影に咲くもの

影楽

第1話 共に旅立った日

目の前に広がるのは、果ての見えない草原だった。

春の風が若草を揺らし、空は抜けるように高い。

だが、その風の軽やかさとは裏腹に、胸の奥が少しだけ重かった。


 


勇者――クラウス・アーデルハイトは、俺の幼馴染だ。

幼い頃から一緒に剣を振り、同じ夢を語り、

いつかこの国を出て、世界を救う冒険に出ようと約束していた。


そして、その約束は果たされた。


 


「エイル、準備はできたか?」


クラウスが振り返る。

その顔は、昔と変わらぬ明るさと、そして……俺にはない強さを湛えていた。


 


「ああ、いつでも行ける」


俺――エイル・シャドウグレイは、そう返しながら背負った荷物の重みを感じる。

それは旅の道具だけじゃない。俺の不安や焦り、そして──期待も詰まっている。


 


共に旅する仲間たちは、クラウスを中心に集まった精鋭たちだ。

魔法使いの――セリナ・ウィスタリアは王都の魔術学院を首席で卒業した天才少女。

僧侶の――フィリス・ノエルは高名な神官の血を引く癒し手。

そしてクラウスの幼い頃からのライバルでもある――ジーク・オルレアンは、

すでにいくつもの戦場を経験していた歴戦の剣士だ。


 


そんな彼らの中に、俺がいる。


俺は特別な力を持っているわけでもない。剣も魔法も、中途半端。

だけど、クラウスが「お前が必要だ」と言ってくれたから、俺はここにいる。



「この先に最初の討伐依頼がある村があるらしい。今夜には着けるだろう」

 クラウスの言葉に、皆がうなずく。

 俺も同じようにうなずいたが、どこか自分が“仲間”としてその輪の中に入っているという実感が薄かった。


 ……それでも、旅は始まった。



 初めての戦闘は、そう遠くなかった。

 森を抜ける途中、小型の魔物──ゴブリンの群れに遭遇したのだ。


「来るぞ!構えろ!」

 クラウスが剣を抜き、真っ先に前に出る。

 ジークがその横を並走し、鋭い剣閃を放つ。

 後方ではセリナが詠唱を始め、フィリスがクラウスに支援魔法をかける。


 そして俺は──武器を構えていた。


 だが、俺の前に魔物が現れる前に、すべてが終わっていた。


「はやっ……」


 口をついて出た言葉は、驚きと……ほんの少しの情けなさだった。


「エイル、大丈夫か?」

 クラウスが気遣うように振り返る。俺は無理に笑ってうなずいた。


「うん。何もしてないけど、平気」


 冗談めかして言ったつもりだったが、誰も笑わなかった。沈黙が、ほんの少しだけ残酷だった。



 その夜、焚き火を囲みながら、俺は少し離れた位置に座っていた。

 セリナが魔法の復習をしていて、フィリスがその横で小さく祈りを捧げている。ジークは剣を磨いていて、クラウスは地図を広げて次の目的地を確認していた。


 そのどれにも、俺は関われなかった。


 誰かの役に立ちたかった。けれど、俺には、まだ何もなかった。


「エイル」

 クラウスが声をかけてくる。


「……ん?」


「明日も気をつけて行こうな」


 笑顔だった。優しい、けれど、どこか遠くなっていくような気がした。

 ……いや、そう思ってしまう自分が嫌だった。


「わかってるよ」


 俺は返す。そして、その夜は静かに過ぎていった。



 旅の数日は、平穏だった。

 けれど、平穏なほど、俺は自分の「影」を意識した。何もできないこと、周囲がどんどん先に進んでいくこと。


 セリナは魔法を組み替えて、即興詠唱までこなしていた。

 フィリスは野営中の皆の体調を常に気遣い、神官としての威厳を持っていた。

 ジークは魔物を一撃で仕留め、誰よりも冷静だった。


 クラウスは──すべてを引き受けるリーダーだった。


 そして、俺は……。



 ある夜、こっそり焚き火から離れた場所で、一人で剣を振っていた。


 誰にも見せないように。

 誰にも知られないように。


 少しでも、近づけたらと思って。


「……やっぱ、俺には才能なんか──」


 そのときだった。


「エイル」

 声がして、振り返るとクラウスが立っていた。


「無理するなよ。……ちゃんと、見てるから」


 その言葉が、どれだけ優しさで、どれだけ残酷だったか。


 俺は──気づいていた。

 この旅の中で、俺は一番いらない存在かもしれないって。


 だけど、それでも……。


「……ありがとう」


 俺はそう言って、もう一度、剣を構えた。


 影でもいい。誰かの力にはなりたい。

 そう、思っていた。

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