クロノスの審判

小西一誠

プロローグ

プロローグ 




   0



「優(ゆう)希(き)は今、どんな状態ですか?話をさせてください。一緒に暮らしたいんです」

「わかってください。それはできないんです」

「どうしてですか!あの子は私の子なんですよ!早く返して、この泥棒!」

 三島(みしま)菜々子(ななこ)は、娘の優希ちゃんを返してほしいと発狂する。手を振るわせながら涙をハンカチで拭く彼女と、それに向かい合うように座る俺は、はたから見れば、俺の方が悪人に映るだろうか。しかし、この手の震えはアルコール依存からくるものであると、俺は知っている。

「ご主人様との関係は切れましたか?」

「もちろんです。あんな人のこと、もう好きではないですし、とっくに別れています」

「そうですか」

 俺は胸の内から沸々と湧き上がる怒りを必死に抑え込み、なおも優しい口調を保つのに努めた。先ほど、彼女のスマートフォンの待ち受け画面に、旦那とのツーショット写真が写っていたのを俺は見逃していない。アルコールの臭いをふんだんに漂わせ、平気で嘘をつく彼女に、優希ちゃんを返すわけにはいかない。

「まずは、優希ちゃんの気持ちが大切です。少しずつお家にお返しできるように、我々も努めていますので」

 俺の発言が気に食わなかったのか、今度は顔を真っ赤に染め上げて、

「なにを努めているっていうの?勝手に娘を連れ出しておいて偉そうに!こんなことが許されると思っているの!」

 と、それはまあ見事に怒鳴り散らした。ついでに「あなた、笹川(ささかわ)隆也(たかや)っていうのね。SNSに載せてやるわ!」と俺の名札に目をつけ、今日の情報化社会ではほぼ脅迫に該当するであろう言葉を捨て台詞のように吐いた。

 まずは自分が努めろよと言いたい気持ちをまたも押し込み、「はい、申し訳ございません」と返す。相手が感情的なときこそ、こちらは冷静にならなければならない。向こうのペースに飲まれるなと、自分に言い聞かす。

「もう、どうしてこんなことになるの?」

 三島は頭を抱えたまま、テーブルに突っ伏した。激怒していたと思ったら、今度は涙腺が崩壊したらしい。ころころと感情が変わる情緒不安定さも、この仕事をしていればよく見る光景だ。

「あんな男と結婚するんじゃなかった。あのときに戻りたい」

 はっとした。この人もだ。自分とは違う人物を見ていたのに、急に思い出される懐かしい感覚。どうにでもなれ、そう思って自分の理想を掲げ、身勝手な行動に走る。三島は、たぶんそうなる。俺は預言者ではないし、占い師でもない。それでもこれは断言できる。このまま放置していては、この女はとんでもないことをしでかすぞと。

「三島さん、それは無理です。甘えないでください」

「・・・・・・は?」

 またも彼女の怒りのスイッチを入れてしまったと思ったが、構わず続ける。

「あのときに戻りたいだなんて思ったって、戻れませんし、皆さん同じようにおっしゃいますが、きっと戻れたところでろくな人生になりません。変えるなら過去ではなく、今を変えてください。本当に優希ちゃんと一緒に暮らしたいなら、あなたの性格や考え、価値観を変えてください。そういう根っこの部分が変わらないことには、また同じことを繰り返して、あのときああしてれば、あんなことがなければ、あの人が悪いと、馬鹿の一つ覚えみたいにただただ繰り返し嘆くだけです」

「あんた、なに人に向かっ」

「あなたのために言ってるんですよ!」

 俺が立ち上がると、座っていた椅子が反動で倒れる。バンと大きな音を立てて豪快に立ち上がった俺を見て流石に驚いたのか、三島は口をぽかんと開けたまま、放心している。

「優希ちゃんと暮らしたいんでしょ?それなら、今を変えて未来を作らなきゃ。後悔したって仕方ない。正しい選択をするんです。そのために考えてください。なにをどうすることが最善なのかを考えるんです。優希ちゃん、きっとそれを待ち望んでいますよ」

 言ってやった。たぶん、これはあとで上司の桜井(さくらい)さんにやりすぎだと注意を受けるだろう。横目に桜井さんや他の職員がこちらをちらちらと見ているのが映る。仕方ない。時すでに遅しだ。

 三島は千鳥足とは異なる、ふらふらとした足取りで去っていった。言葉がどれほど届いただろうか。声は荒げてしまったが、間違ったことは言っていない。なにしろ実体験に基づく発言なのだから。

