オーケー・ゴー
ツル・ヒゲ雄
※1 今夜はいい夜になるって
どことなく嘘っぽく青白い照明のなかを進んで、バティマンは前方のステージにのぼった。愛嬌の爆弾みたいなフィリピーナに背中を押されて、ぼくも続いた。
ステージから店内を見渡すと、一人できているおっさんが、まだ幼さの残るフィリピーナの太腿をさすっているのが目について、なんだか気が滅入ってしまった。こういうのって、愉快な気分とはほど遠い。
口を開けてぼんやり中年を眺めていると、おもむろにマイクを差しだされて、反射的に受け取って、ブラック・アイド・ピーズの『アイ・ガッタ・フィーリング』のイントロが始まって、そしたらもう、歌うしかないってわけ。
バティマンだけじゃなくて、ぼくのとなりの席についていたフィリピーナも一緒になって、身振り手振りを交えて激しく踊りながら熱唱して、彼女の「グッド、グッド・ナイト」って少し低めに響く歌声はなかなかキュートで、ぼくも腹の底から声をだして歌って、かなりいい気持ち。たしかに今夜は、いい夜になるって感じがする。
『アイ・ガッタ・フィーリング』が終わっちゃうと、続けてクリスタルキングの『愛をとりもどせ‼』が流れだして、バティマンが思いっきりシャウトした。だいぶ上手。ぼくは思わず笑いながら拍手をして、席に戻ることにした。だってパチンコでしか知らないし、勝ったこともほとんどないし。
ステージからおりるとき、一人で店にきているおっさんが再び視界に入った。彼は一心不乱にフィリピーナの脚のつけ根あたりに手を伸ばしているところだった。ミラーボールの光が反射して、薄くなった頭頂部がぬめっと光った。ミラーボールの出張所って具合に。
ぼくを追うようにぴたりとくっついてきたフィリピーナと席に座った。女をぐつぐつと煮詰めた濃い香りがして、ウイスキーの薄い水割りを一口飲んで、おおきく息を吐きだしてみた。
今日はどれくらい飲んでいるんだっけ? たしか十七時くらいにバティマンと居酒屋に入って、ビールとかハイボールとか、あるいは梅酒を焼酎で割ったなにかをだらだら飲んで、地下道をくぐって駅の西側へ歩いていって、店員の圧が強いセルフサービスの激安居酒屋に場所を移し、緑茶割りを何杯も喉に流しこんでからこの店に流れついた。かれこれ八時間くらいってところだろうか。おそらく。
なんて考えていると、となりのフィリピーナがぼくの太ももに添えていた手を宙にひらりとさせて、おもむろに両手でぼくの頬をそっと包みこんだ。この子は若いし、かなり可愛くって、頭の芯がじんわりと痺れる感じがした。
「あなた、ベイビーみたい」と彼女は言って、大きな目を細めて笑った。
「たしかに童顔だよな」歌い終えて戻ってきたバティマンがとなりにいた。「今日からきみは、ベイビーだ」
「ベイビー、ハンサム」
「どうもありがとう」と言ってぼくは頭をさげた。「きみもとても可愛らしいよ」
「まあ! うれしい!」と言って彼女はぼくの腕に身体をからませた。「ベイビー、ありがと」
「ぼくなんかよりも、彼のほうがイケメンだよ」バティマンの肩を引き寄せてぼくは言った。
フィリピーナは愛嬌を爆発させて、バティマンをむいて言った。「お兄さんもとてもハンサム」
「当たり前さ」バティマンは形のいい小ぶりな唇の口角をあげた。「顔という顔をいじってるんだ、おれは」
「わお、セイケイ? あたしもしたい!」
「きみはする必要ないよ」とぼくは真顔で言ってみた。
「ベイビー、うれしいこと言ってくれる!」
「てか、整形してんの初耳。どこいじってるの?」とぼくは訊いた。
「目、鼻、唇、頬、顎」と言ってバティマンは点呼でもする調子で指を折った。「身体にだってメスを入れてるんだぜ」
時間がやってきてフィリピンパブをでた。街はまだ喧騒のまっただなかだった。ああ、そうか、そういえば今日は金曜日。いつからか曜日感覚が欠落。路上は人で賑わっていて、輪になって奇声をあげている若者もいるし、彼ら彼女らはどう見ても未成年で、コンカフェの客引きをしている女の子だってそこかしこにいるし、だらしなく腹がたるんだスーツ姿のおっさんだってうじゃうじゃいるし。
先を歩くバティマンについていくと、薄汚い雑居ビルに到着して、くすんだ灰色のほこりっぽい階段をのぼった。途中の踊り場に使いかけのケチャップと、醤油と、ポン酢のボトルがどんぶりに突っ込まれて置いてあった。どういうわけか。そんなこんなで、足の小指の先まですぶすぶに酔っ払ってたどり着いたのは、中国マッサージの店だった。
「ベイビー、ついたよ」と言ってバティマンは引き戸を開けてくれた。
よくわかないけどバティマンと同じコースにして、中華っぽい半そで半ズボンに着替え、施術台に寝転んで、となりにはバティマンも寝そべっていて、身体をばらばらに分解されているんじゃないかと思うほどの痛みに襲われ、でも気がついたら眠っていた。
「ラジオ体操の時間だー!」ってバティマンの大声で目覚めた。
スマホを見ると朝の七時過ぎだった。五千円くらい払って店をでて、朝日に目を細めつつ、路地裏でバティマンと一緒にラジオ体操をした。水をしこたま吸いこんだスポンジなみに重たいみじめな頭振り振り、やっとのことで。
それからぼくらは、空から降りそそぐ白い光のなかを駅のほうまで歩いていって、歩くというよりもほとんど足を引きずって、赤いレンガ調の外壁でできたホテルの二階にある、純喫茶に入った。地下一階は昨晩立ち寄った激安居酒屋で、ずいぶんと懐かしい気持ちにさせられた。昨日のことが。
頼んだコーヒーが運ばれてくる前に、バティマンは切りだした。
「ベイビー、おれと一緒に人助けをしないか?」
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