第2節「過去」

 そして弥右衛門は健康にすくすくと育っていった。少年は青年になり、剣術の腕も両親譲りの才で、めきめきと上達していく。両親はそれが嬉しくもあり、また危惧もしていた。


「あなた…あの子には…」

「ああ…いつかは打ち明けなきゃいけないな…」


 そんな両親の戸惑いとはよそに、問題児沖野忠次との友情は日に日に強くなっていく。


「いいか?俺は将来、この国を平定して皆が笑顔で暮らせる国にするのが夢だ。それこそ剣が必要ないくらいの…」

「そりゃあ凄いや。でも、忠次君くらいの才ならきっと!!」


 胸を張って、曇りのない信念で夢を語る忠次。弥右衛門にはさぞまぶしく映っただろう。弥右衛門はそんな大きな夢が、素直に羨ましかった。これくらいの大きな器は真似できない。が、


「…じゃあ、僕らの様な剣客が必要なくなる日が来るんだね」

「あー…そうなるか。そうだなぁ~。そうだ!!剣はこれから術じゃなく、道を説く存在になればいいんだ」


 弥右衛門はぽかんと。


「…道?」

「今までは、剣は力でしかなかった。だけど、これからは学問のように、精神を鍛えて心の力になるようにするんだ!!どうだ?これなら剣も悪くないだろ?お前最近、思いつめてるもんな」


 確かに弥右衛門は今の自分に悩みを抱えていた。今の彼は、城内でも指折りの剣客だ。そんな力が将来の江戸に、本当に必要なのか思い悩んでいた。やはり忠次は心を読む。


「…あのさ。言ってて恥ずかしくない?」

「何が?」


 この真っ直ぐさが、今後のこの国に必要なのだろう。忠次はこれからも、ずっと変わらないのだろう。弥右衛門は彼の力になろう。この時にそう決意を固めた。


   ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇   


「諸国…遠征?」

「ああ」


 弥右衛門は突如、忠次が城を離れることを告げられた。国中を巡り、今まで以上に見分を広め、政治の柱となるためだ。


「凄いじゃないか!!忠次君ならできるよ、きっと!!」

「まあ…5年は江戸を空けるかな。それまで元気でいろよ」


 こうして沖野忠次は、旅立って行った。大手を振って見送る弥右衛門。彼なら何の心配もないだろう。彼が帰ってくるのが楽しみだ。…だが、そこで2人の生きる道が違えようとは。


「弥右衛門…話がある」

「父様…?何ですか…?母様も?」


   ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇   


「『復讐屋』…?」


 幕府直轄の暗殺剣客集団。忠次との別れを済ませた三日後に、弥右衛門は父と母が、そんな組織に所属していたことが打ち明けられた。正直を言えば、全く感づいていなかったわけではない。


「お前がいかに優しい子なのは分かっている。だが今はまだ、この国は剣による制裁が必要とされているんだ。…分かってくれ。心を鬼にして、この国の闇を祓うんだ」


 弥右衛門はこの日のために、剣の腕を磨いてきたことを悟る。それもそのはず。彼がこれまで学んできた剣は、恐ろしく実戦的で、人を斬ることに特化しすぎていたからだ。


「僕が…剣を振るうことが、国のためになるんですね?平和な国の未来のためなら…わかりました」


 この決断が、弥右衛門の心を蝕んでいく。それは火を見るより明らかだ。だがこの国には、彼の殺人剣が必要なのだ。


「…苦しいわね…」

「…そうだな…この時代に生まれるべきではなかったかもな…。あの子は…優しすぎた」


   ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇   


『ひ…ひぎゃああああ!!』

『ぐはぁっ!!…ごふっ』

『た…助け…て…げふうっ!!』


 それからというもの、弥右衛門は能面で顔を隠し、毎日のように暗殺稼業をこなしていた。いつしか剣の腕は『復讐屋』の中でも、随一になっていた。


(血が…落ちないな…)


 あの笑顔が似合う弥右衛門少年の面影はない。日に日に淡々と人を斬る。それが日課だ。だがそれも大儀だと自分を騙し、剣を手に取っていた。だが、ある日。


(…?何かおかしいな)


 弥右衛門の両親の姿が見えない。こんなことは一度も無かった。そして翌日。外は大雨だった。胸騒ぎがして町を駆ける弥右衛門。確か昨晩は、両親に黒い折り鶴が渡されていたはずだ。


 傘も被らず、息を切らし奔走する。そして、二人の男女の遺体が上がる。弥右衛門はそれを見ると突如、極度の吐き気とめまいに襲われる。…それは弥右衛門の両親だった。

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