第19話 蝗害の顛末(1)
ティルガース大陸の北部。冬は雪と氷で覆われるこの地域は、雪解け後もあまり気温が上がらず、貴族には避暑地として有名だった。
湿度もそう高くなく、雪解け水がろ過されて出来た湧き水は、どこの水よりも透明度が高い。麓の村にある青い池は無形の宝石と呼ばれるほど。
何より、北部の山には手つかずの資源が多く眠っており、貴族だけでなく冒険者にとっても人気が高い。
特に夏は大陸中央の冒険者にとって稼ぎ時だった。
そんな彼らにとって思いもしない出来事が起こる。
大地の女神、ティアルーズの『
観測されたその数は五体。
『原初の怪物達』の顕現は、ユグドラシアの倒木以来のことであり、創世神話以来の異例の数だった。
彼らは北部の山に住まい、ダンジョンを形成する。
天属性は地属性による侵略を恐れ、異世界から勇者を召喚し、討伐作戦を実行する。
しかし、『原初の怪物達』の一人、亜神の人智を超えた知恵と技術により、勇者を引き連れた天属性軍は大敗してしまう。
そして、『原初の怪物達』が築いたダンジョンは勢力を伸ばし、北部最大のダンジョンとなる。
その名は大地の女神との契約によって生まれた箱庭──アークリウムである。
「アークリウムの主。一体、これはどういうことだ?」
北部の中立都市──ミネルヴァ。
大陸に数ない三属性が共存するこの都市に、北部、南部の国代表と冒険者ギルドの各支部代表が集まっていた。
顔が強張る彼らの視線の先にいる黒ずくめの青年は、涼しい顔を崩すことなく口を開く。
「どういうこと、とは?」
アークリウムの主、
普段見せない彼のぞんざいな態度を咎める者は誰もおらず、室内に緊張感だけが高まる。
「南部に観測された巨大な昆虫の群れ……それだけじゃない! あのバッタの群れは貴様の仕業だろう!」
そう声を荒げたのは、南部代表の貴族、シエルタ公爵。
秀人にとって交流の浅い人物であるが、どのような人物であるかは把握済みだ。
「はて? 一体、私がどう関与したと?」
「白を切る気か? 貴様が妹君と南部へ訪れていることは把握している!」
「ああ、そうですね。南部の冒険者ギルドのマスターから、直々の依頼で赴いています」
秀人が顔に大きな傷が残る厳つい男に視線を向ける。
「そうですよね?」
南部支部ギルドマスター、アルバンは深く頷いた。
「ああ、南部に突然発生した大量の巨大昆虫の調査の為に。その時は突然変異としか報告を受けていないが……それが虚偽であるなら、話は別だ。アークリウムの主」
射殺すような鋭い視線はまっすぐに秀人の瞳を捉えた。
瞳の奥で宿る光が一体何であるかは言うまでもない。
「虚偽なんてとんでもない。私はきちんと調べましたよ。あの昆虫はまさしく急成長を遂げたただの昆虫だと。スキルを持つわけでも、加護を得たわけでもないと」
「そうだ。確かに貴殿はそう言った。しかし、単なる偶然とは思えない。あの時発生した昆虫を駆除するために……」
「ああ、大変でしたね。結果的に死ななくていい虫まで死んでしまったのですから」
巨大な昆虫の出現は、多くの民の恐怖心を煽った。
──もしかしたら、あの虫も巨大化するかもしれない。
そんな恐怖に蝕まれ、民はバッタを捕食する虫まで殺してしまったのだ。
「やはり、貴殿は……!」
「アルバン殿、落ち着いて」
立ち上がるアルバンを制したのは北部支部のギルドマスター、ジーオ。まだ年若い青年は困ったように眉を下げて秀人に向き直った。
「アークリウムの主、煽るような真似はしないでいただきたい。あなたは曽祖父から対話ができる天災だと聞いています。我々がどんな気持ちで御前を訪れたのかお分かりのはずです」
ジーオの言葉に秀人は大袈裟に肩を竦める。
「世話になった恩師のひ孫にそこまで言われれば仕方がない。喧嘩腰でやってきた客人の相手をしてやろうではないか」
尊大な態度で彼はそう言うと、ようやく居住まいを正した。
「それで、私が巨大昆虫からバッタの手配まで行ったと?」
「貴殿の報告を受け取った時はそうは思わなかった。貴殿は本当に興味深そうにしていたからな。しかし、貴殿が関与してなければ、辻褄が合わない!」
アルバンが拳を強く握り、秀人を睨みつける。
「バッタの群れは地属性の地域を避けて北上していた。それも勢力を増して……。こんなの、貴殿が命令したとしか考えられない。その証拠に北部は無事ではないか!」
「残念ですが、北部でも南側は被害を受けています。我が妹の尽力により、他所より被害が少ないだけですよ」
彼は短くため息をつくと、パチンと指を弾く。
集まった者達の目に半透明なパネルが現れ、北部の被害状況が映し出される。
「むしろ、北上していくにつれて、地属性の土地も荒らされている状況です。私個人としては、地属性も被害者同然ですよ」
