第三話:シスコンと女子高生探偵再び
始業式から五日経った土曜日。
午前授業だったため空いた午後の時間を使って所用を済ませるべく、俺は飯田橋まで来ていた。
俺や
改札に捌けていく大勢の利用客の中にはちらほら同じ高校の制服が見て取れた。
その姿を見送って人の流れが落ち着くのを待ってから俺も改札を通り、九段下側の東出口から外に出た。
昼過ぎとはいえ土曜日だ、カフェやレストランはまだまだ混んでいる。
賑わう店が並ぶ通りへ踏み出したところで、隣を歩く宮子が口を開いた。
「さて、今日のデートを満喫しようじゃないか」
「遊ぶ気なら他を当たってくれ」
早速の軽口に、効果はないと知りつつも牽制だけは入れておく。
案の定というべきか「ふふっ、冗談さ」と宮子は笑って続けた。
「だが折角なら楽しんだ方が良い。卒業後二人で暮らす新居の下見もかねているのだからね」
「言っておくが俺は引っ越すつもりなんて毛頭ないぞ。そもそも住居を探しているわけじゃないだろ」
「引っ越しは嫌かい?」
「するつもりはないな」
「となると仕方ないね。私が
「勝手に萌を追い出そうとするな」
「仕方ないじゃないか。萌は私のこと、好いてないだろう?」
「そうだな」
「なら萌に出て行ってもらう他なくなる」
「宮子が来なければいいだけだろ」
宮子は楽しそうにクツクツと喉の奥を鳴らした。
それを横目に溜息を吐く。
本来今日は一人で来るつもりだった。
しかし運の悪いことに宮子の方が先にホームルームが終わっていたようで校門前で待たれていた。その結果、渋々共に行動することになったのだ。
どうせ誰かと一緒に出歩くのなら萌とが良かったが、そうもいかない。
今頃萌は、というか一年生たちは学校のホールで部活紹介を受けている。去年はその後流れで勧誘活動が始まったから今年もそうなるだろう。萌が解放されるまではまだまだ時間がかかりそうだ。
もっとも、もし萌が空いていたとしても誘わなかったが。
「ところで目星はつけているのだよね?」
「あぁ、そうだな」
宮子に問われ、スマホのマップを開いて場所を確認する。
目当ての場所はすでにネットで調べて候補は絞っているが、直接見て歩いた方が効率の面でも正確性の面でも良い。ネットだけの情報ではどうしても詳細は分からないからだ。
やはり直に確認しなければどうしても不安が残る。当日になって初めて行くというのはリスクが大きすぎる。もし思っていたのと違いました、となったら大惨事だ。
特に萌の誕生日を一ヶ月後に控えているこの時期、何があっても失敗できない。
萌には健やかで幸せな一日を過ごしてもらいたい。そのためには念には念を入れて下調べをしておくべきだ。
そう胸に刻んで、時折視界に入ってくるケーキ屋やスイーツ店にも目を向けながら、気になった場所を確認しつつ歩いていく。
「おっ、あそこなんていいんじゃないかな? 高層階だから良い景色が見られそうだ。何よりエントランスがお洒落で入る時、優越感に浸れそうじゃないか」
宮子の指さした方を見ると赤茶色いレンガ調の建物がそびえ立っていた。
十五階建ての建物は一階にファミレスが入っていて、それとは別に幅の広い階段がエントランスへと伸びている。オートロックのガラス扉の向こうに広がるホールは大きなシャンデリアが煌びやかに照らしていた。
洋風にまとめられている外観は豪奢なホテルのようだが、マップによるとマンションらしい。
入り口には見えるように防犯カメラが設置されているあたりセキュリティ面はしっかりしていそうだ。きっと中にも複数のカメラがあるのだろう。
暮らすには安心して過ごせそうだが、その分、立地も含めて家賃は高いに違いない。
「優越感に浸る必要はないし、少なくとも好ましくないな」
「趣味じゃなかったかな?」
「それもある」
「ふふっ、それは残念だ」
さして残念そうな素振りを見せない宮子は「ならあそこはどうだい」と笑みを浮かべたまま聞いてきた。
一言「良くないな」とバッサリ切り捨てて道を行く。
俺達は住居探しに来たわけじゃない。