 彼女が変わることを心から願うばかりだ。




   1



「ボールそっち行った!」

「カバーカバー!」

「パス回せ!」

 サッカー部の生徒が校庭をかけ回っている。

「あと一周!」

「ペース上げろ!」

 陸上部のコーチの怒号が響き渡る。

 十六時を回った学校の校庭は、運動部の生徒で賑わっている。

 上階からはどこかで聞いたことのあるようなクラシックが流れている。曲名はわからない。ベートーヴェンとかモーツァルトあたりの曲だろう。いや、たぶんショパンだ。吹奏楽部の生徒も大会が近いのか、最近熱心だ。

 俺は窓際に置かれた机の上に尻を乗せ、校庭と朱色に染まる空を眺めていた。

「加藤(かとう)さんが可哀想だろ」

 声のした方に目を向けると、葉山(はやま)悟(さとる)が教室の扉に寄りかかっている。インテリを彷彿とさせる格好いい眼鏡に夕焼けが反射している姿はなかなかに滑稽だ。

「お前、それ眩しくないの?」

「・・・・・・。どちらかといえば眩しい」

 数秒の沈黙の間、二人で顔を見合わせ、ぶっと吹き出して笑う。悟とは一年生から三年間ずっと同じクラスだ。一学年六クラスある中で、三年間ずっと同じクラスだなんて随分と珍しいことだ。腐れ縁というやつだろうか。外見はいかにもガリ勉っぽいので、自分とは生きている世界が違うと思っていたが、話してみると意外にも打ち解けやすい。ドラマやゲームなど、一通り高校生男子の盛り上がる話題には精通しているので、なんだかんだいつも一緒にいる。

「加藤さんって誰?」

「その席、加藤美(み)織(おり)さん。クラスメイトなんだから名前くらい覚えてあげようね、隆也くん」

 悟は隆也の尻を指差すと近付いてくる。

「まだ四月になったばかりだぜ?クラスメイトの名前を覚えていなくても仕方ないだろ」

「一年のときのキャンプ旅行の班のメンバーは?」

「え?うーん、俺と悟とバスケ部の金田(かねだ)と・・・・・・。女子は木村(きむら)、一緒だったっけ?あと、たしかツインテールの・・・・・・」

「加藤さんね」

「あー、うん・・・・・・。え?一年のとき同じクラス?」

「加藤さんかわいそー」

 悟は加藤の椅子に座った。

「お前も座んのかよ」

「僕はちゃんと覚えてるからいいの」

 いったいどういうルールだ。

 春風がふわっと教室に流れ込み、カーテンが揺れる。四月とはいえ、まだ若干の寒さを感じる時期だ。

「あー、いたいた」

 声のした方を振り返ると、廊下に春野(はるの)京子(きょうこ)と中原(なかはら)彩(あや)花(か)が立っていた。背の低い彩花は、大真面目に制服のブレザーのボタンを全部留めて、スカートの丈も膝まで下げている。黒いタイツを穿き、防寒対策はバッチリだ。そこまでするほど寒くなはいと思うのだが。背が高くボーイッシュな見た目の京子は、彼女とは真反対であるゆえに、やたら不良に見える。京子は言葉がきついところがあるため、女子のリーダー格ではあるが、それゆえに心から友達と呼べる女子は彩花くらいしかいない。彩花本人も大人しい性格であるがゆえに、あまり友達は多くないが、京子のことは親友だと思っているらしい。一年生のときに京子が彩花を連れてきたときは、京子のパシリかと思ったが、そういうわけではなかったようだ。一年生のときに二人が同じクラスだったことで打ち解けたようだが、なにがあったのかは知らない。以前に聞いたような気はするが覚えていない。

