第11話 蒼穹

 蒼空が広がっている。

 塔の展望台から眺める景色は空の蒼と森の緑。

 懐かしい第二の故郷ハルシュフェスタ王国のものだ。

 塔子は空に両手を伸ばして空気をいっぱい吸い込む。

 初めてここを訪れたのは十七歳。前世の英砥として気持ちの塞いでいた彼を元気付けようと魔法使いであるバレンシアがこの塔へ招待してくれた。

 その頃彼はまだ王付き魔法使いではなく、彼の父がその職に就いていた。彼はその高い魔力故に勇者と同行する魔法使いとして選ばれていた。経験が不足しているバレンシアにとって魔王討伐の旅はお祭りのようなものに思えたらしい。実際は苦難の多いものだったのだが。

 バレンシアだけでなく、魔王討伐に選ばれたメンバーはそれぞれが能力の高い若者だった。

 勇者英砥。塔子の前世だ。魔法も剣も訓練なしに最上級の技を放てる天才だった。

 魔法使いバレンシア。言わずもがな、王国一の魔力を誇る天才。少し常識に囚われない奔放なところがあるが概ね正直で明るい。

 騎士エリック。侯爵家の嫡男でありながら魔王討伐に名乗りでた秀才。剣の才は言うまでもなく魔法も使える逸材。性格も穏やかでおおらか。貴族にありがちな傲慢さもない誠実な人柄でどこへ行っても人気だった。

 神官バルトライ。神を一途に信じすぎる若き賢者。潔癖なところを除けば好青年だったが育ちの良さが邪魔をして友達は少なかった。

 斥候アーディン。知識と体力に富み、若いが経験豊富な冒険者として活躍していた。明るく親しみある性格だったが本来は物静かな青年で彼の壮絶な過去を知るとよくぞ真っ直ぐに育ってくれたと思わずにはいられなかった。

 そして唯一歳が離れていたのがベテラン冒険者のエフィーネだった。彼らのまとめ役で異世界から来た勇者を補佐する役目を負っていた。

 一人一人の顔を思い出しながら、塔子は蒼穹に思いを馳せる。

 あの頃見上げた空と何も変わっていないような、それでいてあの頃よりも澄み渡っているような、複雑な気持ちが起こる。

 隣で親友のエリックに似た宗十郎が無言で同じように空を見上げている。彼は今何を思っているのだろうか。塔子以外に誰も知らない世界に来て不安がない訳がない。

「宗十郎」

「ん?」

 塔子の呼びかけに彼は塔子を真っ直ぐに見下ろしてくる。

「この空に誓う。宗十郎を尊び、慈しみ、その幸せを見守ることを」

 ハルシュフェスタの騎士が誓う言葉だ。

 蒼穹の誓いと言う。

 この王国は四季はあるものの晴れ間が多い。からりとした空気は過ごしやすく、雨が降って濡れてもすぐ乾く。しかし大地が枯れることはなく、土は保水しているから作物は育つ。

 この神の恵みの大地と澄み渡る蒼い空に感謝を込めて騎士は自分の大切なものを守ることを神と空に誓うのだ。

「何だか知らないけど、俺も同様のことを塔子へ誓う」

 宗十郎は塔子の右手をとって唇を落とした。

「キザだなあ」

 茶化して言うと彼は口元だけ笑みを浮かべて見せた。

「お客様方」

 突然彼らの背後でハスキーな声がする。その懐かしさに塔子が笑顔を見せる。

「ライラック」

「はい、お嬢様。よく私の名前をご存知で」

 執事のライラックだ。年齢不詳、性別も男だったり女だったり。今は老爺の格好で燕尾服を着ている。柔和な笑顔で手に盆を持ち、食事を運んできてくれたようだ。

「それは私たちの朝食?」

「はい、その通りでございます」

 ライラックはどこから出したのかテーブルと椅子のセットを展望台の端に置き、そこに食事を並べ始める。盆に載っていた分よりも明らかに多い。どういう魔法なのか塔子は気になってライラックの手元をじっと見つめる。

「お嬢様、これは魔法ではありませんよ」

「違うの?」

「ええ。これは手品です」

 詭弁だ。魔法というよりも盆が魔道具の一種なのだろう。見た目は小さな盆でも大容量を叶える収納ボックスのようなものだと思われる。

「手品ね」

「はい。ではごゆっくり。何かご用がおありでしたら大声で呼んで下さいまし」

「そうする」

「では」

 ライラックは唐突に消えた。

 宗十郎が不思議そうに彼の消えた空間を見ている。

「食べようか」

 塔子が声をかけると彼は大人しく席に着く。

 広い空のもと、豪華な朝食を楽しむ。

 光が世界を照らしている。

 彼らの新しい日々は穏やかに始まった。


 

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