10 ハングドガールの本懐
紙袋から取り出されたロープが、初野の封印に必要な物であることは察しがつく。
しかしそれでも、ここでロープが出てくることには困惑する。
「そんなもん、どうすんだよ……」
「ちょっと待ってね……」
先輩はスマホを教壇に置き、画面を見ながらロープを結び始めた。
輪を作り、くるくるとロープを巻き――
出来上がったのは、ハングマンズノット。首吊りロープだった。
「うし。うん、ちゃんと出来たね」
輪と結び目を確認し、先輩は教室をぐるりと見まわした。そして、「あれがいいか」と黒板の前に椅子を引っ張って行った。
先輩が目を付けたのは、黒板上のフックの付いたレールらしかった。教材を吊り下げるためのピクチャーレールだ。椅子に乗り、フックにロープを結び付け、満足そうに頷いている。
「これでよし……っと……!」
椅子を降り、胸ポケットから例のヘアピンを取り出す先輩を見て、その意味を察する。
「なあ、まさか、それが初野の〝次善の依り代〟だっての……?」
「(仮)だけどね」
「いや、でも……」
さすがに納得出来なくて、首を傾げる。
「だって、借金苦で死んだ奴の依り代が貴金属なんだろ? なんで首吊ったロープなんかが……」
「んー……ま、話はさ、全員そろってからにしようか」
先輩は人差し指と中指の間にヘアピンを挟み、さっと腕を横に薙いだ。
払った腕の軌道に、赤い光の線が走る。
「これは強制的な封印じゃないから、本人にも納得してもらわないといけないの」
空間に描かれた赤い光線が、消えずに滞空している。やがて光はバラバラに解け、やはり粒子となって宙を舞う。
二度目でも、やはりこの超常現象には目を奪われる。
この冷たい校舎とは対極の、不思議な温かさがある。綺麗で、どこか懐かしい。
そして気付く。光は無秩序に飛び回っているわけではなかった。
光が、人の形を作ろうとしていた。
「初野……」
一歩、後ずさる。数時間前、自分を殺そうとした相手。体が勝手に動いていた。
青白い顔は相変わらず。まばたきを全くしない、一点を見つめる黒々とした瞳も。
その視線は私に向けられていた。先輩に背を向け、私だけをじっと見ている。さらに一歩下がる。その直後、なにもない空間から突如としてロープが現れ、それ自体に意思がある生き物のように、私に襲い来る。
しかしロープが私の首にかかることはなかった。
それより早く先輩が動いていた。
初野の横から歩み寄った先輩が、彼女のまっすぐに切り揃えられた前髪にヘアピンを差した。封印に使っていたものと形は同じ、丸い和風の飾りがついている。ただし色は青だった。先輩の手元には赤い飾りのヘアピンがある。どうやら、色違いを複数持っているらしい。
先輩の手元の赤いヘアピンを初野に向ける。すると赤と青のヘアピンが、同時に光を放ち始めた。
「少し大人しくしてようか。お話、聞いて貰わないとだから」
よくわからないけれど、あれで動きを封じているらしい。
先輩の手元の赤いほうが送信機で、初野の髪に差したほうが受信機、そんなイメージだろうか。
「はい。それじゃ面子もそろったところで、始めましょう。『初野さんの次善の依り代はなにか』問題について。ま、結論から言うと、彼女に適した依り代はこちら――」
先輩は黒板前に吊り下げたロープを大げさな動作で示し、芝居がかった調子で声を張り上げる。
「――首吊りロープ! それもハングマンズノット、処刑人結びのロープこそが、初野美世さん、あなたの〝次善の依り代〟第二の魂の住処となります!」
初野はそんな先輩に見向きもせず、私をじっと見ていた。こっち見んなよ、と言う強がりすら言い出せない。
なにを考えているのかわからない……いや、それ以前に、感情の有無がまず確認できない。そんな瞳。そんな視線。正面から見つめ合っているうち、喉がカラカラに乾いていく。
先輩が怖そうに見えて意外と可愛い飼い犬なら、こいつは野生の熊か狼だ。
最初に言葉を交わしたときとは違う。意思の疎通は、出来ない。無理だ。
目をみるだけで、理屈抜きに、そう思い知らされる。
「もー、二人で見つめ合ってないで、私の話聞いてくれるー?」
先輩がヘアピンを初野に向ける。するとそれに反応するように、私から視線を外してくれた。
