第十話


【背水の陣(はいすいのじん)】


敵軍は徐々に接近しており、状況は極めて切迫していた。その時――


「櫻井、ひとつ案がある。協力してくれ。」


櫻井は重い表情のまま、迷わず頷いた。

「言ってくれ。」


「敵を爆破地点まで誘導するつもりだ。お前はすぐにすべての爆薬の準備をしてくれ。」


「本気か? 一歩間違えれば死ぬぞ。」


「もう他に選択肢はない。できるだけ多くの敵を引き込む。その間に、お前は裏口からこのビルを離れてくれ……奴らが持ってる爆薬が必要なんだ。」


そう言って彼は一瞬沈黙し、強い眼差しを向けた。


「もし敵の火力をこの建物の内部に集中させられれば、爆薬によってより大きな爆発を引き起こすことができる。――ビルごと吹き飛ばし、通路を完全に封鎖できるはずだ。」


櫻井は眉をひそめ、低く呟いた。

「だが……」


「時間がない、櫻井。」

レックスは鋭い目で言い切った。「頼んだぞ。」


言い終えると、彼はためらうことなくお馴染みの全覆面マスクを装着し、軍服の襟元に繋がれたフードを被った。動作は一瞬の迷いもなく滑らかだった。そして次の瞬間、彼は遮蔽物から飛び出し、敵の方角へと突進していった。


櫻井は歯を食いしばり、低く罵った。

「くそっ……いつも無茶ばかりしやがって……死ぬなよ、レックス……」


レックスは飛び出した瞬間に戦況を把握し、正面の小さな建物に向かって駆けた。この辺りの街区はかつての戦火で既に崩壊しており、身を隠せる遮蔽物はほとんど残っていない。それでも多くの敵を引き付けるため、彼は命を賭けるしかなかった。


彼は目の前の建物へ飛び込み、ドアを押し開けると、床一面に散らばる死体が目に入った。味方の兵士もいれば、敵兵の姿もある。弾薬が乏しいため、彼は素早く床の武器と装備を拾い集めた。


「これで……しばらくは持ちこたえられるか。」

彼は低く呟いた。


幸いにも、敵軍は撤退時に戦場を完全には処理しておらず、残された武器と弾薬が彼にとってこの上ない支援となった。


レックスは素早く武器の状態を確認し、敵の残したマガジンをライフルに装填すると、武器を手に窓辺に伏せた。遠くの通りからは重い足音と金属の鎖の擦れる音が聞こえ、敵軍が徐々にこの焼け野原へと踏み込んできていた。


彼は深く息を吸い、スコープを通して最初に通りに現れた兵士に狙いを定め、引き金を引いた。


「パン――!」


静寂を破る銃声とともに、敵兵の一人がその場に倒れ込んだ。他の兵士たちは咄嗟に左右に散開し、攻撃元を特定しようとしたが、すぐには位置を特定できなかった。


レックスはその場にとどまらず、数発撃った後すぐに瓦礫の間を駆け抜け、隣の廃墟の背後に移動し、再び銃を構えた。


「パン! パンパン!」


彼は断続的に射撃しながら移動を繰り返し、まるで複数の狙撃兵がいるかのように錯覚させた。敵軍は混乱し、隊形を何度も変えながらも、発砲位置を特定できずにいた。


ゲリラ的な戦法は敵の虚を突き、数名の兵士が恐慌の中で次々と倒れていった。レックスは冷静に戦場を観察し、使える銃や弾薬を拾い集め、未使用の手榴弾も見つけて腰に収めた。


しかし、その優位も長くは続かなかった。


「ゴオオオ……!」


低く唸るエンジン音が遠方から響き、レックスの表情が変わった。通りの向こうから、敵の装甲車が瓦礫を踏みしめて進み、その後ろには主力戦車が続いていた。砲塔がゆっくりと回転し、目標を定めようとしている。


「厄介だな……まさか装甲車まで出してくるとは。」


レックスは歯を食いしばり、敵がこの騒ぎをただの陽動とは見ていないことを悟った。


彼は半壊した壁を飛び降り、瓦礫と破片の間に確実に着地した。少し息を整えると、すぐに狭い路地へと身を滑り込ませた。この一帯の建物は過去の爆撃でほとんど破壊されており、崩れた壁や起伏の激しい地形は重装甲車両にとっては罠も同然だった。


彼は手慣れた動きで、次々と廃墟や半壊構造をすり抜け、途中の地下通路の蓋を開けて潜り込み、別の出口から静かに現れた。彼が設置していた罠――敵の死体や残留装備からかき集めた地雷――は、ちょうど装甲車が通る道の真ん中に仕掛けられていた。


地雷の隠蔽を確認したレックスは、未練なく傍の廃ビルに身を投じ、素早く二階の残った階段を駆け上がった。彼は爆風で崩れた窓の陰に身を潜め、銃を構えて息を潜めた。


間もなくして、重々しいキャタピラの音が地面を震わせながら響いてきた。敵軍がついに市街地に侵入し始めたのだ。前方の歩兵部隊は慎重に進みながら、安全なルートを確認しようとしている。

レックスは大きく息を吸い込み、先頭を歩く兵士に照準を定めると、迷いなく引き金を引いた。


「パンッ!」


敵兵が即座に倒れ、後続の敵は一気に混乱し、慌てて遮蔽物を探し始めた。


レックスはその場に留まらず、すぐに陣地を移動。階段を駆け上がってさらに上の階へと向かい、別の壊れた窓から側面へ射撃を再開した。一マガジンを撃ち終えるとすぐにまた移動し、まるで建物全体が彼の迷宮のようだった。


