呪禍


 食い入るように浮かび上がる文字に視線を向ける鈴の前、さらに文字を刻み込んでいく。


―――


・場面六/重要度高

【接触把握による鈴さんの記憶/二回目】

 ──あたたかな多陽の陽射し。吹き抜ける風が草原を波のように揺らし、鼻先を草花がくすぐる。視線の先には仲睦まじく手を振る二人の人物。頭上では狸耳がそよ風に揺れるように動く。そこへ駆け寄る一人の女性。鈴だ。鈴は満面の笑みを浮かべ、「お待たせ、お父さん、お母さん。今日、いい天気だね」と言って、くるりと軽やかに回った。

【見解】

 これは呪禍となる前のあなたの記憶。僕があなたをペットだと考えたのは、「鼻先を草花がくすぐる」という感触。これは人であればその場にうつ伏せで寝ていることになりそうですが、そうとなればかなりの不審者だ。だが両親も鈴さんもあなたに視線を向けていない。たとえばうつ伏せでなくとも四つん這いなどの可能性もありますが、なんにしても不審であり視線は向けるはず。つまりあなたは、鼻先が草花に当たる位置にあってもおかしくない存在だということになる。火事の現場にもいて、それより以前も鈴さんの家族と一緒に草原へ行く存在。ペット──と考えるのが妥当だと思えます。


・場面七/重要度高

【少女の霊に襲われた場面】

 相変わら少女の亡霊は僕の首を絞め上げ、接触把握による頭痛など感じられないほどに苦しい。息も血流も滞り、確実な死が忍び寄る。

「鷹臣さんっ!」

 薄れゆく意識の中、響いた鈴の声。次の瞬間、首を絞め上げる力がふっと弱まり、その場に倒れ込んだ。見上げた視線の先、少女達の姿が霧のように溶けていく。消える間際、少女が泣いていたように見えたのは気のせい、だろうか。

【見解】

 なぜ鈴さんが駆けつけたことで少女達の霊が消えたのか。これはゲームでも漫画でもなく、いわゆる主人公補正など存在しない現実の世界。首を絞められ、飴をねじ込まれ、死ぬ運命のはずが、鈴さんが駆けつけたことで回避されたことには違和感しかない。これは判断が難しいところですが、おそらくあなたは祝が成長することを知ってはいるが、その条件を明確には知らないのではないでしょうか。なのでひとまず少女達の霊に僕を襲わせ、死ぬギリギリまで追い詰めてみた──といったところでしょうか。


―――


「ふふ」


 ここまでじっと文字起こしによる文章を見つめていた鈴が、不意に笑った。その笑顔はやはり僕の見知った鈴の顔ではなく、ひたすらに悪意を孕んだ厭な笑顔。


「いつまでこの茶番を続けるの? ちょっと飽きちゃった」


 明らかに口調が変わった鈴の視線が静寂を縫う。僕の思惑に気付いていたうえでの沈黙だった──ということだろうか。


「茶番とは?」


 そう問いかけながら、眼鏡をかちゃりと上げる。その耳元を、楽しそうにくすくすと笑う鈴の声が撫でる。


「時間稼ぎでしょう?」

「なぜ、そう思うのですか?」

「だってあなたの推理、長々と私に披露する意味がないもの」

「意味がないと断じるその理由、説明してもらっても?」

「まだ時間稼ぎするの?」


 嘲笑うかのように鈴の口角が上がる。手詰まりだ。だが何を思ったのか鈴は、「まぁいいわ、付き合ってあげる」と言って言葉を続けた。


「私が呪禍だった場合、『覗いた鈴の記憶は別の存在の記憶だった。それは呪禍の記憶だ』とかだけで事足りない? それにあなたが『祓うのはあなたです。鈴さん』って言ったあと、私の体からは禍煙かえんが滲み出したんだからもう確定じゃない。あの時はまさかこんなに早く看破されるなんて思ってなかったから、驚いて禍煙が漏れちゃった。ああ、禍煙は呪禍の恨みが質量を持って可視化された黒い霧のことよ」


 鈴の体からじわりと黒い霧──禍煙が立ち昇る。


「それにしても残念だわぁ。なんにも知らないあなたを突然がぶり──って食べたかったのに。なんならあなたとちょっといい雰囲気になって、接陰せついんの最中に……なんてのも良かったわよね」

「接陰とは?」

「あなたの生殖器を私の生殖器に入れることよ。わかる?」


 嘲笑が浮かぶまま、鈴はさらりと続ける。


「付け火当日にアリバイがなかった者を殺していたのは事実よ。鈴が私の中でやめてって言うから、仕方なく殺す対象を絞ったの。だって私、鈴が大好きだったから。悲しませるの嫌じゃない? でも付け火の犯人を殺すことと、迷い人を食べることは譲れないの。私の存在理由だから」