パネルに映し出された地図には赤い点が打たれており、そこは地属性の領地を表わしているようだった。
「あまり交流のない地域から助けを求められたくらいです。本当に被害がないのは、南部の地属性くらいでしょうね」
秀人がそう口にすれば、周囲が静かにざわめき出す。
「南部……だと?」
「しかし、南部は彼の神が……?」
緩やかに動揺の波が広がる室内に、低く鈍いが鳴り響いた。
「ふざけるな、アリュース様がこの事態を引き起きたと言うのか⁉ 彼の慈悲深き神は天属性の味方であるぞ! 貴様のような化け物の子と違ってな!」
テーブルに拳を叩きつけ、シエルタ公爵は秀人に向かって怒声を浴びせかける。
「本当のことを言え! 貴様が邪神の力を使って襲ったのだろう!」
「シエルタ公!」
「貴様がギルドマスターの依頼より以前からフロストファングを南部に向かわせていることは知っている! そして騒動の直前、貴様が南部へお忍びで訪れていることもな! それを地属性も被害者同然? 笑わせてくれる!」
「何っ⁉」
皆の視線が秀人に集まり、緊張感が一気に高まった。
「我が諜報部を侮ったな、化け物。アリュース様に罪を被せたその傲慢さを悔いるが良い!」
「アークリウムの主……やはり!」
アルバンが唸るように声を上げた時だった。
「くっ……はははははははははははははははははははっ!」
秀人の笑い声が室内に響き渡る。
狂ったように笑い続ける秀人をシエルタ公爵が睨みつける。
「気が狂ったか!」
「まさか、まさか! いやぁ~、まさか王家筋でもあるシエルタ公爵家がその程度の調べしかできないなんてな! あ~、涙が出てきた」
秀人は部下から受け取ったハンカチで目尻を拭い、にやりと口端を釣り上げた。
「いかにも、私は南部に妹を派遣しました。そして、南部のバッタを集めたのも」
「なんだと!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、アルバンがシュウトの胸倉を掴んだ。
「アルバン殿⁉」
「なぜ、そんなことをした⁉ その行いがどれだけ民を苦しめたと思っている! 作物を失い、日照りで水も失った! その日の糧を得るために家畜を殺し、とうとう精霊さえもいなくなった! 今も飢えに苦しみ、弱い子どもから死んでいっているんだぞ!」
今にも殺しにかかりそうな気迫に呑まれることなく、そして、答えることなく秀人はまっすぐにアルバンを見つめ返した。
「答えろ、アークリウムの主! 貴殿が、対話ができる天災と言うのであれば!」
「………………」
秀人が口を開きかけた時だった。
「中立都市というのに、ずいぶんと物騒な」
「⁉」
突如聞こえた声に全員が目を大きく見開いて、その声の主を捉えた。
黄金に輝く金髪、新緑を彷彿させる緑色の瞳。そして芸術品のように整った顔立ちをした青年。
「ア、 アリュース様⁉」
「アークリウムの主から手を離してもらおうか、天属性の子よ」
豊穣神アリュースが厳しい口調でそう口にすると、アルバンは素早く秀人から手を離した。
そして、秀人を除いた皆が片膝をつく。
「遅れてすまないな、アークリウムの主」
「いいえ、ベストタイミングでした。アリュース様」
乱れた胸元を直した秀人は、自分が座っていた席をアリュースに差し出した。
この場にいる天属性達は皆、不思議に思うことだろう。
なぜ、アリュースがこの場に現れたのかと。
「さて、私はお前達に告げるべきことがある。面を上げよ、天属性の子らよ。いや、こう呼ぶべきか? 天属性の猿ども」
顔を上げたかけた天属性達は、その一言で心臓を凍り付かせた。
彼は他の神々よりも慈悲深く、自身が地属性でありながら、天属性にも恩恵を与える稀有な神であった。
神々は人に近い姿をし、同じ言葉を使うが、人の願いを聞き届けるのは稀だ。
何より大地の女神の怒りを買った天属性にとって敬うべき存在である。
そんな彼の神がこう呼んだ。
──天属性の猿と。
それは、地属性が使う罵倒の言葉。
「オレがこの場に降り立った理由は一つ。我が言葉を直接聞き届けさせること」
アリュースの神気が一つ一つの言葉に乗って、彼らの肌をひりつかせた。
「オレは中立として長きにわたり恩恵を与えてきたが、向こう三年の間、南部への庇護は打ち切りとする」
その言葉に全員が息を呑んだ。
蝗害の被害を受けた今、彼の庇護なくして復興は難しい。
何より繫栄と成長を尊ぶ彼は、こういう時ほど生ける者達に手を貸してきたのだ。
「情けとして、発言を許そう。お前達がオレの言葉を正しく理解できているのならな」
緑の瞳が冷たく光る。
目が合えば、その身が凍り付くような視線は、とある人物へ向けられていた。
「シエルタの領主。特にお前はオレに言うことがあるはずだ」
