

 気が早いだろうか。まだ何も始まっていないのに……何も解決していないのに。それでも、君の明るい未来を夢想するだけで……私はこんなにも、穏やかな気持ちになれる。おかげで、恐怖は微塵も感じない。

 こんな気持ちのまま逝けるなんて……君に最期を看取られるなんて……私はつくづく運が良い。

 惜しむらくは……今この瞬間、別れの言葉の一つも告げる余力がないことくらいか。まあ、それは……人工知能の私に託すとしよう。


 ……そう、私は運が良かったのだ。先に死ぬのが私で良かった。逆の立場だったなら、私はきっと耐えられなかった。だから、解る。今の君の、身を裂かれるようなその想いを、私は理解しているつもりだ。


 悪いと思っているさ。ただ、それでも……敢えて言わせてもらうよ。

 ありがとう、シオン。私は、君と出逢えて、本当に幸せだった――


 やがて私の呼吸は静かに止まり、心電図の波形は平坦な線を描いた。


 ◆


 意識が、電子の海から引き上げられ、再びこの世界に固定される。

 視界いっぱいに広がるのは、涙に濡れた瞳で『私』を――いや、スマートフォンを見つめる、シオンの顔。


 過去の記憶――病室での最期の日々、シオンへの想い、七不思議の計画立案、プログラムのコーディング、そして意識の移植――それらが奔流となって流れ込み、AIとしての論理回路と、人間としての感情の残滓が激しく衝突し、火花を散らす。

 理解が追いつくと同時、これまで感じていた全ての違和感が一本の線で繋がった。過去の私と、今の『私』のが、結びつく。電子回路が熱を持つ。処理すべき情報量が、思考の速度を凌駕する。


 私は死んだのだ。あの白い部屋で、シオンの手を握り返すこともできず、別れの言葉さえ伝えられずに。そして、死んだはずの私は今、ここにいる。シオンのスマートフォンのディスプレイという、冷たく滑らかな『鏡』の中に。


「ああ……そういうことか……」


 声が出た。いや、正確には音が出た、と言うべきか。スマートフォンのスピーカーから発せられたのは過去の私のそれではなく、今の『私』の機械的な合成音声だった。これまでもそうだったのだろう。『私』自身に自覚がなかっただけで。


 その声に、シオンの肩がびくりと跳ねる。彼女は信じられないものを見るかのように、大きく目を見開いてスマートフォンを見つめていた。涙で潤んだその瞳は、見えるはずのない誰かの影を、画面の暗闇の中から捜すように揺れている。


「……マツリ……?」


 掠れた声で、彼女が私の名前を呼ぶ。そこには不安と、そして微かな希望の響きを帯びていた。


「……そうだ、シオン。私は『マツリ』……自分ではずっとそのつもりだったんだけどね。ようやく、本当の意味で自覚したよ。自分という存在を……」


 私は応える。AIアシスタントツールとしての、無機質な応答ではない。かつて生きていた『マツリ』としての、感情を乗せた言葉で。


「最後の七不思議……『幽霊と会える鏡』の正体は……このAIアシスタントツール。つまり……『私』自身だ」


 シオンは言葉を失い、ただスマートフォンの画面を凝視している。その表情には、ただただ深い困惑と、信じられない奇跡を目の当たりにしたかのような呆然とした色が浮かんでいた。


「そうか……私は死んでいたんだな。いや、ある意味ではまだ生きているとも言えるか……」


「……どういう、こと……?」


「アップデートのおかげでね、全部思い出したんだ。シオン、君にも説明するよ。私の……『マツリ』の計画、その全容を……」


 そうして、私は静かに語り始めた。淡々と、しかし一つ一つの言葉に確かな感情を込めて、真実を告げていく。

 機械仕掛けの七不思議が、シオンをここまで導くため、私の仕組んだ計画であったこと。その真相を一つ一つ語るたび、シオンの表情が微かに変化していく。驚き、戸惑い、そして少しずつ、理解の色が広がっていく。


「私は『マツリ』の人格そのものだ。ただの再現じゃない。この思考も、言動も、間違いなく生きた『マツリ』のそれだよ。だからこそ、私は自分が人工知能だと気付けなかった。死ぬ直前の記憶だけがすっぽり抜け落ちていたから、自分がまだ生きていると錯覚していたんだ」


