悠馬 第三十一話

羽田から直接、リナが入院している病院へ向かう。


「リナ…」


ルーカスと染谷がベットに座るリナに駆け寄った。

リナは、青白く血の気のない顔で、ぼんやりと空を見ていた。


「悠馬さん…!」


リナに付き添っていた母親が俺を認める。

その声に、リナが瞼を震わせて俺を見た。


「…っ、悠馬…!」


リナの目がみるみる涙で膨らむ。

痛々しく包帯が巻かれ、

点滴が刺されたままの細い両手を俺に伸ばす。


俺が近寄ると、リナは俺にしがみつき、声を震わせて泣いた。


「悠馬、…行かないで」


ルーカスと染谷がやりきれない表情で目をそらす。

リナの母親が床に正座し、俺に向かって頭を床に擦り付けた。


「お願いします。リナを見捨てないでください。お願いします…!!」



ゆいの声が聞こえる。


『…好き』


俺は世界一の屑だ。


やるせない沈黙と泣き声が充満する病室で、

強く、目を閉じた。



リナはしばらくの間、俺を見るとすがって泣き、

俺の姿が見えなくなると、病院中を泣きわめいて探し回り、

裸足のまま外に飛び出したりして、不安定な様態だった。


「そばにいるから」


何度かリナに言い聞かせると、徐々に落ち着きを取り戻し、

体調も回復してきた。


10日程で退院できることになったが、

マンションに戻ってもしばらく母親が付き添っていた。


林さんやルーカスも毎日様子を見に来て、

マスコミ対応をしてくれたり、献身的に支えてくれたりして

一週間もすると表面上は、ほぼ元の状態に戻ったようだった。


ただ。

別れ話をしようとすると、リナは半狂乱になって、自傷行為に走る。


俺の手足には、見えない糸が幾重にも絡みついて、

がんじがらめに縛られている。


チェストの引き出しには、

リナのサインを待つばかりの離婚届と、ゆいの眼鏡がしまってある。


時々それをぼんやり眺めた。


…身動きできない。


「なぁ、悠馬。

今更と思われるかもしれないが、お前のことは、息子のように思っている」


事務所で染谷が俺に言う。


「私は、お前を買っているし、私たちはこの先もずっと一緒に音楽をやっていくだろう。

先のことを考えて、やり直そう」


常に、計算高くて自信に満ち溢れた染谷だったが、落ち着かない様子で立て続けに煙草を吸っている。

染谷なりに、思うところはあるんだろう。


「…あの調査報告書は、染谷さんの指示ですか」


問いかけると染谷は一瞬目を泳がせて、


「私が間違えたのなら、謝る。

でも過去のことは、乗り越えていけると思っている」


俺と目を合わせた。


「リナの父親としても頼むよ。やり直してくれ。この通りだ」


リナの行動がさすがに堪えているのか、

染谷は肩をすぼめて頭を下げると、苦悩するように息を吐き出した。


「俺はもう、あなたを信用できません」


俺の低い声にも染谷はゆがんだ笑みを見せた。


「それでも私たちはパートナーだ。そうだろう?」


肩に乗せられた染谷の手を振り払って部屋を出た。


濁った澱のようなものがつま先から溜まっていく。

身体が次第に蝕まれていく。


指で、何度もゆいの電話番号をなぞった。

でも、かけることができなかった。


ゆいは、報道を見ているだろうか。

リナの自殺未遂騒動や付き添う俺を見ただろうか。


ゆい。

何を伝えればいい?


大人で余裕のある結城なら、こんなことにはならないのか。

事務所の壁を殴りつけても、何も晴れなかった。


3月になり、世界ツアーの準備に追われるようになった。

まもなく、リハーサルのため、ニューヨーク入りする。


ルーカスがリナを慰めたり励ましたり、外に連れ出したりして、

このところ、よくリナの笑い声も聞こえる。

ツアーでしばらく留守にするから、ルーカスも別れを惜しんでいるようだ。

今の状態なら、リナも騒ぎになるようなことはしないだろう。


俺だけが、結城のマンションを出た時のまま、何も出来ずにいる。

話したり、歌ったり、動いたりしている俺は別の誰かで、

俺自身は、焦燥感を募らせながら、

見えないガラスの檻の中で徐々に朽ちている。


時間だけがただ、過ぎていく。


でも、何も変わっていない訳じゃなかった。


「いいよ、悠馬。離婚、しても」


ニューヨークに発つ前日の夜、突然リナから言い出した。

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