「お、恐れながら発言させていただきます。なぜよりにもよって、今なのでしょう。南部は蝗害に遭い、日照りが続いたせいで水も不足しています。それも、バッタを呼び寄せた化け物のせいで!」
秀人に鋭い目を向けたシエルタ公爵を、アリュースは鼻で笑った。
「化け物? それはオレのことか?」
「──……は?」
シエルタ公爵が間抜けな表情でアリュースを見上げる。
「南部のバッタを放ったのはオレだ。アークリウムの主は、その補助をしたにすぎない」
「なっ! な、なぜアリュース様が⁉」
「分からないか? テルルの森に冒険者を差し向けた張本人が……!」
アリュースから神気が強く漏れ、それはシエルタ公爵に纏わりつく。
「うっ……かはっ!」
喉元を抑えて、シエルタ公爵が床に倒れ込んだ。藻掻き苦しむその姿はまるで溺れているかのようだった。
「ビーミッツを随分と高値で取引をしているようだな? 巣を切り分け蜜を採り、幼体をすりつぶして美容の材料に。成体の羽は良い飾りになるのだとか。おまけにお前達が火を点けたテルルの森は、お前達の土地に魔力を与える為にあったと言うのに……この際、自然の摂理として全て許してやろう。しかし……オレの名を政治の道具として利用したことは、到底許されることではない!」
「がっ!」
シエルタ公爵に纏わりついていた神気は部屋中に充満していき、室内の酸素が薄くなっていく。
ティアルーズの息子である秀人でさえも顔をしかめるほどの神気の濃さだ。
隣で苦しむ従者に、秀人は保護魔法をかける。
「立場も分からぬ不敬な猿ども、心して聞くがいい。神の名を使い、我が物顔で権力を振りかざす傲慢な行いに対する、豊穣神アリュースの言葉だ」
そう口にした時、彼の背後に新たな二つ影が現れた。
一人は一片の穢れの無い白いマントを纏い、もう一人は闇色のマントを纏っていた。
どちらも目深く被ったその人物は、突き刺すような冷気を纏い、シエルタ公爵を見下ろした。
「豊穣神アリュースはこれより五十年の間、この者に以下のことを許さぬ」
一歩前に出た闇色のマントの人物がシエルタ公爵を指さした。
「喉の渇きを癒すことを許さぬ」
アリュースの言葉に合わせ、黒い塵を纏った文字が顕現する。それはシエルタ公爵の喉元に貼りつくと、じゅっ……という音が静かに響いた。
「飢えが満たすことを許さぬ」
「眠ることを許さぬ」
「痛みが消えることを許さぬ」
「光を感じることを許さぬ」
「温かさを感じることを許さぬ」
「幸福感を得ることを許さぬ」
室内に脂臭さが充満していく。鼻奥にこびり付くこの臭いが吐き気を誘い、秀人は口を抑える。
「以上だ。そして、五十年の間この者に、一つだけ祝福を授ける」
アリュースは片膝をつき、シエルタ公爵を見下ろした。
「誰もが一度は望む、不死の祝福を授ける。どんなに喉の渇きと飢えに苦しみ、痛みに悶え、寒さに凍えようが、生き続けることを許そう」
白いマントの人物が祈るように両手を合わせる。
白金の光が魔法陣を形成し、シエルタ公爵に黄金の粒子が降り注いだ。
「これが、神を愚弄する者に対する豊穣神アリュースの言葉だ。その胸に刻んでおけ」
アリュースは静かに背を向け、引き連れてきた者達と共に姿を消した。
「……かはっ!」
室内の神気が和らぎ、皆が噎せ返りながら浅い呼吸を繰り返す。
「おい、大丈夫か?」
秀人は顔色の悪いジーオの背を擦りながら回復魔法をかける。
神気は身体に負担をかける。あれだけ強い神気を浴びれば、ただの人間は酸欠のような症状が出てしまう。
冷汗を流すジーオがうつろな目で秀人を見上げる。
「アー……クリウムの主……」
「すまん、アリュース様は天属性にお怒りだったから、部下はともかく冒険者ギルドのお前を護ることはできなかった」
「い……いえ……」
秀人はゆっくりジーオを横たわらせると、隣にいた部下を蹴飛ばした。
「おい、アホエルフ。お前は守ってやったろ。突っ立ってないでさっさと回復魔法かけて回れ!」
「ひ~ん。私だって神気を浴びたのに……エルフ使いが荒すぎるぅ……ひぇっ!」
一歩踏み出した時、情けない声を上げた彼の足元を一瞥する。
「そ、そこに誰かいるのか? いるなら助けてくれぇ……」
そこには身体中に火傷痕が残ったシエルタ公爵の姿があった。
脂の匂いを纏わせたシエルタ公爵は、這いつくばりながら秀人の部下に縋りついた。
「火傷で身体が痛むんだ……! オレにも回復魔法を……それに毛布を! 寒くてたまらないんだ!」
「ひぇっ⁉ しゅ、シュウト様!」
助けを求める部下に秀人はため息を漏らした。
「望むものを用意してやれ。まあ、どうにもならないだろうけど」
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