二人の狩人 〜イル・イッファの森人と唖人〜【中央大陸シリーズ】

香山黎

第1話 森の唖人

 カムレ公国グネフィズ州の山間やまあいにあるカルネジ庄付近に『唖人』が住み着いた、というのはここ最近、この狭い界隈を賑わす噂である。


 カルネジ庄の村長アレウィスの息子グウィンセンは、自分の領内に突如現れた謎の存在について調べていた。父の名代としての責任感から、不審な者が村の平和を脅かすことがあれば代官所へ兵隊を派遣してもらうことも視野に入れなければならない。


「その男どこから来て何をしている?」


「大陸官話も通じないとなると、戦争の捕虜が逃げ出したのかもしれんな」


 周囲の人々に話を聞くも、当てもないものが多い。


 また近隣の若衆と語らって、様子を見に行こうと誘うも、


「森かぁ、あまり気乗りしないな」


 なぞと渋る者がほとんどだ。


「なんともエルフの末裔ともあろうものが情けない」


 グウィンセン他、森人エルフの血が流れているが、かの大帝国マクスパンと戦い、公国化を受け入れて以来三〇〇余年、人間と混ざり合い純粋さは薄れた。彼らは半森人、または平地エルフエルフ・グワスタツィロイ、と呼ばれる。


「森といえば、こんな噂、伝説もある」


 森の奥、雪の丘イル・イッファと呼ばれる霊峰の麓に広がる広大な森がある。そこには未だ純血のエルフイェルフ・クヴィヤンと呼ばれる古代からの血を守る者が狩猟生活を続けている、らしい。

 平地エルフも狩りはするが、主に家畜を獣から守るためのものだ。

 グウィンセンは所詮、伝説は伝説と考えている。


 そんな折、逆にグウィンセンのもとに駆け込んでくる者がいた。


「グウィンセン!一大事だ!森に!」


「伯父さん、どうしたのですか」


 伯父のダフィズである。血相を変えて、半狂乱と言ってもいい。


「メロウィアが、メロウィアが森に行って戻ってこない!捜索隊を組織してくれ!」


 メロウィアはダフィズの娘、つまりグウィンセンの従姉妹だが、男ばかりの一族ではもっとも大切にされている存在だ。


「すぐ行きます。若衆らにもいやとは言わせない」


 そうして、アレウィスとグウィンセンはカルネジ庄の壮丁らで捜索隊を組織し、メロウィアが向かったと思われる雪の丘イル・イッファの森、ボンド川の上流へ分け入った。


 早朝から渓谷をさかのぼりながら周囲をくまなく探したが、メロウィアは見つからなかった。

 杣道そまみちもいつしか獣道と見分けがつかなくなり、幾度となく藪、崖、大滝に阻まれる。


「本当にこんなところまであの娘が来たのか?」


 メロウィアがこのような遠く険しい道程をまで何をしに来ていたのか。

 おおかたの予想はつく。星セキレイと呼ばれる山間部に生息する鳥類の羽根を求めたのだろう。


 来月行われる星夜祭で蒼く光を放つ羽根を飾ることは年頃の乙女にとってはなによりのおめかしであるからだ。


 ついに一行の眼前に、巨大な城壁と見紛うほどの岩盤の滝が現れた。


「これりゃあ、木こりのじいさまが言ってた〝止めの滝〟だな。これ以上はどうやっても上にはいけねぇよ」


 大瀑布から膨大な水が滝壺へ絶えることなく落下し続けている。さらに弾け巨岩をこすり煙のように水しぶきを発し、その音は他のあらゆる音をかき消し、一種の静寂をつくる。


「……さん……!」


 グヴィンセンのひときわ鋭い聴覚が轟音の中、かすかな鈴の音のような声をとらえた。


「メロウィア!」


「グィン……兄さん!伯父さん!」


 声の方に向かうと、果たしてそこにはメロウィアの姿があった。

 従兄弟や親族の姿を見て安心したようで、捜索隊にも安堵の笑みがこぼれる。


 が、一方でグウィンセンらを警戒させる存在が一つ。


 その男はメロウィアのそばに立っていた。


 唖人だ。


 身の丈はそう高くない、見慣れぬ色合いと質感の衣服を着ている。黒髪黒眼、良く日に焼けた赤銅色の肌。


 明らかに、エルフでもこの地に入植してきた人間とも違う。

 あえて言うなら、グウィンセンたちエルフが大きな島と呼ぶ中央大陸に安定と平和をもたらした、万物を統べる帝パントクラトール、ジュルダーンも同じように黒髪黒眼であったと伝わる。もっとも、ジュルダーンは四つの目を持つと言われる怪物でもあるのだが。


「貴様、何者だ」

 

 只者ではないはず、とグウィンセンは決めつけ緊張を解くことなく、問う。


 唖人はゆっくりと両手を挙げてグウィンセンの目を見つめてきた。

 のみで削ったかのように切れ長の眼が微かに光る。

 

 怒るでも慌てるでもなく、こちらを見つめている。


 ――こいつ。


 逆に動揺したのはグウィンセンであった。思わず背中に備えた矢筒に手が伸びる。


「駄目!射ないで!コウスゥグは悪い人じゃない!」


 メロウィアの制止の声とほぼ同時に、唖人は急に身を翻したかと思うと、ほぼ絶壁の岩肌を、するすると上り詰めた。

 驚くエルフたちを一瞥し、振り返ることなく上流へと姿を消した。


 メロウィアの声も、捜索隊のざわめきも滝音に呑まれて、後には何も残らなかった。

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