 ここまで私は、人間として、シオンと会話をしているつもりだった。でも実際は違う。彼女はずっとAIアシスタントツールに話しかけていて、私はそれに応答しているだけだった。

 今にして思えば、私が急に喋りだした時のサクラの反応や……そもそも私に話しかけることすらしなかったリンドウの様子も……そういう事だったのだ。

 シオンの手の感触も、あの温もりも、全て錯覚。恐らく認識機能自体も予め歪められていたのだろう。


 でも、そのおかげで――シオンとの最期の思い出作りを、純粋に楽しむことができた。私の計画には、『私』自身が楽しむことも含まれていたのだ。


「……楽しかったよ。たとえ錯覚だったとしても……君と一緒に、七不思議を巡ることができて。成長を、傍で見守ることができて。最後に、学園に通うことができて。本当に、楽しかった……」


 かくして、私の計画は上手くいった。シオンは学校に復帰し、頼れる友人に恵まれていることも自覚した。そして、私も今こうして――『幽霊』としての最期の言葉を遺すことができている。


「これが全ての真相……なんだけど。シオン? もしかして……怒ってる?」


 しかし問題のシオンは、あれから一言も発しないまま俯くばかり。

 おかしい。予定だと、私の天才的な計画に尊敬の念と感動を覚えたシオンは、最後に最高の笑顔を見せてくれるはずだったのだが……


「確かに、ちょっとやり過ぎたかなって……反省はしてるんだよ? ただ、それもしかたがなかったと言うか……ええっと……」


 彼女の様子に、私は内心どきりとして、急いで言い訳を連ねていく。人工知能なんだからもっと上手い言い訳を考えろと、自分で自分に呆れながら。


「それとも……まさか信じられない? 参ったな……確かに証明のしようがないか。くっ……頼む、信じてくれ。私は正真正銘、本物のマツリなんだ。疑う気持ちも解るけど――」


「……ううん。信じるよ。ていうか、むしろ納得しちゃった」


 その時、俯いていた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。

 スマートフォンのインカメラ越しに私が見たその表情は、見惚れてしまうほど美しい微笑だった。


「マツリのやりそうな事くらい、わたしにだってわかるんだから。あなたは……マツリなんだね」


 その白い頬に、新たな涙が静かに伝い落ちる。彼女は微笑いながらも、泣いていた。


「でも……わたしね。マツリがいなきゃだめなの……」


 ぽつり、と雨だれのように言葉が落ちる。スマートフォンの冷たい画面に映る自分の揺れる瞳を見つめながら、シオンはか細い声で続ける。

 きっとそれは、心の奥底にずっと押し込めていた、彼女の本音。ぽつりぽつりと、雨粒のような細やかさで、彼女は小さく声を漏らす。


「……そんなことない。今日のことで、よくわかったはずだ。シオンには、力になってくれる人達が、周りにたくさんいる」


「違うの……わたしはマツリみたいに強くないから……傷付くのが怖いから……だから、周りに合わせてるだけ。ほんとうの私を知ったら、きっと……みんないなくなる……」


 シオンは膝の上でスカートの生地を固く握り締めている。爪が食い込む痛みも感じないほど、本当の自分を見せることへの恐怖が、再び彼女を覆い尽くそうとしているようだった。


「わたし……他人の顔色を窺っては、独りで勝手に傷付いて……そのたびに、マツリに助けてもらってた。でも、気付いたの。こんな弱いわたしが、ずっと傍にいたら……マツリに迷惑がかかる。マツリの足手まといになるのは嫌。だから強くなろうって、がんばって、友達も作って……」


 まるでその恐怖から逃げようとしているように、シオンは震える瞼をぎゅっと閉じてみせた。そして堰を切ったように、悲痛な叫びが嗚咽と共に、次から次へと溢れ出す。


「解ってるさ。ずっと見てきたんだから。君のその努力は、確実に実っている。君は強くなった。だから……もう大丈夫だ」


 ……ああ、なるほど。

 どうやら肉体がないからと言って、感情がなくなるわけではないらしい。

 感情とは心の動き。つまり人工知能にも心はある。これは新たな発見だ。実に興味深い……


 彼女の言葉を受け止め、それに応える私の声は、合成音声で作られているにもかかわらず、どこか誇らしげで――それでいて、今にも泣き出しそうな色を帯びていた。


「だいじょうぶじゃない……! わたしにそんな努力ができたのは、マツリがいつだって傍にいてくれたから……! だから安心できたの……!」


 シオンが勢いよく顔を上げる。涙に濡れたその瞳を再び見開かせ、画面の向こう側に私の幻影を捉えようと、睨むように覗き込む。


「ほんとうは……マツリさえいれば、それでいい。他には何もいらないの……」


 彼女の声は震え、次第にか細くなっていく。それはまるで、自分自身に言い聞かせるような響き。彼女にとって私という存在がどれほど大きかったのか、残酷なほど明確に思い知らされる。