 隆也と京子は中学が一緒だった。隆也と悟、京子と彩花、それぞれのペアは次第に交わり、そしていつの日か四人で行動するようになった。

「美織ちゃんが可哀想だよ」

 彩花は悟ではなく、俺の方だけ真っ直ぐに見つめる。

「だよな、彩花もそう思うよな」

 悟からの冷たいも視線を浴び、仕方なく加藤の前に置かれた別の誰かの椅子に跨る。加藤のフルネーム、たぶん明日には忘れるだろう。

「京子はバイトじゃねーの?」

「今日はなし。最近人手が足りてるんだって」

「ふーん、じゃあカラオケ行くか!」

「悪いけどパス」、「最近金欠だわ」、「私も今日はちょっと」。おい、まてまて。全員から口々に反対意見をくらい、気分が落ちる。

「吹奏楽部、盛り上がってんね」

 京子は窓から首を出して音楽室の方を見上げる。この教室からすると音楽室は斜め上に位置する。その角度じゃ見えないだろうに。

「パッヘルベルのカノンだね」

「は?」

「ん?」

 俺は謎の言葉を発した彩花と顔を見合わせる。

「あ、いやなんでもない」

「パッヘルベルが作曲者で、カノンが曲名ね」

 悟がいらない情報を付け加える。

「それくらいわかってるわ!」

「へー、でも隆也、ベートーヴェンとモーツァルトくらいしか知らないだろ?あとショパンとか?」

 なぜ悟はこうも俺の頭の中を読み取れるのだろうか。腐れ縁を心底恨む。

「そんなことないし。チャイナフスキーとか知ってるから」

「チャイコフスキーな。中国人じゃないから」

「悟、やめてあげな。こいつが恥ずか死ぬよ」

 京子のツッコミに、彩花がくすくすと笑う。

 なんだ、こいつら。空から申し訳程度の春風が流れ込む。この程度では真っ赤に火照った顔と身体はまったく冷めない。

「もう四月だね・・・・・・」

 彩花の発言に数秒間の沈黙が流れる。

「一週間以内に提出だもんな」

 悟が鞄から今日渡された『進路希望調査』と記載された紙を取り出す。

「そっちのクラスも今日配られたんだ」

 京子は三人を見下ろす。京子だけ文系クラスで、俺たち理系組とは別のクラスなのだ。もっとも、俺は理系科目が得意なわけではない。ただ悟と同じ進路に進んだだけだ。数学は常に赤点だ。

 高校三年生になったということは、すなわち進路について考えなければならない。俺たち四人は性格は違えど、いわゆるどこにも属さないタイプだ。部活に勤しむわけではなく、将来の夢に向かって努力するわけでもなく、ただなんとなく過ぎていく毎日を楽しんでいる。

「考えた?」

 彩花が少し躊躇いながらも各々の顔を見る。

「私は働くかな。母さん一人だし、下の子たちの面倒も見なきゃいけない」

 京子は幼い頃に父親を亡くしており、パート勤めの母親が一人で切り盛りをしている。京子の下には小学生の妹と弟がいるため、卒業したら働くつもりらしい。

 京子もまた誰か知らない人の机に腰をかける。無論、次第に重くなっていくこの空気の中で、その行動を咎める者はいない。

 また沈黙が流れる。

 「いや、誰か続けよ!私だけ話して損したみたいじゃん」

 京子は鞄を下ろし、机にさらに深く腰かける。全員が話すまでこの席からは立ち上がらないぞ、という意思表示だろうか。

 「んなこと言われても、俺は考えてないからな。なんか自分の将来のことなのにピンと来ないんだ。いっそこのままときが止まってくれたらいいのにな。悟と彩花は大学進学するんだろ?二人とも成績優秀だもんな」

 名指しを食らった悟と彩花は少し驚いてお互いに顔を見合わせている。

 「私もわからない。どうしたらいいのか。隆也くんと同じ。ずっとこのままがいいなって思うよ」

 「ちょっと彩花本気!?成績いいんだからこんなんと同じなんて勿体無いよ!」

 京子が俺を横目で見る。なんて失礼な奴なんだ。とはいえ、そうともいえない。京子がいうように成績優秀な彩花はいい大学に進学するもんだと勝手に思っていた。

 「僕は・・・・・・」

 悟の一声に全員が悟を見つめる。

 「僕は・・・・・・研究者に・・・・・・なりたいと思ってる」

 悟は少し恥ずかしそうに俯いた。

 「研究者?」

 「うん、なにか大きな発明をしたいんだ。それで人の役に立ちたいと思ってる」

 「研究者・・・・・・か」

 全員が悟を見つめる。

 「ああ、ごめん。研究者だなんて、なんか変だよな。忘れてくれ」

 「・・・・・・すごい、いいじゃん!」

 「え?」

 「いいじゃん、悟くん格好いいよ」

 彩花は真っ直ぐに悟を見る。あまり自分から大きな反応を見せることのない彩花がとびきりの笑顔を浮かべている。

 「本当か?」

 「うん!すごいと思う!頑張ってほしい」

 彩花の羨望の眼差しに対し、ありがとうと言う悟は嬉しそうな表情を顔いっぱいに広げている。ここまで応援されるとは思っていなかったのだろう。本当に嬉しそうだ。

「じゃあタイムマシン作ってくれよ!」

「はい?」

「タイムマシンだよ!俺将来困ったらこの時代戻ってきたいもん」

「私もあんたみたいに馬鹿になりたいよ」

 京子は俺の方を見て、やれやれと首を振る。いつも失礼な奴だ。

「おい、どういう意味だよ!」

「いや、タイムマシン悪くないな。作ってみるか!」

「うっわ、悟まで馬鹿になった」

 京子は若干引いた目で二人を見ると、鞄を拾い上げ、教室を出ていく。

「おい待てよ!」

 俺たち三人も慌てて後を追った。


 


