影に咲くもの
影楽
第1話 共に旅立った日
目の前に広がるのは、果ての見えない草原だった。
春の風が若草を揺らし、空は抜けるように高い。
だが、その風の軽やかさとは裏腹に、胸の奥が少しだけ重かった。
勇者――クラウス・アーデルハイトは、俺の幼馴染だ。
幼い頃から一緒に剣を振り、同じ夢を語り、
いつかこの国を出て、世界を救う冒険に出ようと約束していた。
そして、その約束は果たされた。
「エイル、準備はできたか?」
クラウスが振り返る。
その顔は、昔と変わらぬ明るさと、そして……俺にはない強さを湛えていた。
「ああ、いつでも行ける」
俺――エイル・シャドウグレイは、そう返しながら背負った荷物の重みを感じる。
それは旅の道具だけじゃない。俺の不安や焦り、そして──期待も詰まっている。
共に旅する仲間たちは、クラウスを中心に集まった精鋭たちだ。
魔法使いの――セリナ・ウィスタリアは王都の魔術学院を首席で卒業した天才少女。
僧侶の――フィリス・ノエルは高名な神官の血を引く癒し手。
そしてクラウスの幼い頃からのライバルでもある――ジーク・オルレアンは、
すでにいくつもの戦場を経験していた歴戦の剣士だ。
そんな彼らの中に、俺がいる。
俺は特別な力を持っているわけでもない。剣も魔法も、中途半端。
だけど、クラウスが「お前が必要だ」と言ってくれたから、俺はここにいる。
「この先に最初の討伐依頼がある村があるらしい。今夜には着けるだろう」
クラウスの言葉に、皆がうなずく。
俺も同じようにうなずいたが、どこか自分が“仲間”としてその輪の中に入っているという実感が薄かった。
……それでも、旅は始まった。
◆
初めての戦闘は、そう遠くなかった。
森を抜ける途中、小型の魔物──ゴブリンの群れに遭遇したのだ。
「来るぞ!構えろ!」
クラウスが剣を抜き、真っ先に前に出る。
ジークがその横を並走し、鋭い剣閃を放つ。
後方ではセリナが詠唱を始め、フィリスがクラウスに支援魔法をかける。
そして俺は──武器を構えていた。
だが、俺の前に魔物が現れる前に、すべてが終わっていた。
「はやっ……」
口をついて出た言葉は、驚きと……ほんの少しの情けなさだった。
「エイル、大丈夫か?」
クラウスが気遣うように振り返る。俺は無理に笑ってうなずいた。
「うん。何もしてないけど、平気」
冗談めかして言ったつもりだったが、誰も笑わなかった。沈黙が、ほんの少しだけ残酷だった。
◆
その夜、焚き火を囲みながら、俺は少し離れた位置に座っていた。
セリナが魔法の復習をしていて、フィリスがその横で小さく祈りを捧げている。ジークは剣を磨いていて、クラウスは地図を広げて次の目的地を確認していた。
そのどれにも、俺は関われなかった。
誰かの役に立ちたかった。けれど、俺には、まだ何もなかった。
「エイル」
クラウスが声をかけてくる。
「……ん?」
「明日も気をつけて行こうな」
笑顔だった。優しい、けれど、どこか遠くなっていくような気がした。
……いや、そう思ってしまう自分が嫌だった。
「わかってるよ」
俺は返す。そして、その夜は静かに過ぎていった。
◆
旅の数日は、平穏だった。
けれど、平穏なほど、俺は自分の「影」を意識した。何もできないこと、周囲がどんどん先に進んでいくこと。
セリナは魔法を組み替えて、即興詠唱までこなしていた。
フィリスは野営中の皆の体調を常に気遣い、神官としての威厳を持っていた。
ジークは魔物を一撃で仕留め、誰よりも冷静だった。
クラウスは──すべてを引き受けるリーダーだった。
そして、俺は……。
◆
ある夜、こっそり焚き火から離れた場所で、一人で剣を振っていた。
誰にも見せないように。
誰にも知られないように。
少しでも、近づけたらと思って。
「……やっぱ、俺には才能なんか──」
そのときだった。
「エイル」
声がして、振り返るとクラウスが立っていた。
「無理するなよ。……ちゃんと、見てるから」
その言葉が、どれだけ優しさで、どれだけ残酷だったか。
俺は──気づいていた。
この旅の中で、俺は一番いらない存在かもしれないって。
だけど、それでも……。
「……ありがとう」
俺はそう言って、もう一度、剣を構えた。
影でもいい。誰かの力にはなりたい。
そう、思っていた。
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