どっと脱力する。手のひらに嫌な汗をかいていた。
先輩がぱんと手を叩く。乾いた音で正気づいて、小さく深呼吸。
「さ、それじゃシロちゃんの疑問に答えていこうか。なぜこんな物騒で陰気な首吊りロープが初野さんの次善の依り代なのか――それは当然、彼女がこのロープで行う行為、つまりは自殺という行為そのものに、強く思いを馳せていたからであります」
「だからさ、これが『金がない奴にとっての貴金属』みたいなもんだってのが、よくわからねぇよ」
「初野さんの自殺の理由……というか、目的はなんなのかと考えてみると、案外わからなくもない可能性がひとつ浮上するのです」
「可能性?」
「そう。私たち、今日は色々訊いて回って、この子の自殺の動機を調べたよね? でも『なにもなかった』……そうだよね?」
「うん。まあ……それどころか、こいつのこと知らねぇとか、地味にきついことばっか言ってたな、みんな」
「だよねぇ。きつい。なんなら何かあるより酷い。いや、イジメが実際にあったなら、それはそっちのほうが酷いよ? でもさ、なんかさ、『良くも悪くもなんとも思われてない』って、案外ダメージでかいよねぇ。しんどい話だよ、うん」
「まさか……先輩、初野はだから死んだって言いたいの? なにもなかったのが辛くて死んだって、そう言いたいのかよ」
「うん、そうだよ」
「いや、確かに……きついだろうよ。酷い話だよ。でもさ、それ、死ぬほどか?」
初野に問う。恐怖よりも、疑問が勝っていた。
「いやわかるよ? 自分のこと知ってもらえないって、わかって貰えないって辛いことだけど、なにも自殺することないじゃないか……だってお前、それじゃ本末転倒だろ。死んじまったら、余計にお前のことわかって貰えなくなるだろうが……!」
やるせない。抑えようとしても、どうしても語気が強くなる。
誰にも認知されず、理解されず、ただ誤解だけが蔓延して身動きが取れなくなってしまった私には、初野の気持ちは痛いほどわかる。
しかし、気持ちは理解はできても、自殺という選択は肯定できない。
自殺を選び、実際に死に切ってしまった彼女の姿が、私には自分の未来を暗示しているようにも見えていた。
とてもではないが、認められない。共感できるはできる、出来てしまう。だからこそ、認めるわけにはいかなかった。
「そうじゃないって言えよ! 先輩が間違ってんだろ!? ほんとはイジメとか、クラスの奴らになんか酷いことされたんだろう!?」
初野は何か酷いことをされたから自殺した。そんなことあってはならないけれど、もしそうなら、私は初野を自分に重ねずに済む。
不理解を苦にしての自殺――その末路を、重ねずに済む。
「シロちゃん、残念だけど、死者は生きてる人みたいな複雑な会話は出来ないから、その質問には答えてくれないと思う。さまよう霊体は、終わった人格の残滓なんだ」
先輩が、申し訳なさそうに口を挟む。
「初野さんが自分で説明するのは難しいから、私からお話するね」
「悪い、頼むよ……」
前髪の分け目から覗く右目が、優しく和らぐ。こくりと頷いて、先輩は黒板のロープを見上げた。
「初野さんの高校生活は、一言で言えば『なにもなかった』……お友達も出来ず、クラスの一員と認識される前に不登校になった。不登校になった事実すら知らない人もいたほど、その存在はクラス内で希薄だった……そういう生活を送っていたせいなんだろうね。初野さんはシロちゃんも言ってたとおり、モンスターになってしまった」
「モンスター?」
「承認欲求モンスター。言ってたじゃん。自分のことを見つけて欲しい、知って欲しい、認めて欲しい。構って構って構って欲しくて、作りに作った十三のSNSアカウント。彼女は引き籠ってから自殺までの数か月間、短期間で負の感情をそこに濃縮させてしまった。クラスメイトへの不満を吐き出し、芸能人を叩き漫画アニメを小馬鹿にして、ついには鬱病と偽って人の気を引こうとした」
「ああ……」
「それでも初野さんは満たされない。なぜなら本当に自分を見て知って欲しいのは、ネットの向こうにいる誰かじゃない。実際に同じクラスで生活してるみんなだったから。だから彼女は考えた。部屋でひとりドロドロに煮込んだ承認欲求を満たす方法を。それが、これ――」
先輩はロープの輪に人差し指を引っ掛け、くいと引いて見せた。
