第16話 日常の波紋
シルバーマーケットの朝は、ガス灯の薄光と屋台の煙で霞んでいた。星屑亭の裏口から、深山祐介はいつものルーティンを終えて出てきた。
筋トレで汗をかき、シルバーリーフ川沿いの石畳を軽快に走った後、簡素な麻シャツに着替える。無精髭を撫で、釵を腰に確認すると、宿のロビーへ向かった。いつもなら足立美幸がハドソンの淹れたハーブティーを飲みながら待っているが、今日は彼女の姿がない。
「まだ寝てるのか?」
深山はロビーの木製テーブルに置かれた新聞を手に取り、ソファに腰を下ろす。『インペリアル・クロニクル』の見出しが目に入る。
**「皇太子派、クロスロード政策に修正案提出へ — ‘武力によらぬ安定’を掲げ」**
記事によると、若手貴族を中心とした皇太子派が、クロスロード自治州への影響力回復を狙い、通商協定案と人的交流促進策を起草中だ。
保守派からは「軟弱外交」と批判される一方、民間貴族階層からは歓迎の声が上がっている。深山は眉をひそめ、帝国の政治がクロスロードにどう影響するかを考える。武道大会の背後に、こんな動きがあるのか。
次に『リバティ・プレス』を手に取る。
**「鉄橋の綱引き:帝国派議員、連合投票に再び拒否権発動」**
自治州議会での予算案を巡り、グランツェル帝国派議員団が合衆国派主導の「プレイヤー支援予算案」に拒否権を行使。市民団体とギルド代表が抗議声明を発表したとある。
深山は鼻を鳴らす。クロスロードの政治は、帝国と合衆国の綱引きで軋んでいる。使徒である自分たちへの支援も、こんな事情で左右されるのか。
最後に『クロスロード・ガゼット』を広げるが………見出しに思わず疲れを覚える。
**「戦争勃発!? アイアンブリッジを揺るがす‘大福戦争’! こし餡か、つぶ餡か——」**
記事は、クロスロードで巻き起こる「大福ブーム」を特集している。プレイヤーが持ち込んだもち米と餡の組み合わせが、ゴールデンスターやドライフルーツに代わって人気を博し、こし餡派(通称:こし騎士団)とつぶ餡派(通称:つぶ魂会)の対立が話題だ。
吟遊詩人シオンの「こし餡は高貴、なめらかな舌触りが至高」や、冒険者レンの「つぶ餡こそ魂、歯ごたえの感動が違う」といったコメントが引用され、加代子食堂の「高級こし餡大福」やつぶ餡大福の屋台の行列が紹介されている。記者のレビューでは、こし餡は上品で老人や詩人に人気、つぶ餡はワイルドで冒険者向きと評し、次週は「白あん派」を特集予定と締めくくられている。
「大福戦争だと? くだらねえ……」
深山は新聞を畳み、頭を振る。クロスロードの住民がこんな話題で盛り上がれるのは平和の証か、ジャネルの祭壇のような闇からの逃避か。
その時、星屑亭のオーナー、ハドソンが二階から降りてきた。白髪を丁寧に梳いた老紳士は、穏やかな微笑を浮かべる。
「深山様、足立様は赤星の輝きを浴びた模様で、本日はお休みとのことです」
ハドソンの意味深な言葉に、深山が首をかしげる。
「赤星? なんだそれ」
ロビーの隅でハーブティーを飲んでいた獣人の女性冒険者がクスクス笑い、口を開く。
「ハドソンさん、相変わらず詩的ね。赤星は女の子の生理が始まったって意味よ。‘輝きを浴びた’は、キツいってこと。美幸ちゃん、今日はしんどいんじゃない?」
深山は一瞬固まり、無言で頷く。傭兵時代、戦場で女性兵士とも共闘したが、こういう話は慣れていない。
「そうか。なら、今日は俺一人でクエスト受ける」
深山は立ち上がり、シルバーマーケットへ向かう。朝の空気は冷たく、ガス灯が消え始めた通りは屋台の煙で活気づいていた。
市場の屋台で、深山は朝食に「タルス」を選ぶ。大きなクラッカーにスライスソーセージ、チーズ、玉ねぎ、ピクルス、スパイスを挟んだサンドイッチだ。屋台のハーフリング店主が「冒険者に人気だよ!」と笑いながら手渡す。深山は一口かじり、シャキッとした野菜とスパイスの刺激を味わう。カラム水で喉を潤し、冒険者ギルドへ足を進めた。