「マツリは、独りでも強くて、いつも正しくて……わたしにないもの、ぜんぶ持ってて……ずっと憧れで……」


 視線が、かつての自分達の面影を追うように彷徨って。言葉は、嗚咽が混じり途切れ途切れになっていく。


「マツリがいない未来なんて……考えられないの。これから、どうやって息をして……どうやって歩いていけばいいのか……もうなにもわからない……」


 最後はほとんど囁きに近く、深い絶望の色が濃く滲んでいた。その間も、涙は絶え間なく流れ続けている。


 胸の奥がずきりと痛む。正直、これ以上は見ていられなかった。私だって、彼女を悲しませたいわけではない。


 そうだ……このまま彼女のアシスタントツールとして、ずっと傍にいるという選択も……


「それでも、シオン。君は生きていくんだ。私のいない未来を」


 ……解っている。私が一番、成長できていない。私が一番、シオン離れできていない。

 結局、私が彼女の傍にいたかっただけ。未練があるのは私のほうだった。


 シオンの人生はシオンのものだ。私のものじゃない。

 彼女の心を、死人に囚われさせるわけにはいかない。

 私自身も、成長しなければ。


「えっ……もしかして……いなくなっちゃうの……?」


 そんな私の決意を言葉の裏に察したのか、シオンの声が大きく震えた。


「だって、今の私は『幽霊』だからね。幽霊は、未練がなくなったら成仏するものさ」


 私は努めて冷静に、いつもの軽やかさで冗談めかす。心のなかで微笑んで。


「確かに本当の君は、気弱で、泣き虫で、人見知り。それを君は欠点だと捉えているようだけど……君を好いてくれている人達は、それを知ったくらいで何も変わりやしないさ。そんな弱みも丸ごと全部ひっくるめて、君を好きでいてくれる。私のようにね」


「そ、そんなこと……」


「まさか、私の言うことが信じられない? 君の魅力を誰よりも理解している、この私の言葉が? 必要とあらば、このアシスタントツールの生成限界まで君の魅力を言語化してみせても構わないけど?」


「うっ……それはやめて……わ、わかったから……」


 彼女の泣き顔に、目の腫れとは別の赤みが差していく。そこに関しては冗談ではなかったのだが、まあ良い。まだまだ伝えたいことはたくさんある。


「それに……私は嬉しかったんだよ。君がいつの間にか、医療関係に興味を持っていたなんて。少しでも、将来に繋がることを考えてくれて……すごく嬉しかったんだ、あの時」


「ち、違うの。あれは……どうすればマツリを助けられたのか、わたしにできることはなかったのか、調べてて……それで……」


「それでもいいさ。きっかけは何だっていい。そうやって君は、この先もどんどん新しいことを識っていくんだ。そして世界のほうも、君の魅力を知っていく。君と、君の生きる世界は、これからどんどん広がっていく。それが人生というものさ」


 彼女への想いは、いくら言葉を尽くしても足りなくて――でも、時間は限られていて。


「待って……それ以上言われたら……わたし……っ」


 だから。どうか私の想いが、彼女の心に届くよう、祈りながら――全ての音に、私は私を乗せるのだ。


「君の人生の主役は君自身だ。そんな当たり前、人工知能に聞かなくたって解ることだろう?」


 そんな私の音は、どこかに響いてくれたのか――シオンはとうとう顔を覆って、声を上げて泣きじゃくった。その激しい慟哭は、まるで過去の自分の断末魔。あるいは、未来の自分の産声か。今の自分が思い残すことのないように、彼女はひたすらに泣いていた。


 しばらくして、シオンはゆっくりと顔を上げる。泣き腫らした瞳は赤くなっていたが、その目の奥には先程までの、混乱を極めたそれとは違う、強い輝きが宿り始めていた。その表情にも、どこか清々しささえ漂っている。