それでも高層マンションを見つける度、宮子から飛んでくる提案を受け流しながら歩いているうちに一周回って飯田橋駅西口へと戻ってきていた。
一時間ほど歩き回ったおかげで東側は見終えたと言っていい。
ネットで下調べをしていたところは思った通りよさそうだ。
他にも良さそうなケーキ屋も見つけたしそこも気になっている。
今見た中で決めてしまってもいいが、神楽坂側にも目をつけているところがあるから一応そちらも確認しておきたい。
ついでに一番良さそうだと感じたところで試しにケーキを買って帰ろうかと思っている。
それを萌に食べてもらい、萌の反応を見て良さそうなら誕生日ケーキも同じ場所で買う予定だ。
そうなると誕生日の予行演習を疑われてしまう可能性もあるがそれについては問題ない。
今日のケーキは高校生活初の一週間を頑張ったということで、慰めかお祝いのどちらかにするつもりだ。
というのも始業式前の懸念通り、昨日までの間に萌は友達を作れていない。日に日に凹んでいく萌は可愛くも儚く、まさにこの世全ての美を編み込んだような御姿をしていた。
だから今日もこのまま作れなかったなら慰めになるし、逆に作ることができたらお祝いにできる。本番への準備にもなる上、どっちに転んでも萌のためになる、我ながら最強の策だ。
そう息巻いて足早に進んでいきたい気持ちもあるが、先に宮子を気遣う方がよさそうだ。
「少し休むか?」
聞くと、息を乱していた宮子は微苦笑を浮かべた。
「あぁ……。そうしてくれると助かるよ」
「神楽坂に出たらどこか入るか」
「すまないね、或斗」
「構わない。俺も少し休みたいと思っていたところだからな」
「ふふっ、気が利くじゃないか」と息を荒げながらも揶揄うように笑う宮子と共にゆっくり歩き出す。
宮子は極端に体力がない。
中学二年生になるまで病弱で入院を繰り返していたようで、元からの運動音痴に運動不足が加わった結果、見事なまでの虚弱体質に仕上がったらしい。少し歩くだけなら問題ないが、今みたいに長時間休まず歩き続けると疲れを見せる。
だから小さい頃からずっと体育の成績は毎年オンリーワンだと自慢げに言っていた。要するに最低評価の1のことだろう。自虐的なのかなんなのかよく分からない。
ともかく弱っている宮子をこのまま引きずっていくわけにもいかない。
地図によるとバーガーショップもカフェも神楽坂に入ってすぐのところにある。
時間的にも客足は落ち着き始めたくらいだろうからそのどちらかに入ればいいか。
「こういう時はやはり休憩と称してホテルに連れ込まれるのかな? ふふっ、ドキドキしてしまうね。身体を重ねるのは初めてだからね、優しく頼むよ」
「……よし、置いていくか」
「冗談だからペースを上げないでくれないかい?」
やや足取りがふらつく宮子を引き離す素振りをしてみたところで。
「あの、大丈夫ですか?」
後ろから女子の声が聞こえた。
不意に訪れた既視感に思わず足を止めた。
声に気付いていないのかそれとも自分たちのことだと思っていないのか、宮子が「どうかしたのかい?」と小首をかしげた。
言葉然り声色然り、聞き覚えがあったがきっと気のせいだろう。
「いや、聞き間違いだと思う」
そうであって欲しい。
聞こえなかったふりをして歩き出そうとしたところで、もう一度「あの」聞こえた。
今度は宮子も気付いたらしい「おや、呼ばれているみたいだね」と言って俺を見てきた。
どうやら気のせいじゃないみたいだ。
まさかたった一週間で再会することになるとは思っていなかった。
「私達に何か用かい?」と振り返りながら問いかける宮子に続いて俺も後ろを向くと。
「なんだかふらふらしているので大丈夫かなって……って、或斗君?」
サイドの髪を無秩序に跳ねさせた赤眼鏡の女子高生探偵、
こうなってしまった以上は相手をするしかなさそうだ。
「あぁ松笠。久しぶり……と言うほどでもないか」
「あはは、そうだね」と笑う松笠を横目に、宮子が半ば戸惑うように見てきた。
「……もしかして、知り合いかい? 或斗に、しかも、他校の、女子の?」
どれだけ信じられないのか、確認するように一言一言丁寧に区切って聞いてきた。
気持ちは分かるが流石に失礼ではないか。