その時――


「ドォォォン!!」


轟音と共に爆発が発生。ちょうど敵の装甲車が地雷の上を通過し、キャタピラが吹き飛ばされ、激しく揺れた後その場で停止した。


車内は一瞬で混乱に陥り、何人かが様子を見ようと車外に出ようとしたその瞬間、建物の上部から激しい銃撃が降り注いだ――レックスは既に伏兵として待ち構えていたのだ。雨のような弾丸が降り注ぎ、装甲車から出てきた敵兵たちは瞬時に制圧された。


「奴を見つけた!三階にいる!Aチーム、すぐに突入しろ!ただし——殺すな、生け捕りにしろ!」


その声が響き終わる前に、建物の下層から足音が乱雑に響いてきた。次の瞬間、重たい扉が激しく破られ、敵軍が雪崩れ込む。建物内にこだまする足音が徐々に迫ってくる。


「この階にはいない!」

「こちらも見当たらない!」

「上にいるはずだ、急げ!」


敵兵たちは階ごとに捜索を進め、足音は階段に近づいてきた。レックスはそれを見て、冷たい視線を浮かべながら床に転がっていた焼夷弾を手に取り、ピンを引き抜いて階段口へと投げ込んだ。


直後、激しい爆音が階段に響き渡り、炎が獣のように吹き上がった。煙と火炎が敵の先陣を一瞬で飲み込み、建物全体が震えるほどの衝撃だった。


悲鳴が飛び交う。


「うわあああ!!燃えてる!助けてくれ——!」

「水を!水をくれ——!!」


炎に包まれた兵士たちは苦しみながら転げ回り、焦げ臭い匂いと恐怖が空気を支配する。後方の兵士たちはその惨状に呆然とし、中にはその場で膝をついて武器を取り落とす者もいた。


「何をしている!?武器を拾え!」


敵部隊の隊長が怒鳴り、炎に照らされた目には怒りが宿る。


「任務を忘れるな——」彼は震える兵士たちを鋭く睨みつけ、声を低くして言った。「逃げた者は、その場で処刑する。」


兵士たちは顔を青ざめさせながら目を合わせ、最終的には歯を食いしばって武器を拾い直した。彼らは恐怖を押し殺し、焦げた死体と焼けた肉の匂いの中を進み、上階へと向かっていく。


階段に響く重い足音、それは恐怖と命令のリズムだった。


レックスは銃を構え、階段から次々と現れる敵兵に照準を合わせ、ためらいなく引き金を引いた。


「ダダダダッ!」


一発一発が正確に敵を仕留めていく。しかし、敵の数は予想を超えて多く、まるで洪水のように押し寄せてくる。マガジンはすぐに空になり、彼は素早くリロードしながら後退し、射撃を続けた。このままでは持たないと悟る。


周囲を見回すと、向かいの建物の屋上が目に留まる。高さも距離も許容範囲内、そこが唯一の脱出経路だった。


「……あそこだ!」


レックスは迷わず窓際へと走り、窓を開けた瞬間、部屋に敵がなだれ込んでくる中で、全力で跳び出した。


空中を風が唸りながら通り過ぎる。コンクリートの屋上に着地し、転がって衝撃を和らげた後、膝をついて呼吸を整えながら周囲を確認した。


だが、安堵する暇もなく、背後の建物から再び怒声と銃声が響き渡る。敵は彼の逃走経路を察知し、第二波の追撃に出ようとしていた。


遠くの街角から次々と敵兵が現れ、いくつかの小隊がレックスのいるビルを包囲しようとしている。


弾薬は尽きかけており、一発一発に価値がある。レックスは理解していた——ここから先は、真の死闘になると。


レックスは一瞬も止まらず、屋上の出口へと駆け寄った。だがドアを開けた瞬間、突然、一人の人影が勢いよく飛び込んできた。


「見つけたぞ——!」


反応する暇もなく、敵とレックスは取っ組み合いになる。レックスは銃を構えようとするが、相手の肘打ちで武器を落とし、同時に相手の銃もはじき飛ばす。二人は激しく殴り合いを始めた。


拳と蹴りが飛び交う中、敵兵の動きは速いが粗さがあり、レックスは冷静に対応。隙を突いて敵を床に押し倒し、膝で胸を押さえつけると、太ももに括りつけていた軍用ナイフを抜き、相手の胸元に突きつけた。


「やめてくれ——!殺さないで……!俺が悪かった……お願いだ……!」


敵兵は怯えきった目で哀願し、両手で必死にナイフを押しとどめようとした。しかし、レックスの目は冷たく、一切の迷いがなかった。


彼は知っている。情けをかければ、すべてが終わると。


「……すまない。」


その言葉と共に、両手でナイフを力強く突き刺した。相手の動きが完全に止まるまで。


幾度となく死線を越えてきたレックスでも、命を奪うその瞬間、胸に込み上げる波紋は決して消えることはなかった。


彼はしばらく敵兵の亡骸を見つめ、ナイフを握る手が微かに震えていた。血が刃先から滴り落ち、地面に深紅の染みを作る。


その刹那、背後から急な足音が近づいてきた。


「止まれ!動くな!」


声と同時に、敵兵の一人が屋上に現れ、ライフルの銃口をレックスの頭部に向けた——


「バンッ!!」


突然の銃声が鳴り響き、空気が一瞬で凍りつく——

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