ギルドのホールは、いつものクエスト争奪戦でカオスだった。掲示板に冒険者たちが殺到し、護衛や魔獣退治の依頼を奪い合う声が響く。
「おい、その交易路の護衛、俺が先に見つけた!」
「魔獣退治、仲間募集! 前衛二人、ヒーラー急募!」
寝坊したらしい冒険者グループが、依頼の減った掲示板を見て肩を落とし、仲間内で「遅刻したやつが悪い!」と揉めている。深山は群衆を冷静に観察し、ソフィアのカウンターへ向かう。彼女は書類を整理しながら、丁重に微笑む。
「深山様、おはようございます。足立様はご一緒でないのですか?」
「今日は休みだ。俺一人でクエストを受けたい」
ソフィアは視線で美幸の姿を探しながら、深山に行方を聞く。
深山が一人でと言うと、ソフィアは手元の帳簿を開く。
「政庁からの業務委託で、午前は大通り清掃、午後は交通整理はいかがでしょう? 報酬は控えめですが、カウント50までの冒険者向けで、昼食が支給されます」
ソフィアが帳簿を開き、深山に二つの仕事を提案する。
大通り清掃は、アイアンブリッジの大通りを清掃する仕事だ。馬車の往来で溜まる家畜の糞やゴミを回収する。交通整理は、大通りの辻で手旗信号を使い、馬車やスチームマジックのカートの流れを管理する。深山は一瞬考える。何事も経験だ。
「受ける。手続きを頼む」
ソフィアがギルドタグと清掃用の道具(箒、ちりとり、麻袋)を渡し、交通整理用の手旗を用意する。
「清掃はシルバーマーケットエリアです。昼食は現地で配給されます。交通整理はターミナル直結の大通りで、貨物列車到着時は特に忙しいのでご注意を」
深山は頷き、ギルドを出る。シルバーマーケットの大通りは、馬車の車輪が石畳を軋ませ、商人や冒険者の声が響く。
清掃エリアには、既に十数人の冒険者が集まっていた。多くは15~17歳の若い現地人で、粗末な麻服に簡素な装備だ。深山が箒を手にエリアに立つと、クロスロード人の少年が話しかけてくる。
「おっ、使徒さんだ! ジャネルの祭壇、すげえ活躍だったってな! 俺、トム、よろしく!」
少年の浅黒い顔に笑みが広がる。深山は軽く頷き、箒でゴミを掃き始める。
「トム、こんな仕事、よく受けるな。報酬安いだろ」
トムが麻袋に糞を詰めながら答える。
「この世界じゃ、15で孤児院を出なきゃなんねえ。大抵の孤児は読み書きや計算できねえし、商家に伝手もねえ。冒険者になるしかねえけど、装備買う金がねえから、こうやって日雇いで稼いでるんだ」
他の若い冒険者も頷き、口々に言う。
「魔獣退治とか護衛クエストは、装備揃ったやつに取られちまう」
「清掃なら報酬だけじゃなくて、昼飯も出るから一食節約できる」
深山は無言でゴミを掃く。クロスロードの現地人の厳しい現実が、胸に刺さる。飛鳥の父親探しや武道大会の目標が、自分だけのものではないことを思い出す。
昼になり、政庁のスタッフが昼食を配給する。ライ麦パン二切れと、豆と野菜のスープだ。深山はトムたちと石畳に座り、パンをかじる。スープは薄味だが、冷えた体を温める。トムが笑う。
「使徒さん、こんな粗末な飯でも平気なんだな! やっぱ違うぜ!」
「戦場じゃ、こんな飯すら贅沢だ」
深山の言葉に、トムたちが目を丸くする。
清掃業務を終えて昼食の皿を返せば現地解散だ。午後の交通整理まで時間があったため、深山はシルバーマーケットの青空市を散策する。
屋台や露店が並び、スパイス、革製品、錬金術の薬が色とりどりに並ぶ。錬金術師の店で、シャンプーと石鹸を見つける。公衆浴場のものに似ていると言うと、店主の老ドワーフが笑う。
「冒険者ギギルドが若手の練習品をまとめて買い取ってるんだ。浴場のシャンプーやタオルも、見習い製だよ。安くて質も悪かねえ」
深山はふと美幸の「赤星」を思い出し、店主に尋ねる。
「女の生理に効くもんは何かあるか?」
老ドワーフが棚からハーブティーとアロマの小瓶を取り出す。
「カモミールとラベンダーのブレンドだ。痛みを和らげ、気分も落ち着く。見習い製だが、効き目は保証するぜ」
深山はハーブティーとアロマを買い、仕立て屋の露店で見習い製の麻タオルも購入する。星屑亭に戻り、ハドソンに美幸の部屋への立ち入りを相談する。