「やはり鈴さんの魂はあなたの中で生きているんですね」

「ええ、もちろん。私の魂と繋がる形でね。……でも、あなたの想像と少し違う部分があるわ」


 鈴の目が細まり、薄ら笑う。


「鈴は火事で両親と私を失って、自分も死のうとしたの。でも死なせたくなくて……、私が鈴の体に入ったのよ。だからある意味では、私が鈴を助けたとも言えるわね。あ、言い忘れてたけど──私は鈴が飼っていたペットの狸なの。コゲマルって名前もあるのよ。焦げ茶色でまん丸だったから。火事で丸焦げになっちゃったからコゲマルじゃないわよ?」


 再び鈴の口角が厭らしく上がり、「もう少し時間稼ぎに付き合った方がいい?」と笑う。こちらの思惑に気付いたうえでの、底意地の悪い笑顔。


「単刀直入に言います。鈴さんの体から出てください」


 正直これ以上時間稼ぎをしたところで、呪禍だけを消滅させる方法が分かるわけでもない。


「いやよ。出たらその瞬間に私の事、殺すでしょ? あなたは私が鈴の体に入っている間は手を出せない」

「それなら──仕方ないですね。今すぐあなたを消します」

「え……?」


 手に禍祓いの力を滲ませ、一歩、鈴に向けて足を出す。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 本気なの? 私を消せば、鈴も一緒に──」

「それ以外に方法がありませんからね。とても心苦しいのですが、残念です」

「じょ、冗談よね? なんの罪もない鈴を殺すってことなのよ?」

「あなたを放っておけば、なんの罪もない人たちが大勢死ぬ。申し訳ないですが、鈴さんには犠牲になってもらうしかありません。僕はトロッコ問題で多数の命を優先するタイプですので」

「ト、トロッコ問題……?」

「『ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?』という形の設問です。功利主義と義務論の対立を扱った倫理学上の問題ですね。簡単な話じゃないですか。一人の命で百人が助かるなら、百人を助ける。逆に聞きたいのですが、一人を助ける意味、ありますか?」


 眼鏡をかちゃりと上げ、さらに一歩、鈴に向けて足を踏み出す。鈴の顔からは余裕の笑みが消え、これならばもう一押しで流れを変えられる。

 思惑が露見しないよう表情を崩さぬまま鈴を見据え、手を伸ばす。このままいけば、僕は鈴の魂を消滅させてしまうことになる。だが──。それ以外に、今この場で自身の命を守る術はない。。

 伸ばした手が震えそうになるのをなんとか堪える。あと少し、あともう少しで鈴に手が触れる、その刹那──


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 鈴の顔がぐりんと上を向き、耳を劈くような叫び声を上げた。

 大きく開いた口からはずるりと──が這い出る。疑うまでもなく呪禍だ。黒い影が蠢くようにして、地下室から逃げ出していく。


「辰星さんっ! 鈴さんのことを頼みます!」


 鈴を辰星に託し、呪禍を追って走る。呪禍が這い出したあの瞬間、消し去れなかったことが悔やまれる。あまりに動きが速く、反応しきれなかった。運動神経に恵まれてはいない自分を、今ばかりは呪いたくなる。


(逃がすわけにはいかない!)


 転がるように階段へ飛び込み、周囲を見渡す。だがすでにそこに呪禍の姿はない。逃がしてしまった事実に強く歯噛みしながらも、すぐに足を動かす。呪禍を放っておけば、また新たな犠牲者が生まれるだろう。それだけは決して許してはならない。

 階段を駆け上がり、廊下を駆け抜け、玄関から外へと飛び出し、冷たい外気が肌を打ったその刹那──


 眼前に現れた異形。


 呪禍。


 黒い霧を濃密に滲ませながら、じっとこちらを見据えるその姿には、もはやかつての愛らしい狸の面影など欠片も残されていない。全身は膨れ上がり、体高は二メートルほど。歪んだ顔はもはや獣というより鬼。目元から口元にかけては裂けたような笑みが貼りつき、毛皮は煤けたように黒ずんでいる。そうしてその背からは、九つの尻尾が扇のように広がっていた。

 九尾の狸──

 といったところだろうか。

 尾の一本一本には、苦しげに歪む「人の顔」が浮かんでいた。どの顔も叫びをあげる寸前のような恐怖と苦悶を湛え、その全てが無音で口を開け閉めしている。まるで餌を求める魚、だ。おそらく呪禍がこれまでに食らってきた人間たちの魂。泣き叫ぶことすら許されず、永遠に体の一部として刻まれ続ける地獄の一片。


 まさしく禍そのもの。


 災厄の化身。


「あなたの魂を食べるの、諦めたわけじゃないわ」


 呪禍の口元が、ゆっくりと歪む。その邪悪な笑みは、どこまでも冷えた底知れぬ闇を孕んでいた。


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