   2 


 

 久々の登校日。今年の夏は長かった。これまでの夏は一瞬で過ぎ去ったにも関わらず、今年は塾に監禁され、ほぼ一日勉強を強いられるという拷問に近い毎日を過ごした。別に塾になんぞ通いたくはなかったが、親に半ば強制的に行かされた。これで成績が上がらなければ自分はなんのために頑張ったのだろうか。教室に入るとやはり夏休み中に痛い目にあったのか、生き残りはしたものの、余計に老けた奴が数人いた。

「疲れきってっんじゃん」

 席に着くと悟が近づいてきた。

「俺はお前と違って勉強が得意じゃないからね。アレルギー反応が出て大変だったぜ」

「なんだよそれ」

 久々に親友と語らい、ようやく疲れが癒えてきた。散々歩き回った後に、熱い温泉に浸かったかのような幸せを感じる。身体がほぐれていく。

 その後も教室に入ってくるクラスメイトたちを眺めていたが、勉強の習慣がついていないために地獄を見た者と、勉強程度では身体に負荷がかからないのか爽やかな表情でいる猛者の二通りの人間にわかれた。中には参考書片手に登校してくる究極のドM体質の奴もいた。あれはたぶん人間を捨てた奴だ。皆久々に会った友人と和気藹々と話しているが、夏休みを経て塾や模擬試験、大学など受験に関する話題しか聞こえてこない。勘弁してくれ。これ以上受験に触れると頭がおかしくなりそうだ。

 そうこうしているうちに朝礼を知らせる鐘が鳴り、担任の片岡(かたおか)が入ってきた。歳は三十歳くらいだろうか。この学校の教師の中ではかなり若い方だが、高校三年生のクラスを受け持つだけあってよく親身になってくれる。学生時代はサーフィンに明け暮れていたというだけあって、茶色に焼けた肌とたくましい筋肉からは体育教師を彷彿とさせるが、数学の教師だ。端正な顔立ちのため、女子生徒からの人気が高く、今日も教室に入ってくるなり、早速餌食になっている。片ティーや片っちなどの相性で呼ばれている。

「いいから座れー。朝礼始めるぞ」

 日直の号令がかかり、放送で朝礼が始まる。夏に限らず長期休み明けには、校長の大変ありがたいお話がある。体育館に向かおうと準備をした途端、校長の声がスピーカー越しに聞こえた。この時期に体育館に集まると、熱中症でぶっ倒れる生徒が続出するため放送で行うそうだ。素晴らしい。安心して寝れそうだ。

「皆さん、おはようございます。夏休み明けですが、元気に登校できましたかね?私は今年は家族と・・・・・・」

 校長の話を片耳に流しながら教室を見渡す。悟は頬杖をつきながらもちゃんと聞いている。偉い奴だな。あれは・・・・・・加藤か。ツインテール辞めたのか。いや、夏前からもうツインテールじゃなかったかも?どうでもいいや。片岡は腕を組んでスピーカーに目を向けている。そしてそれをいいことに参考書を広げて勉強している人間を捨てた奴。ここは動物園じゃないぞ。他にも隣同士で小声で話している者、自分の髪を愛でている女、机に伏せて寝ている男。ざっと見渡しただけでもいろんな奴がいる。

 ふと違和感を覚えた。なにか忘れている気がする。目を凝らして教室を見渡す。二周三周して一番遠くに空席があるのが目に留まった。あの席はたしか・・・・・・彩花か。珍しい。彩花は普段遅刻なんかしない。律儀に校則を守り、勉強も怠らない。マイナスの意味で目立つことは絶対にしない彼女が、登校時間を大きく過ぎてもまだ出席していないということは、さては欠席か。たしかに健康面ではあまり強い方ではない。俺が知っているだけでもここ二年間はインフルエンザに感染して学校を休んでいた。特に二年生のときは、二百五十人近くいる同学年で最初の感染者となっていた。今日はどうしたのだろうか。

 そのうち校長の話は終了した。片岡もまたホームルームが終わると、彩花に触れることはなく、そのまま教室を退室していった。一時限目までのわずかな時間を見て、俺は悟に声をかけた。