思うところをこらえつつ紹介する。
「あぁ、一週間前偶然会ったんだ。話しただろ、この子があの女子高生探偵だ」
「なっ……」
宮子は驚いたように見開いた目を松笠に向けた。
あまりの驚愕具合だったからか松笠は「どうかしましたか?」と首を捻った。
驚いた様子で松笠を見ていた宮子だったが、すぐにいつもの調子を取り戻してニタリと笑った。
「いやぁね、君のことは或斗から聞いていたのだけど、女子高生探偵というからもっといかにもな見た目の人間を想像していたんだ。ところが実際会ってみたら普通の可愛らしい女子高生だったからね、拍子抜けしたというか驚いてしまったのさ」
「なるほど」
納得したように微笑んだ松笠は「じゃあ改めて」と宮子に向き直った。
「私は松笠菊凪、探偵をやっています。よろしくお願いします」
「
本気なのか冗談なのか、宮子はニヤニヤしながら肩をすくめた。
そこは嘘だったとしてもよろしくと言っておくところだろう。
松笠は「あはは、折角ならよろしくしてほしいところですね」と苦笑した。
「そういえば或斗君達は
「いや、放課後ではあるが帰りというよりは出てきた、という方が正しいな」
「ということは、家も海見原の方なんだ」
「あぁ、学校からは徒歩十分程度だ。でもよく分かったな、俺達が海見原の生徒だって」
制服を見れば分かる、と言われればそれまでだが、それを見ただけでどこの高校かを言い当てるのは俺にはできない。
自分の通う学校以外の制服なんて見たところでどこの高校のものなのかは分からないからだ。もっといえば制服だけじゃ高校と中学の見極めもできない。
だから松笠が迷いもなく俺達の高校を言い当てたことに驚いた。
やはり探偵だからこそ様々な知識を吸収しているのだろうか。
「実は
「……なるほどな」
探偵は関係なかったのか。
でも確かにそれならすぐに分かってもおかしくない。
「松笠、妹いたんだな。ということは一年生か」
「うん、それがどうかした?」
「いや、俺の妹も今年から海見原の生徒だから同級生なんだなって思っただけだ」
「そうなんだ。二人、折角なら仲良くして欲しいね」
「どうだろうな。萌は相当人見知りだから、松笠の妹から話しかけてくれるとなれるかもしれない」
「あー。菊波はあんまり人と話さないタイプだから……ちょっと難しいかも」
「それは残念だ。諦めるしかなさそうだな」
「えー、そこは或斗君が間に入るとかしてくれないのかな?」
「そのあたりは本人達の自主性に任せる方針なんだ」
友人関係について他人が無理に介入するようなものじゃないだろう。
幼稚園生や小学生までならまだしも、萌はもう高校生だからな。
「そういえば或斗君、徒歩通学なんだ」
「……あ、あぁ」
ふと、急に目を細めた松笠からの問いに答えるのがワンテンポ遅れた。
普段より真剣な眼差しに思わず警戒する。
「宮子さんも?」
「そうだが……それがどうかしたのか?」
「……ううん、なんでもない。それならいいの」
今のはなんだったのか。
考えるより先に松笠は何事もなかったかのようにニッコリと笑顔を浮かべて聞いてきた。
「ところでお二人は何しにここに?」
松笠が宮子にも視線を向けると宮子は蛇みたいにシュルりと俺の右腕に絡みついてきた。そして見せつけるように身体を押しつけながらニタリと笑った。
「ふふっ、決まっているだろう? デートさ」
「おぉ、さすが或斗君」
何がどう流石なんだろうか。
少なくとも俺には分からない。
「あー、ということはちょっとお邪魔しちゃいましたか?」
「ふふっ、そうだね。私達はこれから休もうと思っていたのだよ。ホテルでしっぽりと、ね。今は焦らされてしまって困っているのさ」
「う、うぇぇっ!?」
宮子の嬌笑に、松笠はボフンと爆発したみたいに顔を真っ赤にした。
「だから早く解放して欲しいのだけどいいかな?」
「そ、そうだったんですね!? ごめんなさい呼び止めてしまって……じゃなくてダメですよそういうことしちゃ!? 未成年ですよね!?」
わかりやすすぎるほどに取り乱したせいなのか髪の跳ね方が過去最大級に凄いことになっている。全鱗片が反り返った厳つい松ぼっくりみたいだ。