「深山様、足立様へのお心遣い、素晴らしいですな。どうぞ、部屋の前までご案内します」
相談を受けたハドソンが微笑み、階段を案内する。深山は美幸の部屋の前でノックする。
「美幸、俺だ。入っていいか?」
ドアがゆっくり開き、青い顔の美幸が現れる。毛布を羽織り、弱々しい笑みを浮かべる。
「深山さん……ごめん、今日、しんどくて……」
深山はハーブティー、アロマ、タオルを手渡す。
「体にいいらしい。ゆっくり休め。午後の仕事、行ってくる」
美幸が目を丸くし、受け取る。
「え、うそ、わざわざ……ありがとう、深山さん!」
深山はそそくさと部屋を出て、ターミナル直結の大通りへ向かう。美幸の笑顔が、胸に小さく残る。
午後の交通整理は、アイアンブリッジの交易ハブであるターミナル直結の大通りで行われた。帝国と合衆国の馬車、スチームマジックのカートや蒸気車に貨物車がひっきりなしに往来し、埃と油の匂いが漂う。深山は手旗信号を手に、辻に立つ。
貨物列車が到着する時間帯は特に忙しく、馬車の流れを止めたり進めたりする信号が絶えない。
作業中、貴族の馬車と合衆国の商人の馬車が同時に交差点に突っ込み、互いを優先させろと叫び合う。
貴族の御者が「帝国の名誉を汚すな!」と喚き、商人が「時間は金だ、どけ!」と吠える。深山が手旗を振り、冷静に言う。
「順番を守れ。次はお前、続いてお前だ」
深山が仲裁にはいるが、二人とも文句を垂れる。
「聞こえなかったか? 順番を守れと俺は言ったぞ?」
深山が一瞬殺気を込めて睨むと、貴族は「急用を思い出した」と馬車に戻り、商人は目を逸らして「まあ、いい」と譲る。たまたま現場を通りかかったトムが遠くから見ていて、親指を立てる。
「使徒さん、すげえ! 貴族もビビってたぜ!」
深山は鼻を鳴らし、信号を続ける。列車の通過が終わり、夕暮れのガス灯が灯る頃、仕事は無事に終了した。
冒険者ギルドに戻り、ソフィアに報告する。清掃と交通整理の報酬として、シルバークローナ1枚とカッパークローナ10枚が渡される。深山のクエストカウンターが輝き、「11/1000」に更新される。ソフィアが微笑む。
「深山様、地味な仕事でも真剣に取り組む姿勢、素晴らしいです。足立様にもよろしくお伝えください」
冒険者ギルドでクエストの手続きを終えた深山は市場で美幸の分の夕食を買い、星屑亭に戻る。ロビーでは、美幸がハーブティーを飲みながらソファに座っていた。顔色は回復し、笑顔が戻っている。
「深山さん、おかえり! ハーブティー、めっちゃ効いたよ! 夕食まで買ってきてくれて、ほんとありがとう!」
美幸がゴールデンスターを手に、目を輝かせる。深山はソファに座り、カラム水を開ける。
「体調戻ったならいい。クエストは地味だったが、悪くなかった」
美幸がテーブルに『クロスロード・ガゼット』の夕刊を広げる。
「見て見て! グレゴールのジャネル祭壇の記事、載ってるよ! セリナさんの取材、めっちゃかっこよく書いてくれてる!」
記事には、深山たちの活躍が「クロスロードの希望」として紹介され、スピグラの写真が掲載されている。深山、美幸、真島、園田、リナ、ミーナが笑顔で写り、食堂の賑わいが伝わる。美幸が写真を指さす。
「この時の宴、楽しかったよね! 真島さんのMVP宣言、笑ったなあ」
美幸が新聞を抱きしながら、取材の時を思い出している。深山がゴールデンスターをかじり、横目で美幸の姿を笑みを漏らす。
「アイツ、調子に乗るからな。園田が締めてたが」
二人は夕食を食べながら、記事を読み、笑い合う。シルバーリーフ川の水音が窓の外で響き、星屑亭のロビーは温かな灯に包まれる。
ジャネルの呪縛は一旦消えたが、黒蛇団の影と武道大会の試練が、クロスロードの未来を待ち受ける。深山は釵を握り、美幸は短杖を手に、静かに次の戦いへ思いを馳せる。
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