第26話
# 異界の日常 — 目覚める朝
「霧の谷」の静寂の中、あなたは穏やかに目を覚ました。窓から差し込む朝日が、部屋の木の壁を黄金色に染めている。昨夜の瞑想で得たレインの記憶が、夢と現実の境界線のように頭の中で漂っていた。
起き上がると、体が驚くほど軽い。まるで昨夜の瞑想によって、山本健太とレイン・ファロスの二つの意識がより調和したかのよう。窓に近づき、外を眺めると、夜の間濃くかかっていた霧が薄れ始め、朝の光が樹上の家々を照らしていた。
「霧の谷」の全容が少しずつ見えてくる。巨大な樹木が連なり、それらの幹や太い枝に直接建てられた木造の家々。家と家を結ぶ細い吊り橋。地上から霧の中に伸びる螺旋状の階段。どれも自然と調和するように作られており、外部からは容易に発見できないだろう。
ローガンとの訓練はまだ数時間後。朝の静けさを利用して、この不思議な場所を探索してみようとあなたは決めた。
部屋を出ると、木の幹に沿って作られた細い通路が続いている。誰もいないようだ。あなたは慎重に足を進め、まずは周囲の様子を確認することにした。
通路は何度か分岐していたが、あなたは直感に従って進んでいった。驚くべきことに、レインの記憶からくる直感なのか、あるいは異世界での「空の涙」の導きなのか、道に迷う感覚はなかった。
小さな吊り橋を渡り、隣の大樹に移ると、そこには開けた空間があった。小さな広場のような場所で、中央には湧き水が流れる泉があり、周囲には石のベンチが配置されていた。
「水の庭」
その名前が自然とあなたの頭に浮かんだ。レインの記憶ではないはずだが、どこかで聞いたような気がする。泉に近づくと、水面に驚くべき透明度の水が静かに波打っていた。水中には小さな青い光が漂っており、昨夜見た青い灯りと同じもののように見える。
好奇心に駆られて、あなたは泉の水に指を浸してみた。冷たいが、不思議と心地よい感触。指を引き上げると、水滴が指から離れずに宙に浮き、小さな青い光に変わった。
「これは...」
あなたは驚いて息を呑んだ。その光はしばらく指の周りを舞ってから、ゆっくりと上昇し、他の青い灯りと合流した。
「魔力の結晶です」
突然の声に振り返ると、年配の女性が立っていた。白髪を長く伸ばし、青みがかった灰色の長い衣を纏っている。
「おはようございます、レイン様。私はシィラ。この谷の世話人です」彼女は穏やかに微笑んだ。「早くから探索されるとは、好奇心旺盛ですね」
「おはようございます」あなたは挨拶を返した。「この青い光は...魔力の結晶なのですか?」
シィラは泉に近づき、優雅に手を水に浸した。彼女の手からも青い光が生まれ、空中へと舞い上がる。
「この谷は特別な場所。世界の魔力が濃縮される数少ない場所の一つです。この泉はその中心。泉の水に触れると、あなたの中の魔力と共鳴して、このような形で現れるのです」
「他の人も同じように...?」
「いいえ」彼女は首を横に振った。「魔力を持つ者にしか反応しません。しかも、あなたのように強く反応するのは珍しい。『空の涙』の力を持つ証でしょう」
あなたはペンダントに手を触れた。昨夜の瞑想から、それがただの装飾品ではなく、レインとしての力の象徴であることを理解していた。
「この谷について、もっと教えていただけますか?」あなたは尋ねた。
シィラは頷き、石のベンチへとあなたを導いた。二人が座ると、彼女は静かに語り始めた。
「『霧の谷』は何千年も前から存在する聖域です。かつてこの地に降り立った最初の『空の涙』の使い手によって見出され、以来、王族の秘密の避難所として使われてきました」
彼女は周囲の木々を見上げた。
「これらの樹は普通の樹ではありません。『世界樹の子』と呼ばれ、魔力を吸収し、育みます。その樹に宿を設けることで、魔力の流れを感じ、制御する訓練が容易になるのです」
「マリアンナ様もここで訓練したのですか?」
「ええ」シィラは懐かしそうに微笑んだ。「彼女が幼い頃から。彼女とエリネア姉妹は、二人でここに来ていました。二人とも優れた才能を持っていましたが...」
