現実4

 あの後ずっといじめられていたので、謝罪巡り最後の一人、つまり現実は翌日に持ち越しになった。傷は残っていないが痛みは残る。


 なぜ現実が最後になったかと言えば、単純に何を話せばいいか分からなかったからだ。何もかも話してしまえばやはりそれはただのやぶ蛇になるのだろう。だがしかし無視するには大きすぎる存在でもある。


 放課後屋上に呼び出す。鍵はかかっているが、私には関係ない。人が来ないってことでもある。私が来てから数分後に彼女が姿を現す。


「よう」


「うん」


挨拶の後、目を合わせたまま、続く言葉が出てこない。


「どうしたの?」


 しばしの沈黙の後、口を開いたのは現実の方だ。


「いや、なんでもない」


「そう」


「いやそうじゃなくて」


 何もなくても、話さなきゃいけない。彼女に対しては、謝罪よりもそっちが目的だ。でも話すことがない。


「……現実って結構かわいいよな」


 そう言うと現実はクスクスと笑う。


「なにそれ」


「いや、そういえば、言ったことなかったかなって」


「ありがと。お世辞でもうれしい」


「お世辞じゃなくて、本当にそう思うんだ」


「なに、ナンパでもされてるの私。彼女さんに怒られるんじゃない?」


「彼女なんて、そんなのいないよ」


「最近、夢ちゃんとくっつきすぎだよ。恋人同士にしか見えない」


 現実がそう言うっていうことは、実際にそう見えるのだろう。現実は人間らしい鋭さと人間らしい美しさを持っている。


 倫理なんて知ったことではないっていう人はこの学校に多いが、そうじゃない人も多い。現実は意外なことに前者だが、後者のための配慮は欠かさない。


「もうちょっと離れるておくか」


 離れていたところで、妹とはもっと深くでつながっている。良くも悪くも。


「あ、あのさ、結局何の用なの?」


「私にも分からない。でも、なんだか謝らなきゃいけない気がしてな」


 誠実さっていうものが分からなくて、結局いろいろのことをごまかす。それがいけなかった。


「何それ。私を馬鹿にしてるの?」


「そんなつもりはないよ」


「馬鹿にしてるでしょう? 私が何をしたかったか知っているんでしょう? だから謝ったりする」


「何のことをいっているのか分からない」


 本当は私にも分かっている。彼女は恋愛を成就させようとして、あるいは実際に成就させて、ひどい目に遭った。


「私は夢ちゃんが好き。でも、私が告白してもろくなことにならない。きっとならない。だから諦めた。それを他の人に奪われるのも仕方ない。実際は手に入れてないんだから奪われてすらいない。それが彼女の実の姉だからって不道徳とも思わない。そんなことはどうでもいい。でもお前は私のことを馬鹿にする。これは許せない。許せるわけがない」


 告白すればよかったのに。私以外ならそう言うだろうが私には言えない。そうした場合の悲惨さを知っている。かつての彼女はそれを予感しながらも告白した。だが今回は彼女の決意以前に私と夢はつきあっている。そういうことにしてしまった。


「私は何にも知らないけど、全くの凡人だけど、あなたたちが何かとんでもないことをしてることは知ってる。普通の人間には普通じゃないことがはっきりと見える。私にはついて行けない。友達ですらいられない。平凡こそが最高の資質、日常こそが最大の幸せ。でもそれは周りが同じく平凡であった場合だけだ。凡人は超人に幸せを奪われて、二度と戻ってこない」


 実際にそういう面はあるものだと思う。凡人は巻き込まれてひどい目に遭うか、あるいは全くの善意で蚊帳の外に置かれる。だから何も受け取れない。


「日常はいつでも私のそばにあって、あなたたちはいつでもそこに腰掛けて平和が一番だとか嘯く。でも結局すぐにどこかに去って、充実した冒険を楽しんでは自分に酔う。知ってるよ。結局私はそこに行く資格がない。一生懸命追いついたところで躓いて転んで立ち上がれない。こんな人生なのは仕方がない。でもそれなら違う人生なんて見せないで欲しい」


「お前、私たちについてどれくらい知っているんだ」


「知らないよ。何にも。でも、普通じゃない人格と普通じゃない才能を持って、普通じゃない人生を歩んでいることなら誰でも分かる。私とあなたたちの人生は離れていくばかりで、もう交わらない。そのくせたまに帰ってくるふりをする、分厚いガラスの向こうで、姿は見えても私たちの声はもう聞こえないのに」


「確かにそういう部分もあるかもしれない。でもだから関わっちゃいけないなんてことがあるか?」


「勝手にこっち見て勝手に安らぐな、ってことだよ」


「そんなこと言われても、」


「私は生け贄だ! 貴様らにくだらない娯楽を与えるための! 何でこんな風になってしまったんだろう。私はただ友達が欲しかっただけなのに」


 私に彼女の気持ちは分からない。その事実こそが、この問題の答えであり、そして解決しようもない。


 結局、私は彼女のために普通であることを選ばない。出来るのに。


「私は、あなたに言わなきゃいけないことがある」


 だから、せめて、言う。誠実でありたかった。


「なに?」


「多分、昔、私はあなたのことが好きだった」


「……そんなこと言われてもどうすればいいの?」


「分からないよ、でも伝えないとって思ったんだ」


「自分勝手だなあ……」


「ごめん」


「今はどうなの?」


「今でもちょっと好きだよ」


 現実はそこで大笑いした。三十秒ほど笑い続けた。


「ちょっとだけ?」


「実は、結構、割と」


 現実はまた笑った。


 ……意図していたわけではなかったが、実際、これこそが解決法になるのではないか、という気がする。私が振られて、そして縁が切れて、終わり。現実と私は、全く別々の人生を生きて、一切の関わりもなく。


