第50話「有坂式次郎とモブ子の。 長い一日が終わった」
……馬鹿な。
ナイフと銃弾が交差する。
……馬鹿な馬鹿な。
鋼と鋼が衝突して火花を散らせる。
……馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ!
折れたナイフを握りしめたまま、悠然と立つ男を見上げる。その少年と呼ぶべき男は、忌々しいほど涼しい顔をしていた。
手に構えた狙撃銃は。
言葉もなく、銃口をこちらに向けている。
格納庫の中は凄まじい光景だった。
地面には折れたナイフが散乱して、天井や壁のいたるところに銃痕が刻まれている。飛行場から入ってくる照明がわずかに照らすのは、額に血管を浮かせるほど憤怒している神父服の男。手持ちの武器をすべて使い切り、奥の手であったはずの秘匿魔術は全く通用せず、それでも自身の意地とプライドをかけて戦いに挑んでいた。
その決着は、圧倒的だった。
満身創痍で上半身を壁に寄りかかりながら倒れているサーペント卿と。
息切れすら起こしていない有坂式次郎。
涼しい顔で見下している。
「き、貴様ぁーーッ!!」
サーペント卿は口の中に溜まった血を吐き出すと、呪い殺すような目つきで次郎を睨む。
「このままでは、このままでは済まないぞ! 貴様は、我ら教団を敵に回したのだぞ! これからも我らの暗殺者たちが、その小娘を狙い続けるだろう!」
目は血走っていて、息も絶え絶えだ。
「……ハァハァ、それだけではない! 世界中の組織がその娘を狙ってくるだろう! いくら貴様が強力な『魔眼』使いだとしても、それだけの刺客と戦い続けるのか!?」
貴様は選択を誤ったのだ。
笑うがいい、今だけは。
だが、いつか知ることになる。
貴様が守ろうとした娘の正体を!
そいつはな、人間のフリをした本物の化け物なのだぞ!
ハハハ!
ハーッハッハッハ! サーペント卿は高笑いしながら、自分の血で咳き込む。
負け犬の遠吠え。
それで片づけるにしては、あまりにも的を得ていた。
人間ができることには限界がある。
たった一人のヒーローが世界を救うことなんて不可能だ。一人の普通の高校生が、一人の女の子を守り続けることも。実のところ不可能だ。一時の気持ちや感情で誰かを救えるほど、この世界は優しくない。
だが―
「あー、すまん。饒舌になっているところ悪いけど。……別に俺が助けるつもりはねーんだわ」
「は?」
ぽかん、とサーペント卿が口を開く。
背後では、モブ子も同じように口を開いていた。
「いや、実際に無理でしょ。こんな地雷みたいな女を四六時中、敵から守ってやるなんて。そうでなくたって、この女は手癖足癖が悪いってのに、……痛っ!?」
次郎は背後からモブ子に殴られていた。
だが、彼は。
そんな彼女を引き寄せて、自分のものだというように抱きかかえる。モブ子は、最初こそ抵抗していたが、しばらくすると大人しくなった。身を寄せるようにして、頬を赤らめている。
「なので、俺は普通の高校生らしく、……仲間を頼ることにするさ」
「仲間だと? 誰が、貴様のような人間に手を差し出す輩がいると―」
その時だった。
空気が揺らいだ。
質量の重い空気が格納庫を支配している。
くすくす。
くすくす。
誰かが笑った。
影の中で何かが動く。
誰かが面白がるように次郎たちを見ていた。
暗闇でスマホの画面が光った。
……格納庫の奥のほうだ。
照明が当たらない暗闇の中で。
大勢の人間が息をひそめて、次郎たちの戦いを見守っていたのだ。
高校生くらいの姿もあれば、大人の姿もある。中には、明らかに人ではない姿をしたものもいる。大根を持った八百屋に、タラバガニの足を持った魚屋。煙草を吸っている陣凱高校の教師。スマホを持った灰色の髪の少女。コンビニの制服を着た二人の男女。その中に、先ほどまで戦っていた
ここにいるのは、全員。
練馬区陣凱町に住んでいる、町の住人たちだった。
「言っておくが、ここにいる連中は。俺なんかよりもずっと強いぜ。手を出すんなら、それなりの覚悟をしろよ」
にやりと笑う。
「じゃあ、モブ子はもらっていくぜ。返してほしければ来るといい。
まぁ、その時は軍隊でも連れてくるんだな。
次郎はにやりと笑って。
青ざめたサーペント卿を悠然と見下ろした。
日時は。
9月1日、0時20分。
まだまだ遠い空は暗い。
それでも。
有坂式次郎と、モブ子の。
夏休み最後の。
長い一日が終わった―
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