「――『不登校のクラスメイトが首を吊った』というトピックを用意すること。それによって周りの気を引こうとしたんだ」
「馬鹿なの……? 死んだら元も子もないじゃん……」
「馬鹿だったんだよ。未遂で済ませるつもりなら、そもそも首吊りって方法を選ばない。ただ構って欲しいだけなら、リストカットみたいな自傷行為を選んだんじゃないかな。で、引き籠らずに学校に行って傷口を見せびらかしてた。だからつまりは初野さん、『死んでしまえば楽になれるし、おまけに目立てる』みたいな、そんな考えだったのかもしれない」
初野に視線をやり、困ったように笑った。
「どうあれ、冷静じゃなかったんだろうね。鬱病を詐病と言ったけど、診る人が診れば何かの病気ではあったのかも。とにかく『首を吊れば目立てるかもしれない』そんな期待を、初野さんは首を吊るロープに籠めたんだ」
「き、期待って、そんな……」
「本人はウキウキだったんでしょうね。それこそ死後、ロープが次善の依り代に……魂の寄る辺になってしまうほどに、その思いは強かった……」
初野は気が付くと、先輩を見ていた。その反応は、まるで先輩の話を肯定するかのようで、私を困惑させた。
「……というのが、私の考えなんだけど、どうだろ、初野さん?」
「わ、わたし……みつ、みつけて、もらえて」
生気のない顔で、どこかもじもじと、生前のぼっちだった人格を想像させる仕草で、彼女は言う。先輩はそんな初野を包み込むように笑って、やさしく頷いた。
「うん。良かったねぇ、シロちゃんに見つけて貰えて」
「しって……はつの、みよ」
「うんうん。君が思ったような大騒ぎにはなってないけど、聞き込みしたクラスメイト、ちゃんと『初野さん』って苗字覚えてたよ~。やったじゃん、狙い通り」
「ふふ、うふ」
初野は先輩の言葉に、にっこりと満面の笑みを浮かべた。白い頬に思いきり笑いジワを作っている。
その笑顔はまるで、先輩の言葉を喜んでいるようで、それはつまり、先輩の『目立つために首を吊った』という推測が正しかったということで――
「きっとみんな、君のこと忘れない。君の目的は果たされた。だから誰かを殺しちゃう前に、これからはここで大人しくしてようね」
手元のヘアピンを初野に向ける先輩。赤い飾りが、淡く光を放つ。
初野の頭、肩、足の輪郭が、じわりと絵具が滲むように曖昧になる。
封印――
「ま、待って……!」
思わず、声を上げた。
先輩が意外そうに私を見る。もうお別れだと思って咄嗟に声を上げたけれど、何を言えばいいのかわからない。
もうこいつの命自体は、とっくに終わってしまっている。どんな言葉をかけようとそれは私の自己満足でしかなく、初野のためになるようなことはもう言えない。
それでも、私とこいつの間には、『なにもなかった』わけではないから――
「わ、詫びの一つも入れずに行くつもりか……? この首――」
首の擦り傷を見せて、初野を睨みつける。
「思いっきり吊り上げてくれやがって。危うく死ぬとこだったじゃねぇか……! てめえのしたこと、絶対に忘れないからな……!」
初野と私の間にあったのは、首吊りの思い出だけ。
殺されかけた最悪の思い出だけ。
友達になってやる――だとか、慰めの言葉をかけてやる筋合いなんかない。
だから私は、去り行く馬鹿な自殺者に、こう言葉をかけた。
「覚えてろよ、お前。次に会ったら、今度はもう容赦しねぇからな……!」
忘れない。覚えてろ。私から言えるのは、それだけだ。
初野は私を見て、笑った。まるで生きた人間のように笑うものだから、その一瞬だけ恐怖を忘れてしまうほどだった。
「お、ともだち……」
「はっ! 誰が! いくら私でも、さすがに幽霊の友達なんかいらねぇんだよ……!」
「ふ。うふ。えへ」
初野の笑顔が、赤い光の粒子に分解されていく。
赤い蛍火。命の灯。殺風景な教室の空間を渦を巻くように舞い、その光の群れは首吊りロープに吸い込まれていく。
粒子のすべてを飲み込んで、ロープは何事もなかったかのように、ただそこにぶら下がる。
それは当初窓際で見たときと同じように、ただの悪趣味なオブジェにしか見えなかった。
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