「私も、結構、割と好きだよ。あなたのこと」


 意味が分からなかった。


「現実が好きなのは夢なのでは?」


「いや、うん、確かにそうだけど、それと同じくらい好きだよ」


「そんなの、普通じゃない」


「妹といちゃいちゃする人に言われたくない」


 それもそうだ。


「それに、やっぱりこの程度、ポリアモリーや近親愛なんて、普通だよ。魔法や、超能力や、神様に比べたら」


 ……それもそうだ。


「それで、どうするの」


「……どうするの、とは」


「告白しておいて、それを受け入れられておいて、やっぱりつきあえませんなんて、言わないよね」


「それは……」


 何でこうなるのだろう。誠実であろうとしただけなのに。いや、私にも分かる。今分かった。誠実と正直は違う。


「夢ちゃんのことが気になるの? 大丈夫だよ黙っていればばれないよ」


「いや、そういう問題ではなく」


 何のためにここに来たんだったか。少なくとも彼女とつきあうためでないことは確かだ。


「イエーイ」


 そこに乱入してきたのが妹だ。ドアをぶち破ってきた。


「今私の話してなかった?」


「……どこから聞いてた?」


「いや、何にも」


「じゃあ帰れ。今大事な話をしてるんだよ」


「えー、二人っきりで大事な話とか怪しー。浮気? 浮気なの?」


「帰れ」


「いやいや、聞いてもらおうよ。夢ちゃんにも関係ある話だからさ」


「え、何々? どんな話」


「何でもない」


「実はね、あなたのお姉さんに告白されたんだけど。自分から告白しといてつきあえないとか言うんだよ? 酷くない?」


「酷―い」


「いや、そんなこと言ってないだろう」


「じゃあつきあってくれるの?」


「くれるの?」


「そんなことも言ってない」


「じゃあどうするの?」


「するの?」


「いや、それは……」


 正直に言ってどうしたらいいのか分からなかった。一見楽しそうな夢が何を考えているのか分からなかった。


 しばらく沈黙が続いた後に妹が飛び上がった。天を指さして言う。


「思いついた! 何もかも解決する方法!」


 もう一度飛び上がって現実を押し倒すと、そのままキスする。


「つきあってください。好きだから」


 夢がそう言うと、現実が顔を真っ赤にして答える。


「はい……」


 全くついていけない。本当に全く。だけどかろうじて言う。


「お前、本当に現実のこと好きだったんだな」


「当たり前でしょ。好きでもない人とつきあうなんて、そんな不誠実な」


 なるほど、確かに妹はずっと誠実だった。少なくとも私なんかよりは。


「私も頑張らなきゃな」


 倒れたままの現実を助け起こす。


「大丈夫か?」


「うん……」


 未だに真っ赤で放心状態だ。大丈夫とは思えない。


「私もお前に言わなきゃいけないことがある」


「うん……」


「つきあってくれ。好きなんだ」


「うん……、え? え?」


「大丈夫か? 分かるか?」


「うん、もちろん。うん、好きだよ。つきあって。つきあおう」


 それを聞いて私は彼女にキスをする。唇に熱と弾力を感じる。


 途中で反応がないことに気づいた。気絶していた。




 二人がかりで彼女を保健室に運ぶ。開いていたが、先生はいない。


「幸せ。幸せだなあ」


 現実はもう目覚めている。


「大丈夫か?」


「うん、……うん」


「でもさ、私、結局何も解決していないんじゃないか?」


「いいの。実際解決するような問題じゃないし、それならそれで、このまま、よりよい方向に進めるなら、それでいい」


「私さ、思うんだけれど、むちゃくちゃな人間の中でただ一人平凡ならそれはそれで特別なんじゃないかって気がする」


「うん、分かるよ。でもそんなのはただの言葉遊びで、結局私は蚊帳の外。でも、まあ、外にいても、つながっているって信じられるなら、もうそれで構わないって思ったの」


「ごめん」


「何も謝ることなんてないよ。私がわがままだっただけ」


「わがままでいいんだよ。私たちなんてみんなもっとずっとひどいわがままだ」


 そう言ったのは夢で、その言葉に私は頷く。


「わがまま。本当にただのわがままだった。現実は勘違いしているかもしれないけど、私たちは何か高尚なことをしてたわけじゃないんだ。ちょっとだけ大きな、ただの喧嘩をしていたんだ」


 ただの喧嘩、そうとしか言いようがなくて、その中で一番まじめだったのは実は勇気だったし、それ以外は本当にもうどうしようもなかった。


「馬鹿な奴らがちょっとむちゃくちゃな力を持っていただけで、この世は大変なことになる。全くくだらない話で、そのくだらない話の中では凡人も超人もきっと対等だよ」


「そんなわけないよ。私はそのくだらない話の中で生きていけない」


「守るから。できる限り」


 私のできる限りって言うのは、つまり無限だ。


「そう、それなら安心、かな」


 現実は諦めたように笑った。

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