「彩花、どうしたんだ?」

「彩花?なに?」

「まだ来てないみたいなんだ。あいつにしては珍らしいからさ、悟なにか聞いてないかなと思って」

「あー、本当だ。僕は知らないけど、京子なら知ってるかもな」

 その様子からすると、本当に悟はなにも知らないようだ。とはいえ、特別心配をする素ぶりも見せず、授業の準備をしている。

 結局授業が始まっても彩花は登校しなかった。昼休みに入り、京子の元を訪ねたが、彼女も同じ反応で彩花のことは知らないと言う。

「まあ、体調崩してるのかもな。けろっとしてまた来るよ」

 年々上昇する日本の気温を舐めてはいけないということか。

 悟の発言に安心し、久々に三人で帰宅した。


 俺たちが彩花の登校を待ちながら、三日が過ぎた。

「いよいよおかしいって」

 放課後の教室で俺たちは向かい合った。誰の元にも彩花からの連絡はなく、全員がこれを異常事態と捉えていた。

 悟は昼休憩時に職員室に赴いたようだった。

「片岡先生に聞いたんだよ。でもはぐらかされた」

「はぐらかすってことは、なにかあったってこと?」

「わかんないけど単なる体調不良じゃなさそうだ」

「なにか変なことに巻き込まれたりしてないよね?」

「わかんないけど・・・・・・」

 京子と悟の会話の舵は、明らかに物騒な方向に向いている。

「ちょっとやめろよ!変な方向に持っていくなよ」

「でも怖がってる場合?こんなに連絡が取れなくなるなんておかしいよ。私今日あの子の家行ってみようと思う」

「京子、彩花の家知っているのか?」

「わかんないけど、あの子の家の最寄駅なら知ってる」

「どこだ?僕も行くよ」

 悟は京子に食いつくように近づいた。俺もそれに倣う。

 京子は下を向くと、「杉(すぎ)の宮(みや)駅」とだけ口にした。

 しばしの沈黙、続いて、

「・・・・・・は?え?杉の宮?」

 悟の声が裏返った。無理もない。俺が声を出しても同じことになっていただろう。

 杉の宮とは浮浪者の溜まり場で有名な地区だ。昔からしょっちゅう物騒な事件が起きている。俺も京子も悟もコンビニまで歩いて二十分かかるような場所に住んでいる田舎者だが、それでもいくら都会とはいえ絶対に住みたくない危険な場所だという認識がある。

「彩花、そんなところに住んでるのかよ」

 俺たちの間に動揺が走る。

「京子、悪いことは言わない。それは流石に危険すぎる。土地勘もない僕たちが行くにはあまりに危険な場所だ」

 悟は京子の目線まで膝を曲げ、なだめるように言う。

「じゃあこのまま黙って待てって言うの!」

 京子は目に涙を浮かべている。いったいこの二人にはなにがあったのだろう。京子にここまで言わせるなんて、彩花は過去に相当な行動をしたんだろう。

「悟は来なくていい。俺が京子と行くよ」

「は?隆也までなに言ってんだよ!あそこは危ない場所だ。高校生が二人で行くなんて危険すぎる」

「でも彩花はそこに住んでいる。彩花の身になにかあって動くことができないなら、俺たちしか彩花を連れ出すことはできない!」

 俺が悟を睨むと、悟もまたそれに応えるように対抗してきた。

「それでも信用できる大人に任せるべきだ。第一、入院とかさ。そういう可能性もあるわけじゃん」

「それはないだろ。意識あるなら、彩花から連絡が来る。なくても片岡が隠す理由がないじゃないか」

「もう!そんなことを言ってるうちに、どんどん時間が経っちゃうよ!」

 京子の金切り声に驚いて振り返る。こんなに取り乱している京子を、俺は初めて見た。

 彩花を探しに行く派の俺と京子、とどまる派の悟、両者は一歩も譲らず互いに睨み合う。

「私は二人がなにを言っても行く。彩花を探しに行くから」

 これを最後に悟はそれ以上口を開くことはなかった。京子の目は充血している。二人に向けられたその赤い眼は、彼女の意志の強さを表すには十分だった。

 話し合いの末、俺と京子の二人で杉の宮に向かうことにした。悟いわく俺がいるだけまだ安心なのだという。

 悟は学校の最寄駅である馬島(うまじま)駅まで見送りに来てくれた。悟の気持ちはよくわかる。彩花のことを探したい気持ちも、俺と京子に付き添いたい気持ちもあるのだ。ただ、危険だし、自分を優先すると選択肢は一択なのだ。俺もそのことはわかっているし、自分を優先したい気持ちがまったくないわけではない。しかし、京子はそれ以上に彩花が大切で、俺もそんな京子を放っておくことなどできないのだ。京子がついてこない悟になにか言うのではないかとひやひやしたが、馬島駅に到着すると、「送ってくれてありがとう」と素直に感謝の言葉を口にした。京子も同じ考えだったようだ。

