ゆい 第二十一話

昨夜、稜さんの腕の中で大泣きした後の記憶がない。

気が付いたら朝で、翔と一緒にベットで寝ていた。


『呼び出しがあったから出てくる』


リビングのテーブルに稜さんからのメモが置いてあった。


冷蔵庫の中身やキッチンを好きに使ってもいいこと。

道がわからないだろうから、タクシーを使うようにということ。


稜さんの、優しい指示が続いていて、タクシー代も置いてあった。


「稜さん、ごめんなさい。私…」


「いいよ。わかってる」


稜さんの心臓の音が聞こえる。いつも、私を包み込んでくれる。


「しばらく、俺のうちに居ろ。ゆいの部屋は注目されているだろうから」


稜さんの優しさに身が縮む。



『気の毒にね』



私は稜さんに優しくされる資格がない。


「…稜さん」


私が、よほど情けない顔をしていたんだろう、稜さんは私の頭に手を乗せて、下から私の目をのぞき込んだ。


「大丈夫だから。心配するな」


稜さんの手は温かい。


どうして、自分の気持ちでさえ、思い通りにできないんだろう。


保育園のお迎えも、稜さんが一緒に行ってくれた。


園の入り口で報道関係者と思われる人に囲まれたけれど、

稜さんがかわしてくれた。


「新しい彼氏さんなの?本当のお父さんとは、どうされているの?」


面と向かって尋ねてきた顔見知りのお母さんもいたけれど、

話せることがない。


園の保護者や先生たちが遠巻きに見ている。

稜さんの存在が、新しい話題を提供しているのかもしれない。


翔が、不安そうに私にしがみついて離れなかった。

翔を抱きしめて、うつむいて通り過ぎた。


夜になって、翔がせき込み、熱を出した。

稜さんが診てくれて、まもなく寝入った。


赤い顔をして浅い呼吸を繰り返す翔の頭をなでる。


しっかりしろ。

翔を守れるのは私だけだ。


稜さんがお風呂に入った時に、手帳からメモを取り出した。


見るだけで、胸が掴まれるような、悠馬の字。


翔のことを話して、謝って、

悠馬の生活を邪魔するつもりはないことを伝えよう。


携帯電話の番号を押す指が震える。


悠馬への初めての電話が、さよならを確認するためなんて、皮肉だ。


数回呼び出し音が鳴った後、電話が通じる。


「…もし、もし」


緊張で声がかすれた。

この電話の向こうに、悠馬がいる。


「あ、…あの、…水村、ゆい、です」


息がうまく吸えなくて、言葉が途切れてしまう。


電話の向こうから、冷たい沈黙が届く。

悠馬の状況がわからなくて怖い。


「…悠馬?」


恐る恐る呼びかけると、


「消えてよ」


いきなり、刃物で切り裂かれるような、鋭く尖った言葉が投げつけられて、電話が切れた。


こんなにはっきりとした憎悪の塊を向けられたのは初めてで、

途切れた電話を耳にしたまま、動けなかった。





「まさか、ヤリ捨て男が、EXZのYumaだったとはね」


「マリカちゃん!」


翔の耳が気になる。ソファで寝ている翔が起きた様子はなく、胸を撫で下ろす。


平日の昼下がり。夜勤明けでお休みのマリカちゃんが、翔のお見舞いと称して、私たちの様子を見に、稜さんのマンションまで来てくれた。

稜さんは仕事に行っているけれど、マリカちゃんの訪問は快く許してくれた。


翔の熱はまだ高く、今日は覚悟を決めて欠勤した。

このところ稜さんに頼っているから、何とかなっているけれど、家計を切り詰めなければいけない。


「Yumaと、連絡取れた?」


マリカちゃんの言葉に首を振る。


「でもね、周りの人にはちゃんと言おうと思うんだ。保育園でも、病院でも、騒ぎを起こしたことを謝って、悠馬とは関係なくこれまで通りやっていきたいって」


やっぱり、私が悪い。


迷惑をかけるつもりはなかったけれど、

結果的に騒ぎになってしまった。


許されるかは分からないけど、ちゃんと謝ろう。

そして、翔のためにも、俯いて歩くのはやめよう。


何があっても、翔とやっていけると思って選んだ道。

逃げたり、隠れたり、したくない。


翔はこの先も好奇の目で見られるかもしれない。

つらい思いをさせてしまうかもしれない。


でも。


前を向いて。

一緒に乗り越えていくしかない。


「関係なく、ね。Yumaもそう思ってるのかなぁ?」


悠馬が翔のことを知って、どう思ったのか、わからない。


いつか、謝りたい。

私のわがままで勝手なことをした。

でも、大事に大事に育てているから。


「…EXZの新曲が発売されたじゃん。あたし、あれ聴いて思ったんだけど。あれってさぁ、…」


マリカちゃんが意味深な目つきで見る。


「な、何…」


実は私はまだ悠馬にもらったCDを聴いていない。

CDを見ると悠馬を思い出して胸が詰まる。


誰かに頼んで携帯に落としてもらえば聴けるけれど、悠馬の声を聴いたら、また自分の気持ちに引きずられてしまいそうだから。


まだ、聴けないでいる。


「ゆい、Yumaから指輪もらったりした?」


「え?指輪?…もらっては、ない、と思う」


悠馬と過ごしたあの夜の後、

気づいたらベットに悠馬のピンキーリングが落ちていた。


私がひそかに、なりたいと思っていた悠馬のリング。


それから私は、悠馬の忘れ物をお守りにして首から下げている。

そういえばこの前、返さなきゃいけなかったかな。


「もらってはない、って何よ?」


マリカちゃんが食いついてくる。


「や、…忘れていったのを、…こっそり、…持ってる、けど」


その勢いにたじたじと答えると、


「ふふ~ん」


なぜか、マリカちゃんが得意げな顔をしてみせる。


「それなら、このまま黙ってないね」


そして、自信満々にそう断言するマリカちゃん。


「まぁあたしは、稜先生のがいいと思うけど。

…でも、ゆい。もし今度Yumaと話ができたら、思ってること全部言った方がいいよ。どんなにYumaのこと好きか、ちゃんと言った方がいい」


そうして、マリカちゃんは帰って行った。


また、悠馬に会うことができるだろうか。


『消えてよ』


はっきりと耳に残る電話の声。私の想いが、あんなにも人を傷つけた。


悠馬のこと、どれだけ好きかなんて、言葉が足りない。


目を覚ました翔に水分を摂らせて、着替えさせる。

だいぶ熱も下がったようだ。


悠馬のこと、どれだけ好きかなんて、言葉に出来ないよ…

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