婚姻
「……うーん……」
忙しいのに無理矢理時間を捻出させられたリューゴは、ひどく困惑した表情を浮かべている。今日はアールズの事務所にいた彼だが、特に秘密の話だとのことで、急遽マンションの最上階、相手が指定した時刻ぎりぎりに帰宅してきた。
リューゴが困惑するのも無理はない。テーブルの上には結婚情報誌が載せられ、その表紙には〝特製付録!リアル婚姻届〟などと書かれている。アンゼの背後にいる私をちらっと見て困惑の笑いを見せる彼に、私は小さく首を横に振った。
居間の大きい窓、四角く切り取られた東京の街並みをバックグラウンドにして、若い二人はしばらくぶりの再会を祝い、会話に花を咲かせる。
「……もうちょっと頑張ってみたら? ほら、会社に入ったら三年は頑張れっていうし……」
「会社じゃないし、そもそも時代遅れよ、それ」
「いや、目移りしてもまずは目の前のことを頑張ってみれば、という話だよ……」
リューゴも苦慮しているようであり、私はこの女のキャミソールから覗く流麗なラインの肩を見つつ、精一杯の呪いの視線を浴びせる。
リューゴの気持ちも知らずに、肩なんて出して。
そもそもこんな格好をして、結婚をしろ、などと言ってくるのはろくな女ではない。誠実さが見えない。私はロボットだが、さすがにそれぐらいの人間の道理くらいはわかる。他のロボットがどうかは知らないけども――。
「ねえ、やっぱりあんたが一番だってわかったのよ。なんとかならない?」
「いや、ならないよ……。ぼくの今の状況、知ってるでしょ?」
「知ってて言ってるのよ。逆に考えてみてよ。状況を知っててこんなオファーする私って凄くない?」
凄くないし、凄かったとしてだから何なんだ。私は再び顔をちらっと見てきたリューゴに対し、口を引き結んで少し大きめに首を横に振る。ダメです。追い返してください。そう念を送り続けているのだが、なぜかリューゴは困っている人はなんとかしてあげたい、などというオーラを出している。
ただ、正直私の方にも、この女を追い出す明確な根拠がない。ムカつくから、というのは理由になっていない。
「もう歌も飽きたのよ。そもそもあんたの歌だから歌ってたし、ボイトレも頑張ってたわけだし、あんた以外にもアールズの人たちには恩もあるし……。でもあんまり的外れなプロデューサーばっかりあてがうから、もういいかなってなっちゃった。あんたの部下、私が歌うまいって勘違いしてるわよ」
「ぼく、きみのこと下手だとは思わないけど、でも言ってる意味はわかる」
リューゴはそういい、アンゼもうんうん、と頷く。私も彼女の言っている意味を察した。どうやら、何を歌わせても上手くいくだろう、と思われていることに不満を持っているらしい。
「終いには宣伝のためにお昼のワイドショーとかまで出させられてさ」
「え、そうだったの? ちゃんと台本読めた?」
「どうでもいいでしょ、そんなの。もうさ、なんだろうな。私今マジでカッコ悪いのかもな、って思えてきちゃった。なんだかもう、あんたと会う前のあの頃の気持ちになってるわけよ」
「そりゃかわいそうに」
「だからもう私、あんたの歌を歌えないなら、歌手やめるつもりなのよ、だから!」
そう言って、さっきから目障りな結婚情報誌をずい、とリューゴの目の前に突き出す。
リューゴはそれをやんわりとアンゼの方に突き戻す。
しかしアンゼはそれを押し返し、互いに押す展開で膠着状態となる。
リューゴが手を離した。相当な力で押していたらしく、アンゼの身体がまるごとリューゴの方に起き出される。
「ぐふっ」
「寄り切り、あたしの勝ち」
テーブルに突っ伏しながら言う。
「はあ……あのね、いくらなんでも話が早すぎるよ」
リューゴはため息交じりに、自分の
「あたし、何度も来られないわよ。忙しいのよ」
「ぼくもだよ。だからちょっと時間くれよ」
「わかった、キッチンでたばこ吸ってくるから、決めといて」
「そういう意味じゃないよ。何日かちょうだいって言ってるんだよ」
「は?」
……なぜか、空間の時間が一時停止したように止まる。
アンゼは懐から小指ほどの太さもない電子タバコ――現代においては葉巻や紙巻きは本当に限られた手段でしか入手できず、タバコというと通常これを指す――を取り出しつつ、リューゴの反応に黙った。
「……偉いね、自分がプロデュースしたやつ喫ってるんだ?」
リューゴはどうでもいいことに感心し、
「あたしは本当に気に入ったのしか半径数メートルに置きたくないの」
アンゼはどうでもいいことに胸を張る。
「うん。知ってる」
「おすすめよ」
「うん。気が向いたらね」
「何日かちょうだいって、何日?」
「さあ。三日とか? 一週間とか?」
おい、こら。期限を決めるな。
私は今日からその期限まで、あなたを延々と説教しないといけなくなるでしょうが。
ずぶずぶと意思を固めていくあなたに、翻意を迫らないといけなくなるでしょうが。
「そ。じゃ、頑張ってね。急に来てごめんね、お手伝いさん」
アンゼは電子タバコを指につまんだまま椅子から立ち上がると、こちらをくるっと振り向いて言い放った。
私はカチンと来たが、なぜカチンと来たのかよくわからない。さすがにもう彼の教育係という肩書きにも無理があるし、今ではリューゴのお手伝いをしているくらいの存在だ。だから、今の私は間違いなく〝お手伝いさん〟なのである。
(……お手伝いさんだったんだ、私……)
妙な自覚をする。なんだか悔しい。
でも、とりあえずいきなり掴みかかるのも失礼なので、私はお手伝いさんらしく馬鹿丁寧に一礼をして、エレベーターの入口へと去って行く彼女の背中を見送る。
「やれやれ。困るなあ、こんなのでうちに戻されるなんて。忙しいのに……」
そう言って、リューゴはスマートフォンを取り出して、また外出の手配をしようとする。
「リューゴ、あの女……ここに住みたいだけなのではないですか?」
「さあね……んん?」
さあねって何ですか――と私は言いかけて黙った。何だかもう、気の持ちようが分からなくなっている。
「……どうしたんですか」
どうやら何かのメッセージが入っていたらしい。それを読んだリューゴは何かやけに真剣な、意を決したような、そんな顔をして私の方に向き直った。
「ね、ちょっと聞いて。落ち着いて」
「えっ……どうしました?」
私は何か嫌な予感がした。何、ということではないが、わかるのだ。数十年間、生まれた時から、この存在と付き合っている。
「……そうだな。とりあえず、カーテン閉めようか。全部」
「へっ?」
「ごめん。もしかしたらぼく、来週にはもう、ここには居られないかもしれない」
私はぽかんとした。
彼が何を言い始めたのか、本当にわからなかった。
すると、何か堰を切ったように、彼のスマートフォンに通知が入り込み始めた。
彼はあまりに高密度に絶え間なく降ってくるその音を縫うように、どこかに対してメッセージを書いて、それをしゅっ、と送信した。
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