 電車の扉が閉まり、発車する。悟は見えなくなるまで手を振り続けていた。

 馬島駅から杉の宮駅までは電車で二十分程度の距離だ。俺と京子はその時間を使って作戦会議を立てることにした。長居は禁物であること、杉の宮のどのエリアから探すかなどを中心に頭を捻らせたが、杉の宮に初めて行くこと、彩花の正確な家の場所を知らないことから、この会議はほとんど意味もなく開始一分で終了した。

 杉の宮に向かうにつれて、だんだんと車窓からの眺めも変化してきた。東京人からすれば杉の宮も十分田舎なのだろうが、山に囲まれた集落で育った俺たちからすると、杉の宮はコンビニやスーパーが点在しており、車がなくても生活できるというイメージがある。もともと杉の宮は伝統的な織物が有名な街で、高度経済成長期にはホテルなども多く建てられ、このあたりでは人気な観光名所になっていた。記憶はないが、俺も両親に連れられ一度だけ杉の宮の祭りに行ったことがあるらしい。しかし十年ほど前に暴力団がこの地に棲みついたことで、街は荒れ果て、今や不良グループの恰好の溜まり場となっている。自治体の努力の成果によりなんとか変わってきているようで、実際には杉の宮駅から東のエリアはそう危険な場所ではないらしい。しかしほぼ初めて行く俺たちにとって、その情報の信憑性も含め不安を感じていた。彩花を探しに行くと啖呵を切った京子だったが、目的地に近づくにつれ、口数が減り手も震えている。今の京子を見て、彼女が女子のリーダー格であると思う人はいないだろう。せっかくのボーイッシュな髪型も意味を成していない。

 やがて電車は速度を落とし、杉の宮駅に到着した。俺は「行くぞ」とだけ言い、電車を降りた。東口と西口があるが、前情報を信じて東口に足を踏み出した。彩花の家を知らない京子もそれに触れることなく隆也についてきた。

「京子、これだけは守ってくれ。必ず三十分以内には駅に戻ること、俺から離れないこと。いいな?」

 京子は小さくこくりと頷いた。

 杉の宮駅の東口は奥の山に向けて道路が敷かれており、京都の碁盤の目のような造りになっている。これはかつて有名な観光地であった頃に整備されたものらしく、景観を損なわない工夫がよくできている。駅から出ただけでもコンビニやスーパーがすぐに見つけられた。また、高級感を漂わせた戸建てもあり、イメージとはかけ離れているように感じる。杖をついて歩いている高齢者や犬の散歩をしている人、ジョギングをしている人がおり、危なそうな人物はいない。思っていた以上に安全なのだろうか。それともこの地に住む住人の肝が座っているのだろうか。とにかく自分が暮らしている地と比較して、安全面という意味では大きな差異はないように思えた。

 手始めに駅前にいた人に声をかけてみた。

「あの、この人を探しているんですけど、このあたりで見ませんでしたか?」京子が写真を見せ、俺が説明をする。

「うーん、わからないな。ごめんね」

 こんな会話を三人とした。

「彩花のこと知らない人が多いね」

 彩花とツーショットで写った写真を見て、京子は悔しそうな顔をする。

「仕方ないよ。俺たちが住んでいるような集落と違って、ここはある程度都会だし、その分人も多いんだよ」

 気を取り直して、また二人で声かけをする。

 「君たち」ふいに後ろから声をかけられ、俺は振り返った。京子も同じように後ろに目をやっている。そこには一人の警察官が立っていた。歳は若そうで、二十代前半くらいに見える。すらっとしたその男は、ゆっくりと二人に近づいてきた。

「君たち、ここで誰か探しているの?高校生に声をかけられたって聞いたんだけど」

 誰かがこの警察官に通報したのだろうか。自分たちは咎められるようなことはなにもしていないはずなのだが。そう思っていても警察官に質問をされたことで、上手く口が開かない。

「私たち、この子を探しているんです。中原彩花といいます。私たちは同じ学校の同級生で、学校に来なくて、心配で・・・・・・」

 京子はすがるような表情で警察官の男に詰め寄る。彼女もまた頭がよくないので、上手く言葉になっていないところも散見されるが、おおまかな内容は警察官に伝わっているだろう。彼に問いただされて口が開かなかった俺よりずっといい。自分を見て安心だと言ってくれた悟に申し訳ない気持ちが芽生えた。