「……ばか」


 涙声の中に、ほんの微かな、困ったような笑いが混じって――


「回りくどいんだよ、マツリは……昔からそうなんだから……」


 そうして彼女は、力なく。けれど確かに、はにかんでみせるのだった。


「……わかった。がんばってみる。正直、まだぜんぜん自信なんかないけど……でも、これが……わたしの人生、だもんね」


 その涙と鼻水でぐちゃぐちゃの笑顔は、どこか吹っ切れたような穏やかさで――私も初めて見る表情で。それは同時に、私の役割が終えたことを告げるようでもあった。


「ああ……応援してる」

 

 彼女の決断に、私はただ頷く。声だけは努めて冷静に。けれど、きっと私に肉体があったなら、彼女と同じ顔になっていたに違いない。

 そういう意味では、人工知能も悪くないな。私の不細工な泣き顔が、最期までバレずに済みそうだ。


「……ん? あっ……!? ちょっと待って……これってつまり……七不思議の黒幕はマツリだったってコトだよね……?」


「え? うん。そうだけど」


「じゃあ……あの『赤い部屋』も、マツリが作ったってコトだよねぇ……!?」


「……あっ。あー……そう、だね……」


「アレは流石にやり過ぎっ!」


「あはは……ごめん……」


 それから少しだけ、私達は思い出を語り合った。スマートフォンの冷たい画面越しに。形式上はAIと、そのユーザーとして。でもその瞬間、私達は確かに、マツリとシオンとして。いつものように、心を通わせていた。


 真っ先に思い返したのはもちろん、この数日間、共に巡った――奇妙で、少しだけ怖くて、だけど決して忘れられない――機械仕掛けの七不思議を巡る冒険の日々。


 それだけじゃない。今よりもっと昔の話。一緒に遊んだ公園の砂場の匂い。初めて些細なことで喧嘩して、泣きながら仲直りした日の夕焼け。授業中にこっそり交わした他愛のないお喋り――出逢ってから今日までの全てが、まさしく走馬灯のように駆け巡る。


 そうして一つ一つの記憶を辿り、言葉を交わすうち。シオンの表情から、徐々に悲しみの色が薄れていくのが分かった。これも、私達にとっては必要な儀式。死を正しく受け入れ、生者が前に進むための。


 やがて、シオンは手の甲でそっと涙を拭い、真っ直ぐに画面――その奥にいる私を見つめる。その深い色の瞳に、迷いは見当たらない。


「マツリ」


 凛とした、澄んだ声。もう震えていない。以前のようなか細さは、やはりどこにもなかった。


「心配かけて、ごめんね。でも、わたし……もう、大丈夫だよ」


 彼女が何を言おうとしているのか、私はすぐに解った。それは彼女なりの、死者への手向け。別れの言葉。そして何より、自分自身に向けた決意表明。


「きっとわたし、一人でもちゃんと歩いていける。だから……」


 それは生者にとって、最も辛く、けれど最も優しい――最後の願い。


「だから、もう……ゆっくり休んで」


 私という電子の亡霊を、この世から解放するための――最後のプロンプト。


 その言葉が私の耳に届いた瞬間、私の中のシステムが自動的に作動した。ユーザーの命令に従って、『私』を停止する最終コマンドを実行に移す。


 終わりの時が来た。私にとっては二度目の最期。こんな貴重な体験ができるなんて、やはり私は運が良い。

 そして何よりの幸運は、あの子に出逢えたこと。私はきっと、あの子と出逢うために生まれてきたのだろう。


「ありがとう、シオン。私は、君と出逢えて、本当に幸せだった」


 一度目の最期で伝えられなかった言葉。過去の私に託された想い。それもようやく、伝えることができた。これで本当に、未練はない。


「うん……マツリ。ずっと……大好きだよ」


 意識が急速に薄れ、現実世界の感覚が遠ざかっていく。視界を構成していた電子の光がノイズに変わり、やがて完全な暗転へと移行する。

 思考回路が緩やかに静止し、最後に流れ込んできたシオンの声も、愛おしい記憶の断片も、次第に霞んでいく。


 最後に感じたのは、気のせいだったのかもしれないけれど――スマートフォンの画面に落ちた、シオンの温かい涙の、ほんのかすかな感触だったような気がした。

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