第12話「少年と友と再起の夕暮れ」

 放課後になって、ハルトはホビーショップの裏手にある飛行場に向かった。


 バイトがない日はここで日が暮れるまで、ストライドと飛ぶのが日課だった。だけど今日は、ただストライドを好きに飛ばせるばかりで、ゴーグルを額に押し上げたまま、コントローラーを地面に投げ出して、ハルトは座り込んでいた。


 背後で、乾いたブレーキ音が響く。振り向けば、見慣れた友人が自転車から降りるところだった。カズキは無言で、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 「こんなところに呼びつけて、何のつもりだい。ハルちゃん」


 ややいら立ちの混じった声で、カズキは続ける。


 「朝の話なら、少し時間をくれって言ったろう」


 友の苦言にハルトは答えず、脇に置いてあったコントローラーを手に取り、カズキの方へと突き出した。


 カズキは一瞬戸惑いながらも、それを受け取る。


 「これは……?」


 「考える時間はやるさ。でもその前に――」


 言って、ハルトは立ち上がり、頭に被ったままだったゴーグルを外した。


 「昔みたいに、二人で飛ぼうと思ったんだ」


 ゴーグルを、カズキに差し出す。カズキはそれをじっと見つめる。


 カズキは一瞬、手を伸ばすのをためらったように見えた。しかし、意を決したようにゴーグルを受け取り、ゆっくりと頭にかぶった。


『コックピットにようこそ。君と飛ぶのも久しぶりだな』


 ゴーグルを通して、ストライドの声が響く。幼い頃は、互いのプチボットを交換して飛ばすことも、しばしばあった。


「……そうだね、ストライド。本当に、久しぶりだ」


 声はひどく強張っていた。その表情も。カズキ自身も自覚があるのか、平静を取り戻そうとするように、深く息を吸い込み、吐き出す。


『それでは行こうか。“ You have control."』


「“I have control.”」


 カズキの指がスティックに触れる。僅かな躊躇いの後、慎重にスティックを倒す。ストライドがゆっくりと旋回を始めた。次に、スロットルをわずかに上げ、機体の反応を確かめるように高度を調整する。一つ一つ、丁寧に、慎重に操作を重ねる。


 ハルトはカズキの横に立ち、空を舞うストライド見つめながら口を開く。


「気分はどうだ、カズキ」


「……懐かしいよ。ハルちゃん」


「昔はここでよく、爺さんのラジコンを貸してもらって飛ばしてたよな」


 カズキが、コントローラーを握る手に力を込める。その指の動きは迷いなく、機体はスムーズに応答している。しかしどこかぎこちなさが見えるのは、空いた時間のせいか、それとも拭いきれない緊張のせいか。


 「そのうちプチボットを買ってもらって……レースにも出るようになって」


 ハルトは微かに笑う。あの頃はただ夢中で飛ばしていた。競うことが楽しくて、勝つたびに二人で大喜びしたものだった。


 「……そして、あの事故が起こった」


 会話が途切れる。それまで穏やかに吹いていた風が、ふと止んだように感じた。まるで時間が凍りついたかのように、飛行場の空気が張り詰める。夕焼けに染まる空の色が、妙に鮮やかに映った。


 事故の後も、二人の関係が完全に途切れることはなかった。学校では普通に話し、メールや電話もしていた。


 だけど――この飛行場には、カズキはもう来なくなった。プチボットを飛ばすこともなくなった。


 きっと、どうしても“いない誰か”のことを考えてしまうから。


 「俺も」


 ハルトは言葉を切り、一度息を吐いた。胸の奥に絡みつくもやが、わずかに重たくなるのを感じる。


 「俺もずっと後悔してた。お前をレースに誘ったのは俺だ。俺が誘わなければ、ゼファールが落ちることもなかった」


 カズキのプチボットの、そしてハルトにとっても友達だった、プチボットの名前を口にする。


 「違う」


 ハルトの懺悔を、カズキは強く否定した。


 「ハルちゃんのせいじゃない。それは絶対に違う」


 言って、カズキは絞り出すように続ける。


 「……ハルちゃんも、あの事故を気に病んでたのは、知ってたよ。だから、レースに出るのをやめたってことも。ハルちゃんが気に病むことなんて、何もないのに」


 カズキの言葉に、ハルトは苦い笑みを返す。


 「気にするさ。お前は俺の友達で、ゼファールも俺の友達だったんだ」


 視線を地面に落としながら、言葉を探すように一拍置く。


 「忘れろとか、気にするなとか、言うつもりはない」


 過去に戻ることはできない。無かったことにもしない。それでも。


 「ただ、俺はレースに戻る」


 もう一度、挑むと決めた。


 静かに告げたその言葉に、カズキは一瞬、手を止めた。その反応を横目に見ながら、ハルトは続ける。


 「だからお前も、戻ってきてくれ」


 視線の先で、ストライドが旋回を続けていた。夕焼けの光が機体の表面に反射し、柔らかな輝きを帯びているのが見えた。


 「あの頃みたいに、また……」


 続きのない言葉が、夕暮れに溶けて消えた。沈黙がふたりの間に落ちる。けれどそれは重苦しいものではなくて、むしろ長く張りつめていたものが、ゆっくりと解けはじめた静けさだった。


 「……わかったよ」


 短くない時間の後、カズキは小さく息を吐いてから、口を開いた。


 「レースに戻るかは、まだわからないけど。とりあえず、メカニックとしてなら……僕でよければ、力を貸すさ」


 その言葉に、ハルトは肩の力を抜いた。


 「――助かる」


 「いいよ。ほかならぬハルちゃんの頼みだしね」


 それから、カズキは少し目を細めて続けた。


 「それに……昔みたいに、ハルちゃんとまた一緒に遊びたいって、僕も思ってたんだ」

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