彼女の表情が曇った。
「二人は次第に異なる道を歩み始めました。エリネアは力を支配のために使おうとし、マリアンナは自由と調和のために」
「その違いはどこから生まれたのでしょう?」あなたは興味を持って尋ねた。
シィラは長く考え込んだ後、答えた。
「私の見解では...エリネアは『力』を求め、マリアンナは『知恵』を求めたのです。エリネアは『空の涙』の力を使って何ができるかに執着し、マリアンナはなぜその力があるのかを理解しようとした」
その言葉に、あなたは深く頷いた。プログラマーとしての経験からも、ただ技術を使うだけでなく、その仕組みを理解することの重要性を知っている。
「そして今、あなたが現れました」シィラは不思議そうにあなたを見つめた。「二つの世界の魂を持つ者。これは預言にあった通りです」
「預言について、もっと詳しく知りたいです」あなたは言った。
「古い預言は完全な形では伝わっていません」シィラは答えた。「断片的な言葉が残るのみ。『二つの世界の間に立つ者が、空の涙を継ぎ、王国の真の姿を取り戻す』。そして『知恵と力が一つになるとき、世界の扉が開かれる』」
「世界の扉...」あなたは繰り返した。
「その意味は誰にもわかりません」シィラは肩をすくめた。「預言とはそういうものです。時が来れば明らかになるでしょう」
彼女は立ち上がり、あなたに手を差し出した。
「さあ、他の場所もご案内しましょう。訓練が始まる前に、『霧の谷』を知ることは重要です」
あなたは彼女の案内で谷の主要な場所を訪れた。瞑想のための「静寂の間」、魔法訓練用の「鏡の庭」、そして古い文書が保管されている「知恵の書庫」。どの場所も魔力で満たされていて、「空の涙」のペンダントが常に温かく脈打っていた。
最後に彼女は特別な場所へとあなたを導いた。巨大な樹の最上部にある、開放的な展望台のような場所だ。
「これが『空の眺望』」シィラは説明した。「ここからは谷全体を見渡せます」
あなたは息を呑んだ。霧に覆われた谷の風景が一望でき、遠くには山々が連なり、さらにその向こうには王都らしき影が見える。霧が織りなす模様は、まるで流れる川のよう。
「ここは『空の涙』の力を最大限に発揮できる場所です」シィラは言った。「マリアンナ様も、重要な決断を下すときはここに来ていました」
「なぜ『空の涙』と呼ばれるのですか?」あなたは長い間抱いていた疑問を口にした。「このペンダントの力の由来は?」
シィラは空を見上げた。
「古の伝承によれば、最初の王が天を仰ぎ見たとき、空から一滴の涙が落ちてきた。その涙は固まって青い宝石となり、王に特別な力を与えたと言われています。それが『空の涙』の始まりです」
彼女はあなたのペンダントを指さした。
「その中の宝石は、オリジナルの『空の涙』から切り出された一部。王族の血を引く者だけが、その力を引き出せます」
「そして、私はマリアンナ様の...」
「息子」シィラは頷いた。「そして、あなたは二つの世界の魂を持つ。これは前例のないことです」
静かな朝の光の中、あなたは谷を見渡しながら、自分の立場と使命について考えた。山本健太としての論理的思考と、レイン・ファロスとしての魔法の才能。それらが融合した時、どんな力が生まれるのか。
「今日からの訓練で、その一端が見えるでしょう」シィラは微笑んだ。「ローガンがあなたを待っています」
あなたは頷いた。朝の探索で得た知識と、昨夜の瞑想で目覚めた感覚を携えて、新たな訓練に挑む準備は整った。魔法のアルゴリズムという革新的なアプローチで、「空の涙」の力の秘密を解き明かし、父ケインを救出する道を切り拓く。二つの世界の間に立つ者として。
「行きましょう」
あなたはシィラに礼を言い、訓練場へと向かった。朝の霧が晴れるように、あなたの中の迷いも少しずつ晴れていった。
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