そんな松笠はあわあわしながら俺と宮子をチラチラと見ては、恥ずかしそうに視線をそらしてあわあわあわあわ。
そろそろ助けてやった方が良さそうだ。
「松笠、一応言うが宮子のは全部冗談だからな?」
「……へっ?」
宮子から腕を引き抜きながら言うと、ピタリと、あわあわが止まった。
「デートじゃないしホテルに行く予定もない。そもそも宮子とはそういう関係でもない」
「……ほっ」
松笠は固まったまま「ほぇぇぇ」と大きく息を吐いた。
落ち着いていく興奮に合わせてなのか、暴れていた髪がゆっくりと下がっていく。
一体どんな原理なんだろうか。
そして顔から恥の赤みが引いたところで。
「な、なんであんな冗談言うんですか!?」
違う赤色を帯びた顔で宮子に吠えた。
お腹を抱えてケタケタ笑う様子を見れば、松笠の反応を見て楽しんでいるだけというのは分かる。
松笠が素直すぎるだけだろう。
あからさまな反応含めてやはり探偵らしさは微塵も感じられない。
しばらく宮子を威嚇するように見ていた松笠はこほん、と一つ咳払いをして言った。
「それで、二人は本当はどうして飯田橋に?」
今度は俺だけを見て聞いてきた。
宮子が余計なことを言う前に俺が答える。
「俺達はケーキとかの下見に来たんだ。萌の誕生日が一ヶ月後でな」
「そうだったんだ……良かった」
松笠はわざとらしすぎるほどに胸を撫で下ろす仕草をした。
さっきの冗談がよほどショックだったらしい。
「今はちょっと休もうと思っていたところだ……他意はないからな」
「わ、分かってるって」
ならなんで今休むという単語に反応したんだ。
あと気まずそうに目をそらすな。
「そういう松笠はどうしてここに?」
「私?」
聞いてみると、今度は真っ直ぐこちらに視線を戻して言った。
「私は事務所に行くところだったんだ」
「……事務所?」
「そう、私の探偵事務所。この近くにあるんだ」
「探偵、事務所……?」
「ほら、私探偵だって言ったでしょ?」
「そうだが……」
さも当然のように言われて言葉が詰まった。
宮子は眉間に皺を寄せている。多分俺も同じような顔をしているのだろう。
正直探偵だというのが本当だったとしても趣味でやっている程度だと思っていた。その状況で探偵事務所なんて存在を持ち出されると、どう受け止めればいいのか分からない。
ツチノコの存在に懐疑的なのに巣があると言われたって信じられるはずもない。
そんな俺達の反応が気になったのか、松笠も同じように眉根を寄せた。
「……もしかして私が探偵だってこと、信じていなかったの?」
「いや、そういうわけじゃないが……まさか事務所まであるとは思っていなかったからな。驚いているんだ」
「ふぅん? ならいいけど?」
といいながらも膨らんだ頬の上から懐疑的な眼差しを向けられている。
実際疑っていたのだからまっとうな視線ではあるか。
戸惑いつつ見ていると松笠が「あっ、ならさぁ」と手を叩いて、にっこりとした不自然な笑みを浮かべた。ラフレシアを彷彿とさせる毒々しい満面の笑みだ。
「今から事務所に来ない? ここから十分くらいだし、お茶かコーヒーくらいなら出せるよ? それに或斗君達、休もうとしていたなら丁度いいし、来たら私が探偵だって信じるしかなくなるよね?」
「そうだな……」
松笠にとっては最後が一番重要そうだ。
隣の宮子を見ると、行くのかい? と言いたげな目で俺を見ている。
正直俺は行ってみたい。
本当にあるのなら是非見たい気持ちもあるし、偶然とはいえ再会したのだ、折角なら聞いてみたいこともある。
こういう機会の方が俺にとっては聞きやすいからな。
何より「どう?」松笠から放たれる笑みの圧が怖い。
総合的に判断して着いてくのが正解だろう。
「分かった、案内頼む」
「やった、決まりね」
松笠は小さく両手でガッツポーズを作って「じゃあこっちだよ」と歩き出した。
俺は不満そうな顔を浮かべる宮子と並んで松笠の後に着いていった。
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