「わ、わかったから。大丈夫。ありがとうね」若干引き気味の警察官は、京子の両肩に手を優しく添える。

「君たちに会わせたい人がいるんだ。一緒に来てもらえないかな?」警察官の誘いに京子が乗る。

「ちょっと待って!」これでなにかあれば悟に顔向けできない。いくら警察官の格好をしていても、簡単に知らない大人についていくのは危ないと俺の脳が判断を下した。

「警察手帳を見せてください。俺たち杉の宮には初めて来たんです。治安が悪いことも知ってます。まずはあんたが警察だってことを証明をしてくれないと・・・・・・」

 警察官は驚いた表情を見せた後、すぐに表情を戻した。

「そうだね。君の言うとおりだ。これはすまない。僕は坂口といいます」

 名乗った警察官は警察手帳を胸ポケットから取り出すと、それを二人に見えるように提示した。そこには坂口さかぐち慎之助しんのすけと書かれ、顔写真も貼り付けてあった。見た目通り眉の濃い男が写っている。間違いなく本物の警官だ。

「ありがとうございます。次に、会わせたい人とは誰ですか?場合によっては一緒に行けません」京子から「ちょっと!」と小声で袖を引っ張られたが構わない。俺には京子を守る義務があるのだ。悟とした約束は必ず守る。男の約束とはそういうものだ。


 坂口と交番に到着してから十五分ほど経過して一人の女が駆け込んできた。

「あの、彩花の!彩花はどこ?」

 五十歳くらいで、クリーム色の服に黒いズボンという質素で飾り気のない服装の女は、化粧もあまりしていないようだった。後ろに一本で結んだ髪にはところどころ白髪が見て取れる。

「中原さん、落ち着いてください。こちらは娘さんと同じ高校の方だそうです」

 坂口は隆也たちに向き直ると、「この方は中原彩花さんのお母様です」と言った。隣の京子は開いた口に手を当てている。声を出せなそうだ。それは俺も同じである。この状況ではいくら頭の悪い二人でもなにが起きたのか想像できた。警察官が彩花のお母さんを呼び出した。そして彼女の慌てよう。彩花の身になにかが起きて、警察が動いていることは明白だ。この状況に対して情けないことに、俺は身動き一つできない。

「あなたたち、彩花の友達ね?彩花からなにか聞いていない?」

 彩花の母親は俺たちに詰め寄るが、切羽詰まった彼女の様子を見てやはり声が出ない。京子も同じなのか声が聞こえない。

「彩花となにか話した?彩花、どんな様子だった?彩花は」

「中原さん!」坂口が止めに入る。

「中原さん、落ち着きましょう。お友達もびっくりされています。一回深呼吸しますよ。吸って・・・・・・」

 すごい剣幕だった彩花の母親は、坂口の声に合わせて深呼吸をし、落ち着いてきたように見える。走ってきたのか先ほどまで上がっていた息の音も聞こえなくなってきた。

「中原さん、ゆっくりお話ししましょう」

「そうね、びっくりさせちゃってごめんなさい」

 彩花の母親は先ほどとは打って変わった口調で、座っている隆也と京子の目線まで膝を曲げた。坂口がさり気なく彼女に椅子に座るよう促す。

「彩花、なにかあったんですか?」京子が会話の先陣を切った。

「私にもわからないの。彩花はどこなの?」

「やっぱり彩花は家出したんですね」

「え?家出したって、そうじゃないの?あなたたちは彩花と会っているんでしょう?」彩花の母親は困惑した表情を浮かべる。

「私たちは彩花が学校に来ないから心配で、彩花に会えるなら会いたいと思ってここに来たんです。家でなにかあったんじゃないかって」

「ちょっと待って。彩花、あなたたちの家にいるんじゃないの?片岡先生は学校に来てないって言うし、そうなったらお友達の家にいるんじゃないかと思っていたんだけど」

 次第に彼女の声が速まっていく。口調も強くなってきている。また焦り出しているようだ。

「私たちは彩花と一番仲がいい自信があります。いつも一緒にいました。でも、夏休みが明けたら彩花は学校に来なくて。私たちは一学期の終業式以来、彩花には会っていません」

 京子の話に彩花の母親は「え?嘘でしょ?」と驚きともいうべきか、恐怖ともいうべきか、そんな表情を浮かべた。そしてそれ以降、彼女はまたも取り乱してしまった。坂口に帰るよう言われ、俺は京子を連れて駅に向かった。交番を出てからもしばらくは母親の悲痛な慟哭が続いた。

 杉の宮駅に到着した俺たちは、ベンチに並んで腰掛けながら帰りの電車を待つ。悟が心配したようなことは起きなかった。しかしそれ以上のショックが二人を包んでいた。その証拠に交番を出てから、俺は一切京子と話していない。学校に登校しない、連絡がつかない、そんな異常事態の中でもなんとなく彩花は家にいるのでないかと思っていた。なんの根拠もないが、家にはいて、ただ学校に登校できない深い事情があるのではないかと。彩花が家出をしたのではないか、たしかにそんな想像も少なからずしてはいたが、彩花の普段の性格から考えると、あまりにも現実味を帯びておらず、勝手にその選択肢を排除していた。彩花の居場所どころか生存確認すら取れない状況を誰が想像できただろう。




      3



 三月の初めはまだ桜が満開になっていない。それでも雲一つない晴天の日、桜の蕾だけでも美しいものだ。まさにこれ以上ない卒業式日和。三年間過ごした学舎から巣立ち、思い出をたくさん作った友人やお世話になった恩師との別れの日。涙を浮かべる者、写真を撮る者、談笑する者。皆幸せそうな表情を浮かべている。しかし俺はどうしてもそんな表情は作れない。どこかやりきれない、悔しい表情。そんな顔をしているのは俺を含め三人しかいないだろう。

 突如として姿を消した親友はいまだに見つかっていない。失踪、事故死、自殺、他殺、誘拐など物騒な言葉がまことしやかに囁かれたが、驚くほどなんの痕跡も残っていないようで、警察の推測すら立てられない状況が何ヶ月も続いている。母親は今も娘の帰りを願いながら必死に探し続けており、俺たちも受験勉強の合間を縫って、駅前でのビラ配りに協力した。

 俺は県内の大学に進学した。夏の悲劇からますます勉強の意欲は低下したものの、なんとか浪人せずに進学できた。東京の有名私立大学へ進んだ悟と比べれば随分と格下の大学だが、落ち着くところに落ち着いたというところだろうか。京子は地元の印刷会社の社員として雇われた。予定通り一足早い社会人だ。悟はいわずもがなだが、俺の進学した大学も実家から通うと電車で二時間半近くかかるため、大学の近くのアパートで一人暮らしをすることが決定した。すでに新居への引っ越しの準備は済んでいる。俺、京子、悟、彩花、今日をもって全員が別々の道へと向かい、ほとんど顔を合わすこともなくなるだろう。

「彩花のこと頼むぞ」

 夕暮れの教室で悟が校庭を見ながら言った。

 校庭には多くの卒業生がいる。彼らがどれだけ彩花を知っているだろうか。最初は突然いなくなった彩花の話題で持ち切りだった。しかし、さほど彩花と仲がよかったわけでもない彼らは、そのうち彩花の話をしなくなった。意識的ではない。忘れていったのだ。半年経ってこれだけ綺麗に忘れられるものだろうか。まるで最初からそんな人物など存在していなかったかのように、卒業式の最後の最後まで彩花の話題は一つとして出なかった。片岡もしなかった。担任という立場からすると、触れられない事情があるのかもしれない。だが、そんなことは知ったこっちゃない。あんまりだと俺は思った。

「わかってる」

 まだ見つからない彩花と母親のために、俺たちはできる限りのことをしようと誓った。彩花の母親は、三人で会いに行った際、涙を浮かべて感謝の言葉を繰り返した。彩花は昔から引っ込み思案で大人しく、周囲の友達とも上手く馴染むことができず、友達と呼べる人はこれまで多くなかったそうだ。普段なら夕方には帰宅しているであろう娘が夜の二十時に帰ってきたとき、母親は心配したが、すぐに涙を流したそうだ。悲しくてではない。嬉しくてだ。四人でカラオケに行った日のことだった。だから娘がいなくなってから定期的に母親に会いにきた俺たちを本当の我が子のように可愛がってくれた。もう一つの家ができたようで嬉しかった。この人には必要とされているんだと。だからこそ、まだ見たことが一度もない、心の底からの彼女の笑顔を自分が作るんだと強い決心をしたのだ。悟の言う彩花のこととは、彩花の母親のことだ。彼女が無事に過ごせているか、月に一度は連絡をするようにしようと、俺たちは約束を交わした。京子は忙しくて時間が作れないだろう。悟は遠くてすぐにこちらには来れないだろう。そうなれば俺がもっとも彼女に関わることができるのだ。当然だ、彩花のために自分ができることはなんでもしよう。

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